転載元:現存するババァ船の船歴をまとめてみた(宗谷編)

1: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:09:13 ID:NYikmdZk

※艦これ要素はないです。




2: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:10:13 ID:NYikmdZk

-奇跡の船-




3: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:10:57 ID:NYikmdZk

2014年11月11日。

第56次観測隊員を乗せて東京晴海埠頭を南極へ向け出港した海上自衛隊の南極観測船「しらせ」に、UW(ご安航を祈る)の旗旒信号を掲げ汽笛で見送る船がいます。

その船の名は宗谷。

日本の初代南極観測船として知られるその船は、現在は東京お台場にある船の科学館で保存船として展示されています。

この船の歴史を知る人々の間では、宗谷は掛値なしの「奇跡の船」と呼ばれています。

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4: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:11:33 ID:NYikmdZk

1900代年初頭。

ときの帝政ロシアでは、自国内で使用するための砕氷船の増備を進めていました。

帝政ロシア「んもう!ウチはホント北極海航路やらその辺の港湾やらどこもかしこも氷ばっかで嫌になっちゃう!!」プンスコ

帝政ロシア「だから砕氷船しこたま作るの!足りない分は海外に発注するの!!」

砕氷船の中にはロシア帝国内部で建造された船も存在しましたが、その多くはイギリスなど諸外国に発注したものでした。




5: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:11:36 ID:MSHw/hc6

魚の人だ(確信)




6: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:12:48 ID:NYikmdZk

1917年2月。

この年から3年前に起きたサラエヴォ事件に端を発する第一次世界大戦の影響で、ロシア帝国は疲弊しきっていました。

帝政ロシア「コヒューッ、コヒューッ」

労働者「パンもっとよこせ! 革命パーンチ!!」

帝政ロシア「ウボァー!!」

こうしてロシア帝国は倒れ、メンシェビキ(社会主義右派)が中心となったブルジョワ臨時政府が誕生します。

これが俗にいう二月革命です。




7: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:13:42 ID:NYikmdZk

数か月後。

今度は臨時政権を担っていたメンシェビキの方策に対し、レーニン率いるボリシェヴィキ(社会主義左派)が異を唱え立ち上がります。

メンシェビキ(臨時政府)「強い祖国を実現! 第一次世界大戦は続行すべし!!」

ボリシェヴィキ「変革を止めるな! 革命キーック!!」

メンシェビキ(臨時政府)「ウボァー!!」

こうして1922年、20世紀にアメリカと並ぶ超大国として世界に君臨することになるソビエト連邦が誕生します。

ちなみにこれが俗にいう十月革命です。




8: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:15:23 ID:NYikmdZk

そんな期末テストのような間隔で発生する革命により、政治体制は幾度かの変遷を経て、やがてソビエト連邦が誕生します。

帝政ロシア時代の権益の多くはそのままソビエトに継承されることになりました。

その中の一つに、シベリア鉄道の極東路線の一つとして敷設された東清鉄道があります。

1932年に日本の手により満洲国が成立すると、東清鉄道はソビエトと満州国の合弁で運用されることになりました。

とはいえ、ソビエトはそもそも満州国自体を国として承認していませんでした。

そのためここにきて日ソ間の不用意な衝突を避けるために、両国は東清鉄道の売買を検討することになります。




9: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:16:20 ID:NYikmdZk

日本「こんなもんでどないでしょ」ソロバンパチパチ

ソビエト「いや……せめてこれくらいは……」パチ

日本「えぇ……そりゃ足元見すぎでしょう……じゃあこれくらいで……」パチパチ

ソビエト「いやいや……やっぱりこれくらいはするだろ……」パチパチパチ

日本「いやいやいや……へっへっへっへ、ご冗談を」パチパチパチパチ

売却価格が折り合わず交渉は難航を極めましたが、1935年3月になってソビエトは満州国と北満鉄道讓渡協定を結び、満洲から撤退することを決めました。




10: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:17:13 ID:NYikmdZk

ソビエト「チッ、まぁしょうがないか……とにかく契約通り、支払いと3隻の砕氷船は頼みましたよ」

日本「へい!!」

この譲渡協定の中には、売却時の金銭支払いとは別に、ソビエトから日本に対して砕氷船3隻分の発注も含まれていました。

とはいえ、当時の日本には砕氷船を建造するノウハウがほとんどなかったことから、この時ソビエトから数人の技師が派遣されています。

ソ連人技師「はい、じゃあ私が監督するからきっちり作ってね」

日本人工員「へい!!」




11: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:18:30 ID:NYikmdZk

こうして建造された砕氷艦3姉妹は、それぞれ「ボルシェビキ」(共産党)、「ボロチャエベツ」(ボロチャエフの戦友)、「コムソモーレツ」(共産主義青年同盟)と名付けられ、長崎にある川南工業株式会社香焼島造船所にて起工しました。

長女のボルシェビキは1937年8月10日、次女ボロチャエベツは1938年2月16日、三女コムソモーレツは1937年10月20日にそれぞれ進水しています。

この3隻は「ロイド船級協会」という国際規格に合格することを目標に建造されたのですが、長女のボルシェビキの公試運転の結果、残念ながら当船はこの規格に満たない性能であることが判明しました。

no title

※2番船「ボロチャエベツ」




12: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:19:11 ID:NYikmdZk

ロイド船級協会「はい不合格ゥ!!」

日本人工員「やっべぇ」

ソ連人技師「なんでよ!? 手取り足取り教えてあげたじゃん!!」

日本人工員「いやーあの、自分ら前職はガラス工だもんで」

ソ連人技師「」




13: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:20:05 ID:NYikmdZk

当時、日本は緊迫する国際情勢を鑑み、軍艦の増産を急いでいました。

このため、この3隻を建造するために徴収された日本人工員の多くは、それまで船の建造に携わったことのない町工場の従業員が中心だったのです。

ソ連人技師「пиздец!!」

日本人工員「やっべぇ母国語出ちゃってる」

ソ連人技師「もうソ連帰ゆ!!」プンスカ




14: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:21:00 ID:NYikmdZk

結果としてこの3隻は、性能が不足していることや国際情勢の緊迫化を理由に、ソビエトに売却されることなく日本国内に留め置かれました。

日本「じゃ、君たちにはとりあえず日本で商船として働いてもらうから。あとその舌噛みそうな名前も変えるからね」

三姉妹「私たち出来損ないなのね……」ションボリ

とはいえ、この3隻はソ連向けに建造された砕氷・耐氷能力を持ち、当時としては珍しい最新鋭のイギリス製音響測探儀(ソナー)が装備されていました。

これは霧や吹雪で視界の悪い氷海を航行するためには、ソナーで海中の様子を探りながら前進する必要があったからです。




15: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:22:12 ID:NYikmdZk

海軍「……君に決めた!!」

これに目を付けたのが海軍です。先述の通り当時は第二次世界大戦前夜の、国際情勢が極めて不穏な時期でした。

海軍としては、手軽に調達できるうえにソナーによる測量業務ができ、なおかつ大量輸送能力を持つこの3隻はまさに戦力増強にうってつけだったのです。

しかしながら、ソ連との契約がご破算になった経緯から直接海軍に導入するわけにもいかず、一旦3隻は民間の商船として運用されることになります。

こうして一番船ボルシェビキは「天領丸」、二番船は「地領丸」、三番船は「民領丸」とそれぞれ商船としての名前を与えられます。
no title

※民間船「地領丸」




16: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:23:18 ID:urueMEkM

この書き方…
もしや淡々の?





淡々と魚の話するわ
http://minnanohimatubushi.2chblog.jp/archives/1863820.html




17: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:23:59 ID:NYikmdZk

二番船の「地領丸」はいったん貨物航路運航主体の運行を主に行う栗林汽船という船会社にチャーターされ、北海道と千島列島の間の物資輸送に携わることになります。

これは、当時日本の領有権下にあった千島列島北東端に位置する占守島の蟹工場に、行きは労働者や機材を、帰りは工場で生産された蟹や鱒の缶詰を輸送するためでした。

またこの際、海上濃霧のため普通の船なら立ち往生してしまうような状況でも、地領丸は先述のソナーで海底を測定しながら切り抜けることができる性能を持った船として重宝されました。

その後、栗林汽船在籍中は北海道航路のみならず当時の満州、大連航路に就いたりした地領丸でしたが、1939年10月にチャーターが解けると、海軍ではなく生みの親である川南工業が設立した辰南汽船に移籍し、朝鮮航路に投入されました。




18: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:24:30 ID:NYikmdZk

地領丸「あれ……私海軍さんの所へ行くんじゃ……」

海軍「うーん前は魅力的だと思ったけど……対米強硬路線に乗り換えた今、主戦場になる南太平洋で砕氷船なんて使わないんだよなぁ」

地領丸「そ、そうですか。よかっt……」

陸軍「はぁ!? だったらウチが引き取るわ! こっちは対ソ戦に備えなきゃいけないから船腹はいくらあっても足りないんだよ!!」(食い気味)

地領丸「」




19: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:26:17 ID:NYikmdZk

現在でもよく知られている通り、当時の陸海軍は非常に仲が悪く、対米重視の海軍に対して陸軍はソ連・中国への対処を重視していました。

このため陸軍は独自で輸送船を持つばかりではなく、自前の潜水艦や駆逐艦、果ては空母(強襲揚陸艦)まで配備する始末でした。

天領丸「商船に軍艦やらせるなんて無茶よ!」

民領丸「そうよ! 無理よむりむりかたつむりよ!!」

陸軍「おっ、イキがいいのがいるじゃねえか! じゃ、この2隻もらいな!」

天領丸&民領丸「」

地領丸「う、うわぁ……」




20: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:26:56 ID:NYikmdZk

こうして、三姉妹のうち末妹の民領丸は1941年4月頃に工作船として、姉の天領丸も1941年10月頃に輸送船として改装されたうえで陸軍に徴傭されました。

残った地領丸も1939年11月に結局海軍による買い上げが決まり、1940年2月20日に特務艦(砕氷型雑用運送艦)として着任します。

海軍「ま……1隻くらい砕氷船があった方が何かと重宝するだろう。今日から君は海軍の艦だ」

地領丸「は、はい……」

他の姉妹船2隻があくまでも徴傭船(軍が民間船を強制的に取り立てたもの)として陸軍に軍籍を置かなかったのに対し、宗谷は正式に横須賀鎮守府に籍を置く「軍艦」となったのでした。




21: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:28:02 ID:NYikmdZk

海軍「そうだ、名前を考えないとな……」

陸軍と違い、海軍には艦の名前に国名、山名、河川の名前を使用する慣例がありました。このため地領丸は海軍編入とともに新しい名前が与えられることになります。

海軍「よし! 今日から君の名前は『宗谷』だ!」

さらに、特務艦への改装にともない宗谷には8cm単装高角砲や25mm連装機銃といった対空装備が搭載され、船体も軍艦らしい灰色に塗装されます。

海軍「馬子にも衣装……いややっぱり不細工かも……い、いやなんでもない素敵素敵超カッコイイよやっべー地元で伸びる!!」

宗谷「ううう……」

no title

※海軍運送艦「宗谷」




22: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:28:50 ID:NYikmdZk

宗谷の類別された雑用運送艦とは、文字通り人や物資など様々なものを運ぶのがその任務です。

当初宗谷には輸送任務だけではなく、海軍の新鋭砕氷艦ができるまでの繋ぎとして、北方での測量や気象観測等の任務をこなすことが期待されていました。

しかし、第二次世界大戦に向け海軍が開戦準備を始めると、宗谷は北方だけでなくサイパンやトラック諸島など南方海域の測量まで行うようになっていきます。

まさに海軍のワークホースとして働き続ける宗谷だったのですが……




23: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:29:24 ID:NYikmdZk

海軍兵士「えぇ……」(困惑)

海軍兵士「せっかく海軍に入ったのにこんなカッコ悪い艦に乗せられるのか……」

海軍兵士「おまけに船足も遅いしよく揺れるし……あと船足も遅いし……強いて言うなら揺れるし……」

宗谷「ううう、すみませんすみません」

多数の技術者が乗り込み最新の測量機材を搭載した宗谷でしたが、商船改造のその外観には軍艦らしい精悍さも無く、海軍将兵達のウケは決してよくありませんでした。




24: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:30:26 ID:NYikmdZk

しかしながら、ラジオゾンデとよばれる観測装置を内蔵した気球を何千個も打ち上げ、昼夜を問わず成層圏の気象を観測、さらには搭載したあらゆる機器を使って軍事機密である海図を作成する宗谷は、関係者から「見た目は悪いが技術は随一」と呼ばれるようになっていました。

現在でも南洋方面の海図には、宗谷が測量したことを示す「soya1」や「soya2」などといった礁が多数存在します。




25: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:31:07 ID:NYikmdZk

1941年12月8日。

横須賀に戻っていた宗谷は、日米開戦の報せをうけます。

そしてすぐさま輸送物資を満載し、12月29日にトラック島に向けて出港。

これが、太平洋戦争初の宗谷の任務となったのでした。

この戦争で宗谷は、ミッドウェー海戦やソロモン海戦といった歴史に名を残すことになる大海戦にも参加し、何度も絶体絶命といえる危機を迎えています。




26: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:31:48 ID:NYikmdZk

1943年1月28日。

パプアニューギニアのブカ島沖合で測量を行っていた宗谷に、米潜水艦から4本の魚雷が撃ち込まれます。

乗組員「魚雷だーーー!!」

宗谷「あわわ」

最高速度12ノットという、当時急造されていた戦時標準船よりさらに足の遅い宗谷でしたが、それでもなんとか魚雷を回避しようと試みます。

しかしながら、やはり全ての魚雷からは逃げ切ることはできず、4本のうち1本が右舷後方に命中してしまいます。




27: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:32:20 ID:NYikmdZk

<ドコーン!!

乗組員「アカーーーーーーーン!!」

宗谷「ひっ! ……あ、れ?不発……?」

乗組員「助かった……」

運のよいことにこの時の魚雷は不発だったため、宗谷は沈没を免れました。




28: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:33:10 ID:NYikmdZk

ちなみに、宗谷が魚雷による攻撃を受けたのはこの1回ではありません。

2年後の1945年6月26日には、満州へ工業機材を輸送中に再び米潜水艦「パーチ」からの襲撃を受けます。

乗組員「魚雷だーーー!!」(2年ぶり2回目)

乗組員「今度こそアカーーーーーーーン!!」

宗谷「ひいぃー!!」




29: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:33:45 ID:NYikmdZk

しかし、この時放たれた魚雷は宗谷の船体の下をすり抜け、またも宗谷は生き残りました。

ただし、この時船団を組んでいた僚船の「永観丸」と「神津丸」は、パーチの放った魚雷が命中し撃沈されてしまいました。




30: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:34:24 ID:NYikmdZk

こうした数々の危機を潜り抜けてきた宗谷の戦歴の中でも、最もピンチだったと言えるのが1944年2月17日から翌18日にかけて巻き込まれたトラック島空襲でした。

乗組員「回避! 回避ーーーっ!!」

<メキメキ

宗谷「痛っ!!」

乗組員「やばい! 座礁した!!」

この時回避行動を行っていた宗谷は、運悪く敵空襲下の中、泊地の暗礁に乗り上げてしまったのです。




31: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:35:15 ID:NYikmdZk

さらに、翌日になっても米軍の空襲は止みません。

乗組員「1機撃墜!!」

乗組員「だがもう艦はめちゃくちゃだ! 副艦長がやられた! 艦長も重傷だ!!」

乗組員「仕方ない、機密書類を焼却したら総員退艦!! 艦を棄てるぞ!!」

宗谷「ううう……」ズタボロ

9名の戦死者を出し身動きの取れなくなった宗谷は、急遽指揮を引き継いだ福島大尉により総員退艦命令が出されます。




32: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:35:54 ID:NYikmdZk

翌19日。

退艦後、空襲に晒された宗谷の様子を見に来た乗組員達は驚愕します。

乗組員「宗谷生きてるやん!!」(驚愕)

宗谷「あの後潮が満ちてきて……なんとか離礁できました……」

乗組員「やったぜ。」

こうして潮汐により夜間のうちに自然離礁を果たした宗谷に、再び乗組員が戻ります。




33: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:36:40 ID:NYikmdZk

ですが、この時宗谷が受けた被害は今大戦中最も大きなものでした。

2日に渡る機銃掃射により船体は穴だらけになり、甲板は破壊された対空機銃の残骸や、戦死した乗組員の血で赤く染まっていました。

結果的に宗谷は生き残りましたが、艦を放棄したうえに測量隊を全滅させた責任から、当時の艦長である天谷嘉重大佐が更迭され、その後拳銃自殺を遂げるという悲劇が起こってしまいます。

宗谷は修理のため横須賀に戻り、日本鋼管浅野ドック入りし測量艦から輸送艦に改装されることになりました。




34: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:37:30 ID:NYikmdZk

宗谷(姉さんや妹はどうしてるのかしら……)

先に述べたとおり、宗谷には姉妹船である「天領丸」と「民領丸」がいます。

海軍に籍を置く宗谷とは違い、この2隻は陸軍に徴傭され、姉の天領丸は物資輸送に、妹の民領丸は他の船を修理したりする工作船として運用されていました。

しかし、宗谷がトラック島で空襲を受ける3日前の1944年2月14日、妹の「民領丸」は米潜水艦「フラッシャー」の雷撃により撃沈されていたのでした。




35: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:38:39 ID:NYikmdZk

翌1944年4月22日に修理を終えた宗谷は、一旦北方の船団護衛に就くことなります。

宗谷「姉さん!」

天領丸「久しぶり!」

このとき宗谷は、姉である天領丸の護衛に就くことになります。久しぶりの姉妹の再会でした。

ですがこの天領丸も、翌1945年5月2日に、妹の名の元になった宗谷海峡まであと少しというところで米潜水艦「スターレット」の攻撃を受け撃沈されてしまいます。




36: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:39:19 ID:NYikmdZk

1945年8月2日。

横須賀でのドック入りの最中、宗谷は再び米軍による空襲に巻き込まれます。

<ドカーーーーーーン

宗谷「あわわ」

氷川丸「ひいぃ!!」

長門「」(中破)

なお、この日共に空襲を受けた氷川丸と戦艦長門は、終戦まで生き延びることになります。




37: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:39:58 ID:NYikmdZk

<パカーン!!

宗谷「ひっ!」

この空襲で、たまたま米軍機の投下した増槽が宗谷の機関室真上に命中し、機関室にガソリンが充満してしまう事態となります。

しかしながら、この時は入渠中でエンジンに火が入っていなかったため大事には至りませんでした。

宗谷「ほっ……」




38: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:40:32 ID:NYikmdZk

1945年8月3日。

横須賀鎮守府より退避命令を受けた宗谷は標的艦「大浜」を伴い女川へ退避。

その後、単艦で室蘭に向けた輸送任務を命じられます。

そしてここでも、宗谷はその強運を見せつけるのでした。




39: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:41:15 ID:NYikmdZk

乗組員「敵機動部隊接近!!」

乗組員「くそっ! ここで捕まったら逃げ切れんぞ!!」

青森県沖を航行していた宗谷は、敵機動部隊の接近をキャッチします。

護衛もなく、船足も遅い宗谷にとってはもはやチェックメイトに限りなく近い状況です。

乗組員「もはやここまでか……」

乗組員「ちょ、ちょっと待て……急に辺りに霧が……!!」




40: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:42:58 ID:NYikmdZk

もはや命運尽きた宗谷かとおもわれましたが、急遽艦の周りを濃霧が包み込みます。

この機を逃すことなく、宗谷は霧に身を隠して無事八戸港へ退避。

乗組員「何てことだ……あの霧はまさしく神の衣だ……」

乗組員「やっぱりこの艦はツイてる!」

この頃になると、宗谷は数々の危機を乗り切った幸運艦として海軍内に知れ渡り、乗組員もその神懸りな船運に完全な信頼を寄せるようになっていました。

なお、この時女川に残してきた標的艦大浜は、その後敵機動部隊の空襲で大破着底。八戸を出港した翌日には八戸も空襲を受けるという、いずれもすんでのところで難を逃れています。




41: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:43:34 ID:NYikmdZk

宗谷「こ、これって私むしろ死神なんじゃ……」

乗組員「何言ってんだよ! そんなことより俺、この戦争が終わったら故郷に帰って嫁を貰うんだ!」

宗谷「わぁ、いいですねー」

乗組員「バカやめろ! なんか分からんがそれは死ぬ感じだ!!」

乗組員「バカだなぁ、この艦に乗ってる限り死ぬわけないだろ!」

乗組員「それも死ぬ感じだ!!」




42: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:44:30 ID:NYikmdZk

それから間もない1945年8月15日。第2次世界大戦は日本の敗戦をもってその幕を閉じます。

GHQ「はーい軍艦旗下しなサーイ」

乗組員「はい……」

GHQ「はーいそれが終わったらとっととこの船から降りるデース」

乗組員「はい……」

こうして宗谷は、5年にわたる軍艦としての任を解かれます。なお、この時点で宗谷は潜水艦2隻撃退(共同戦果含む)、航空機1機撃墜という、特務艦としては異例の戦果を挙げていました。




43: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:45:41 ID:NYikmdZk

1945年10月1日になると、宗谷はGHQから大蔵省への移管手続きが行われ、復員船として使われることになります。

その後1948年11月に引揚げ輸送の任務が完了するまで、宗谷は南方や中国大陸、東南アジアから延べ19000人余りの邦人を日本へと連れ戻しました。

その間には憔悴しきった人々が航海中に力尽き命を落としてしまったり、船内で産気づいた女性が女の赤ちゃんを出産するといった悲喜こもごもの出来事がありました。

ちなみにこの赤ちゃんに当時の宗谷船長である土井申二氏は、船名から一字とった「宗子」(もとこ)という名前をつけたといわれています。




44: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:46:20 ID:NYikmdZk

こうして数年に渡る引揚輸送の任務を終えると、宗谷は民間の船に戻ることになります。

宗谷「ふう」ガタピシ

しかしながら、元々商船として建造された宗谷は、戦時中の酷使により船体や機関部などにかなり傷みが来ていました。

とりわけ、海軍に移籍する際に機関を艦本式ボイラーという軍仕様のものに換装していたため、商船として使用するにはいささか無理のある造りとなっていました。




45: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:46:59 ID:NYikmdZk

ちょうどその頃。

1948年に発足した海上保安庁は、日本各地の灯台に物資を補給する灯台補給船を探していました。

灯台は船の安全な航行に必要不可欠なものでしたが、その性質上、辺境部の岬の先端など立地が非常に悪く、そこに暮らす灯台守の人々は不便な生活を強いられていました。

そうした人々に物資を輸送するのが、灯台補給船です。

当初海上保安庁は、旧海軍の砕氷艦「大泊」を使用する予定でしたが、大泊はすでに船齢28年を超えており、改修に費用も掛かることからこの案は見送られました。




46: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:47:31 ID:NYikmdZk

海上保安庁「どうしよう……」

宗谷「そろそろ私もお役御免かしら……」ポケー

海上保安庁「……君に決めた!!」

宗谷「えっ」

こうして宗谷に、白羽の矢が立ったのでした。




47: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:48:05 ID:NYikmdZk

先述の通り、灯台補給船は日本各地の灯台に物資を輸送する必要があります。

その中には流氷に覆われる北海の灯台も含まれているため、砕氷・耐氷能力を持つ宗谷はこの任務にうってつけだったのです。

また、1948年時点で船齢10年の宗谷の機関部は、戦時中の傷みがあるとはいえ、先述の大泊ほどの劣化具合ではなかったことも決め手の一つでした。




48: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:48:38 ID:NYikmdZk

1949年12月12日。

宗谷は海上保安庁に移籍し、石川島重工業で灯台補給船への改装を受けることになりました。

この改装にともない、宗谷の船体は白に塗装され、煙突には海上保安庁のシンボルである羅針盤の意匠が描かれました。

海上保安庁「おぉー似合う似合う! 綺麗になったね!」

宗谷「ううう、ちょっと恥ずかしいです……」

no title

※巡視船「宗谷」




49: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:49:14 ID:NYikmdZk

こうして灯台補給船として生まれ変わった宗谷は、灯台の燃料や食料、雑貨品などの物資を日本各地の灯台へと届け始めます。

特に灯台守は家族で灯台に暮らしていることもあり、これらの物資の中には子どもたちへ向けたおもちゃ等も積まれていました。

そして、いつしか宗谷は「灯台の白姫」や「海のサンタクロース」と呼ばれるようになりました。

また、1953年には当時米統治領だった奄美群島の返還に際して必要な9億円の現金を運ぶなど、いくつかの特筆すべき任務もこなしています。




50: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 22:49:58 ID:NYikmdZk

通常、船の寿命は約20年程度といわれています。

この時点で宗谷の艦齢は15年に達しており、その余生を海上保安庁の灯台補給船としてのんびりと過ごしていました。

しかしながら、この後宗谷は日本でもっとも有名な船へとその姿を変えることになるのです。




53: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/17(火) 23:50:29 ID:7RNKGKIM

ええ話やなぁ




58: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:17:56 ID:GAv5Yem6

-未踏の地-




59: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:18:47 ID:GAv5Yem6

1955年3月。

当時、朝日新聞記者であった矢田喜美雄氏は、紙上で「北極と南極」という題の記事を連載していました。

この人物は1949年に発生した下山事件(当時の国鉄総裁が轢死した事件)で他殺説を唱えるなど、その型破りな発想と類まれなる行動力で知られていました。

矢田氏はこの連載を行うに当たり、関係各所に取材を行っていました。

その際、彼は「国際地球観測年(IGY:International Geophysical Year)」という活動を知ることになります。




60: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:20:19 ID:GAv5Yem6

IGYとは、1957年7月1日から1958年12月31日にかけて世界各国で自然現象を観測しようという試みであり、この中には当時はほぼ前人未到であった南極大陸の観測も含まれていました。

この時日本学術会議にも、国際会議からIGYの招請状が来ていました。

しかしながら当時の日本は敗戦からの復興の最中にあり、このような途方も無い計画にかける予算を捻出することができないことから、南極観測への参加について政府は極めて消極的でした。




61: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:21:30 ID:GAv5Yem6

矢田「南極観測ァ!!」バターン

朝日新聞「ビビる」ビクッ

矢田「今を逃したらもうこんなチャンスは無ァい!!」

朝日新聞「いや、そうはいってもあの、いろいろと問題がね? そもそも政府すら、南極観測の参加については消極的だし……」

矢田「だったらウチが支援すればいいじゃないですかァ!!」

朝日新聞「えっ」

この矢田という人物はある種の熱血漢といえる人柄でもあり、魅力的である反面、そのクセのある性格から社内では暴れ馬と呼ばれていました。




62: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:22:15 ID:GAv5Yem6

朝日新聞「ちょ、ちょっと矢田くん落ち着いて……」

矢田「俺が政府に直接話をつけてくるゥ!!」

朝日新聞「えぇ……」(困惑)

矢田「あ、もしもしィ!? 日本学術会議ですかァ!? じゃ、今から行きますんでェ!!」ガチャン

朝日新聞「こいつはもう本当にもう」




63: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:22:52 ID:GAv5Yem6

矢田「国際地球観測年! 南極観測! 一緒に行こうぜ!!」

日本学術会議「すごい熱意」

矢田「国際地球観測年! 南極観測ゥ!! 今こそ(ry」

中央気象台「やだこの人熱い……」

矢田「南極(ry」

政府要人「こいつマジだぜ」

こうして矢田氏の熱意は多くの人々を魅了し、南極観測参加への決意を後押ししました。

ところが……。




64: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:23:51 ID:GAv5Yem6

政府「問題は係る予算をどのように捻出するかだ……」

矢田「金か!!」

彼は本社にとって返し、編集局長をも巻き込んだ一大キャンペーンを打ちます。このキャンペーンで南極観測への資金の提供や募金の呼びかけを行ったところ、日本全国から約1億4500万円が集まり、このことも政府を大きく後押しする結果となりました。

しかしながら、彼のこの破天荒な性格は科学者や技術者との軋轢を生み、結果として矢田氏は日本の南極観測に大きく貢献し名を残したたものの、彼本人が南極を訪れることは叶いませんでした。

話はそれますが、この後も矢田氏は1964年に日本で初めて「ミロのビーナス」展を実現させたりと、自他ともに認める「朝日新聞に最もカネを使わせた男」として語り継がれています。

朝日新聞「こいつはもう本当にもう!!」




65: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:24:46 ID:GAv5Yem6

このように朝日新聞、ひいては国民の支持を得た日本政府は、1955年7月の第1回IGY南極観測会議の際に文書で南極観測参加の意志を伝え、同年9月にブリュッセルで開催された第2回会議には、後の第1次南極観測隊長であり、日本を代表する地球物理学者の永田武氏が参加することになりました。

永田氏は南極観測への参加意思を表明するにあたり、明治期に日本で初めて南極探検を行った白瀬矗の実績を紹介することで、日本が南極観測に参加しうるだけの実績があることを説明します。

日本「……以上のことから日本はIGYの一環として、南極観測に携わる意思を表明します」

英・英「ノーだ!!」

しかしこれに反対したのが、かつて日本と戦火を交えたイギリスとオーストラリアでした。




66: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:25:59 ID:GAv5Yem6

豪州「そもそも日本は10年前の戦争で我が国の領土を脅かしている! そのような国を我が国の領土からさほど距離も離れていない南極に踏み込ませるのは到底容認できない!」

英国「我々もオーストラリアの意見に賛成だ。そもそも日本はまだ国際社会に復帰する資格がないのではないか?」

日本「うぐ……」

先の大戦で自国の植民地や領土を失うなど、日本に辛酸を舐めさせられたこれらの国が、今後自国の権益に係る可能性のある事案から日本を遠ざけようとするのは至極当然のことでした。




67: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:27:25 ID:GAv5Yem6

アメリカ「まぁそう言いなさんな、お二方。戦争はもう終わった。日本には最早あなた方を侵略しようとする意思は毛頭ない。第一、そのための牙は我々が既に折った」

日本「……」

豪州「しかし……」

ソビエト「今回の観測はあくまでもIGYという人類全体にとって有益となるであろう学術調査がその目的のはずだ。各国で負担を分担するという意味で、我が国も日本の参加は好ましいと考えるが……それとも、お二方には何かそれ以外に日本の参加しては不都合な理由でもあるのかね?」

英・豪「……」

アメリカ「では決まりだな」

こうして、アメリカやソ連の賛成もあり、日本でも11月4日に南極観測参加が時の鳩山内閣にて正式に閣議決定されます。




68: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:28:09 ID:GAv5Yem6

このような経緯から日本の南極観測への参加が決まると、日本はすぐさま南極観測のための準備を始めることになります。

何はともあれ、まず必要なのは観測隊や機材を乗せ南極まで向かうための船でした。

これを受け日本学術会議の茅誠司会長は、海上保安庁長官の島居辰次郎氏に協力を仰ぎます。

突然の協力依頼に困惑した島居長官でしたが、国を挙げた一大プロジェクトに砕氷船の確保を約束したのでした。




69: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:28:59 ID:GAv5Yem6

海上保安庁「砕氷船かぁ……まずパッと浮かぶのは新規建造案だけど……お金がかかりすぎるなぁ」

当初は砕氷船を新造する計画でしたが、これにはあまりにも予算がかかりすぎるためすぐに立ち消えになってしまいます。

海上保安庁「じゃあ外国から砕氷船をチャーターして……あぁダメだ! これもお金が足りない……」

海上保安庁「だったらもう……国内の既存船を改造するしか……」

当時候補に挙がったのは、大阪商船の「白龍丸」や、国鉄の連絡船「宗谷丸」(宗谷とは別船)といった日本国内の近海砕氷船でした。

しかしこれらの船も民間から海上保安庁に買い上げるための資金や保障金の準備、さらにはその船体の大きさから改造費も大きくなることが予想され、結局は廃案となってしまいます。




70: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:29:39 ID:GAv5Yem6

海上保安庁「どうすりゃいいんだ……」

こうなると残された道は海上保安庁の保有する砕氷船を改造することしかありませんでした。

海上保安庁「ウチが持ってる砕氷船……」

宗谷「灯台に荷物運んできました〜」

海上保安庁「……君に決めた!!」

宗谷「えっ」

こうして再び宗谷に白羽の矢が立ったのでした。




71: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:30:16 ID:GAv5Yem6

当時日本が担当することになっていたプリンスハラルド海岸という場所は、夏でも一面厚い氷に覆われ、過去に欧米各国が上陸を目指して接近するもすべて失敗し、当時の米海軍から「接近不可能」とされた曰くつきの場所でした。

ちなみにここは現在でも南極随一の難所として知られ、2009年に就役した最新鋭の南極観測船「しらせ」(2代目)ですら、接岸に失敗する事があるほどです。

海上保安庁「そんな魔境みたいなところまで行けるのは君しかいない!!」

宗谷「ま、魔境って……」

海上保安庁「その強運を買って、君には南極へ行ってもらいたい!!」

宗谷「え、えぇ……」

とはいえ宗谷はこの時すでに艦齢17年を超えており、その船体はあちこちが錆びつき、甲板のそこかしこに穴のあいた立派な老朽船でした。




72: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:31:18 ID:GAv5Yem6

さらに宗谷が南極観測船に召し上げられることになると、これを悲しんだのが宗谷に深い愛着を持つ多くの灯台守やその家族と、海上保安庁灯台部の職員でした。

灯台守「そうか、寂しくなるなあ……南極かあ」

宗谷「ううう」

灯台部職員「でも、これで国民に少しでも明るい話題が提供できるなら、誇りを持って御用立てしようじゃないですか」

こうして宗谷は1955年11月、正式に南極観測船に使用されることになり、翌月の12月24日には灯台補給船としての解任式が行われ、同日付をもって灯台補給船から巡視船(PL107)へと種別が変更されました。




73: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:31:54 ID:GAv5Yem6

とはいえ、宗谷をそのままの状態で南極まで行かせるのは不可能でした。

このため宗谷には南極大陸まで往復できる航続距離と、砕氷能力の向上、さらに搭載能力を増やすための改造が行われることになります。

1956年3月12日、宗谷は改造が行われる日本鋼管浅野船渠に入渠します。

宗谷「あっ、ここは……」

奇しくもここは、大戦中に宗谷が九死に一生を得たトラック島での空襲の被害を修理した場所でした。




74: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:33:13 ID:GAv5Yem6

宗谷の改造にあたり、設計には元海軍の技術将校であり、戦艦大和を設計した技師の一人である牧野茂氏が起用されました。

牧野「これから君の改造設計をおこなう牧野です、よろしく」

宗谷「よ、よろしくお願いします」

牧野「こいつは荒療治になるぜぇ……」ヒッヒッヒ

宗谷「……」ビクビク

その後、牧野氏の手によって宗谷には以下の改造が施されることになります。




75: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:34:34 ID:GAv5Yem6

・船の側面にバルジという膨らみを設け、船体を二重外板にするとともに復原力(船が傾いたときに元に戻ろうとする力)を増加。

・船首部は板厚25ミリの鋼板製で喫水線に対し傾斜角27度の新規設計のものとし、砕氷能力を向上。

・船体各所の外板を合計板厚が25ミリとなるよう二重張りとして補強。

・石炭焚きであった艦本式ボイラーに代わり、機関に2,400馬力ディーゼル・エンジン2基搭載し、2軸推進へ変更。 これに伴い煙突を換装。

・ヒーリング装置(タンク内部の水を移動させ、船を前後左右に揺らすことで氷を割る装置)の搭載

・砕氷の障害となりうるビルジキール(揺れを減少させるために両舷船底につける板)の撤去。




76: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:35:13 ID:GAv5Yem6

・ソナー、音響測探儀を最新の物に換装。

・後部マストの形状を荒天下の用途に耐えうる門型に変更。

・荒天下でも使用できる舵への換装。さらに、これらの破損を防ぐための尾端材の強化。

・乗組員、観測隊員130名、観測資材400トン、大発型救命艇含む作業艇4隻、小型ヘリコプター2機びヘリ甲板とセスナ機を搭載、運用できるスペースを確保。

・上記に加え航続距離15,000海里(28,000km弱)、連続行動60日分の燃料と真水およびを搭載できるスペースを確保。

誰がどう見ても立派な魔改造です。本当にありがとうございました。




77: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:35:56 ID:GAv5Yem6

しかも恐るべきことに、これらの改造作業はわずか7か月という期間で実施された超突貫工事でした。そのため船体には大きな歪みが生じ、水漏れを起こすなど工事は難航しました。

宗谷「いたたたたたた!!」ギシギシ

工員「あ、ごめーん……」

それでも第1次観測隊の出発まで1ヵ月をを切った1956年10月17日、なんとか南極観測船「宗谷」は竣工式を迎えることができました。

その船体は灯台補給船時代の白から氷上でもよく目立つオレンジに塗装され、船首には巡視船を示す「PL-107」のナンバーが書き込まれていました。

no title

※観測船「宗谷」




78: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:37:18 ID:GAv5Yem6

1956年11月8日。

第1次観測隊を乗せて東京晴海埠頭を南極へ向けを出港する宗谷を見送るため、付近には凡そ5千人の観衆が集まっていました。

そして同日午前11時、宗谷は77名の乗組員と53名の観測隊員、22頭の樺太犬、1匹の猫、2羽のカナリア、貨物400トンを乗せ、観衆と乗組員や観測隊員の家族らを乗せた海上保安庁の巡視船「むろと」、「げんかい」、「つがる」に見送られ晴海を後にします。

なお、この第1次観測では東京水産大学の練習船「海鷹丸」が随伴船として共に南極海へと向かい、宗谷の行動をサポートしています。




79: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:41:05 ID:GAv5Yem6

宗谷「南太平洋かぁ……久しぶりだなぁ」

航海の途中宗谷は、戦艦大和の沈没地点やルソン島沖など、かつて自らも駆け巡った数々の戦場に献花を捧げています。

しかしその直後、宗谷はフィリピン沖で台風19,20号のダブル台風に襲われてしまいます。

乗組員「揺れすぎィ!!」ドップンチョ

乗組員「よく揺れる船だとは聞いてたけど、ちょっとひどすぎやしませんかね……」

先述の通り、この時宗谷は砕氷の邪魔になることから船の揺れを減少させるビルジキールを取り払っていました。

このことが仇になり、台風による凄まじい揺れは宗谷に搭載されていたセスナ機を破損させてしまいます。




80: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:42:32 ID:GAv5Yem6

乗組員「いくら船運がいいとはいえ、これじゃあ先が思いやられるよ……」ゲッソリ

船長(……そういえば、出港前に元海軍の人が『宗谷が沈まなかったのは艦内の宗谷神社のおかげ』と言ってたな)ウーム

戦前から戦中にかけて、多くの船の船内には船の名を冠した神社を設けていました。

戦後、GHQの命令によりこれらの神社は撤去されていましたが、このことを思い出した松本満次船長は再び船内に宗谷神社を復活させます。

その後、宗谷はなんとか台風を切り抜けシンガポールへ寄港。破損したセスナ機の修理を行います。




81: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:43:20 ID:GAv5Yem6

シンガポールを出港後の12月1日。宗谷は戦後初めて赤道を通過し、甲板上では赤道祭が行われました。

乗組員「これでやっと南極まで半分か……」

宗谷「あっ、流れ星!」

乗組員「おー、すごい数だ……航海の無事を祈っておこう」

ちなみにこの時宗谷がインド洋上で遭遇した流星群は、100年以上行方不明となっていたブランペイン彗星であったことが2005年に判明しています。

この辺りも、運の良い宗谷らしいエピソードといえます。




82: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:44:14 ID:GAv5Yem6

晴海を出港して1ヵ月余りが経った12月19日。

宗谷は南極観測の最前線基地となる南アフリカのケープタウンに入港します。

今後ケープタウンを出港すると、宗谷は「吠える40度」、「狂う50度」、「絶叫する60度」と呼ばれる南極海の暴風圏の中を突き進んでいくこととなります。

南緯40度〜60度の緯度帯では、地球を周回する偏西風や海流の行く手をさえぎる陸地がないため、風速や波の高さがとてつもないものになります。

これにより当地域の通過期間中にあたる元旦は船上でゆっくりすることができないため、乗組員はこの地で盛大なパーティーを執り行いました。




83: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:44:59 ID:GAv5Yem6

1956年12月31日。この年の大晦日、宗谷はついにケープタウン沖の暴風域に突入します。

フィリピン沖で襲われた台風でもそうだったように、ここでも宗谷は乗員たちを振り落さんばかりの勢いで波間に揺られます。

樺太犬「落ちちゃう!!」ズザザー

乗組員「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」ズザザー

この時の宗谷は横揺れの最大傾斜が40度まで達しました。通常、スキー場では上級者向けコースでも最大傾斜は30〜35度程度とされています。25度を超えた傾斜は、ほぼ壁です。

それでも宗谷はなんとかこの暴風圏を乗り切ります。




84: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:46:27 ID:GAv5Yem6

暴風圏を抜けた1957年1月4日。宗谷は最初の氷山に遭遇します。

3日後の1月7日には、偵察のため搭載していたベル47G型ヘリが宗谷の後甲板から発艦。これが日本初の南極上空飛行記録となっています。

上空からの偵察により、宗谷はもうじき南極を覆うパックアイスの先端に到達することが判明します。

パックアイスとは、海流に押し流された流氷が積み重なってできた、巨大な氷塊のことです。

南極大陸に接近するためには、宗谷はこのパックアイスをかき分けて進んでいくしかありません。




85: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:48:11 ID:GAv5Yem6

1957年1月10日、パックアイスの先端に到達。

ここで随伴船「海鷹丸」から航空燃料の入ったドラム缶を受け取ると、宗谷は単身氷塊の中に進入していきます。

とはいえ、ただ前に進めばいいというわけではありません。パックアイスはそれぞれ厚さが異なり、あまり無理に進もうとすれば船体にダメージを与えてしまいます。

さらに、これらの氷塊は常に海流によって流されています。もし進んだ先でパックアイスに囲まれてしまうと、氷上で身動きが取れなくなってしまう「ビセット」という状態に陥ってしまいます。

このため、南極大陸に接近するためにはパックアイスの裂け目や、氷の薄くなっているところを探しながら進んでいく必要がありました。




86: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:49:33 ID:GAv5Yem6

1957年1月16日。

氷状偵察に出ていたセスナ機が、プリンスオラフ海岸に沿って続く細長い開水域を発見。

この開水域は「利根水路」と名付けられ、宗谷はこの水路を進んでいきます。

過去に欧米各国の上陸を幾度も拒み続けたプリンスハラルド海岸に向け、時には立ちふさがる流氷をダイナマイトで発破しつつ、宗谷は着実に氷海の中を進んでいきます。

そして……




87: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:50:06 ID:GAv5Yem6

1957年1月24日。

南緯69度00分22秒・東経39度35分24秒。

宗谷はついに、オングル島プリンスハラルド海岸に接岸を成功させます。

船齢18年の老朽船が、歴史を塗り替えた瞬間でした。




88: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:50:40 ID:GAv5Yem6

到着後、すぐに犬ぞり隊が偵察として南極大陸に上陸します。

翌25日には観測基地をオングル島に設置することが決定し、搭載した物資の荷降ろしが始まりました。




89: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:51:11 ID:GAv5Yem6

1957年1月29日。

第1次南極地域観測隊がオングル島に公式上陸を果たし、基地を設営。

この基地を「昭和基地」と名付けました。

このニュースはすぐさま日本へと届けられ、街中では号外が出されるなど日本中が歓喜に湧きました。




90: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:51:49 ID:GAv5Yem6

乗組員「来たんだなぁ、南極大陸に」

宗谷「来たんですねぇ……」

乗組員「この船はまさに……そう、不可能を可能にする船だ」

乗組員の誰もがそう信じて疑いませんでした。




91: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:52:21 ID:GAv5Yem6

しかし、感慨に浸っている暇はありません。

観測隊が上陸してから2週間あまり。南極は季節が秋になりかけており、辺りには強風が吹きつけ気温も低下しはじめていました。

この強風により氷が緩んだ隙に、宗谷は一刻も早くプリンスハラルド海岸から離岸しなければいけません。




92: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:53:13 ID:GAv5Yem6

2月15日、宗谷は西堀栄三郎率いる越冬隊員11名を残し、接岸地点を離岸し日本への帰路につきます。

しかし翌16日には猛吹雪に見舞われ、ついに宗谷は氷中にビセットされてしまいます。

宗谷「ううう」ギシギシ

乗組員「くそー……氷にはまっちまった」

乗組員「なに、心配はいらない。俺たちが乗っているのは宗谷だぞ」




93: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:54:19 ID:GAv5Yem6

しかし、一週間経っても宗谷は氷から抜け出すことができません。

それどころか、閉じ込められた流氷ごと宗谷は南極沖を流され続けていました。

船長(これは下手すると乗組員を降ろして流氷中で越冬する羽目になるかもな……)

この事態を受け、海上保安庁はアメリカとソビエトに宗谷の救援を要請します。

そんな状況下でも宗谷は、氷中で何とかもがきつつ外洋に向け徐々に進んでいきました。




94: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:55:11 ID:GAv5Yem6

ビセット状態になってから約2週間後の2月28日早朝。

天候の回復によりビセットが解け、宗谷は砕氷を再開。午後には外洋まであと10kmほどの地点まで到達していました。

宗谷「ふう、ふう……」

海鷹丸「おーい!!」

オビ号「助けに来ましたわよ」

こうして宗谷は海鷹丸の誘導で救援に到着したソ連の砕氷船オビ号と合流。無事外洋へと脱出を果たします。




95: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:56:17 ID:GAv5Yem6

その後、宗谷はケープタウン沖で再び暴風圏に突入し、今航海最高となる片舷69度という凄まじい揺れに襲われます。壁です。

これを何とか切り抜け、3月10日ケープタウンに寄港すると、その後寄港したオビ号の乗組員と相互訪問を行い祝宴や意見交換会が開かれました。

なお、この時第1次南極観測隊長である永田氏と、宗谷航海長の山本順一氏は一足先に空路で帰国しています。

その後1ヵ月をかけ、宗谷は往路に辿った道を日本へと向け進んでいきます。

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※傾斜69度のイメージ(模型)




96: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:56:53 ID:GAv5Yem6

そして、1957年4月24日。宗谷はついに日本へと帰ってきました。




97: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:57:23 ID:GAv5Yem6

観衆「おかえり!!」

宗谷「ただいまー!!」

半年ぶりの宗谷の帰港を、観衆は盛大に迎え入れます。

こうして宗谷の名は、不可能を可能にした船として日本全国に知れ渡ることになるのです。




99: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 21:58:29 ID:GAv5Yem6

参考文献

衆議院会議録情報 第026回国会 文教委員会 第19号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/026/0462/02604170462019a.html
第1次観測を終えた永田氏への意見聴取議事録。




100: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/18(水) 22:55:43 ID:lIxy4E1.

おつおつ




101: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:54:20 ID:gRB8vZaQ

-偉大な宗谷よ、さようなら-




102: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:55:00 ID:gRB8vZaQ

宗谷の帰港に先駆け帰国していた永田・山本両氏は、文部省の南極地域観測統合推進本部(南極本部)へ招聘されます。

これは、彼らの意見をもとに翌年の第2次観測以降も宗谷を継続して使用することができるかどうかを判断するためでした。

南極本部「おかえり! で……どうだった?」

永田・山本「めっちゃ揺れた!!」

南極本部「でしょうなぁ……」




103: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:55:31 ID:gRB8vZaQ

山本「後はやはり砕氷能力に不安を感じますね」

永田「日本が割り当てられているプリンスハラルド海岸一帯は、南極でも随一の難所ですから」

南極本部「そりゃあ、ウチとしてもできれば新造船を用意してあげたいけれど、なかなか目途が立たなくてねぇ……」

永田・山本「でしょうなぁ……」

こうして第一次観測の知見を生かし、宗谷は砕氷能力やその他の性能を改善するための再改造を受けて継続使用されることが決定します。

なお、この時宗谷が受けた改修は以下の通りです。




104: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:56:11 ID:gRB8vZaQ

・船体設計を見直し砕氷能力を1.2mに向上。

・後部マストに続き前部マストも門型に変更。

・ビルジキールを砕氷の邪魔にならないよう4分割して設置。

・観測および航海のために10000mの深海まで使用できる音響測深儀を増備。




105: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:56:48 ID:gRB8vZaQ

・暴風圏での姿勢安定のため帆を常備。

・搭載機をセスナ機からより大型のDHC-2(昭和号)に変更。

・舷側の氷の状態を確認するため30cm探照灯2つと投光器8個を増設。

・貨物積載量、居住区画増加のため甲板を段差のない全通型平甲板(フラッシュデッキ)へ改造。

重ねて言いますが船齢18年の船に施す改造じゃありません。もはやテセウスの船状態です。




106: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:57:26 ID:gRB8vZaQ

こうして南極観測船として2回目の大規模改修を受けた宗谷は、前年の経験から出港を1ヵ月繰り上げ、1957年10月21日に東京港日の出埠桟橋を出港します。

前年の第1次観測の成功により、宗谷への期待はさらに高まっていました。

特にこの年の第2次観測は、いわば「下見」といえる第1次観測の時とは違い、IGYの本観測にあたるため関係者は絶対に成功させなければならないと意気込んでいました。




107: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:58:29 ID:gRB8vZaQ

ところが、この年の南極の気象状況は極めて厳しいものでした。

宗谷以外にも欧米各国の砕氷船がビセットしてしまうような状況の中、宗谷は再び南極大陸を目指します。

悪天候のため航空機を使った氷状偵察もできぬまま氷中を進む宗谷でしたが、この年の大晦日、ついに分厚いアイスパックに捕まってしまいます。

そしてその後1ヵ月もの間、宗谷は流氷と共に南極海域を流され続けました。




108: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 21:59:12 ID:gRB8vZaQ

翌1958年2月1日、船の周りを囲っていた氷が緩み、このチャンスを逃すまいと宗谷は脱出を試みます。

乗組員「がんばれ! ここで脱出できなかったらまた氷漬けのまま流されるぞ!!」

宗谷「あっ」ガリガリガリ

乗組員「スクリュー破損!!」

乗組員「いけないよそんなこと!!」

この脱出の際、宗谷は左舷スクリュープロペラのうち1枚を破損し、さらには1ヶ月間の漂流で搭載している食糧や水も余裕は僅かという、まさに絶体絶命の状態に陥ってしまいます。




109: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:00:09 ID:gRB8vZaQ

しかし、それから5日後の2月6日。宗谷は46日ぶりに外洋に脱出に成功。

翌7日には海上保安庁が救援を要請していた、アメリカ海軍の砕氷艦「バートン・アイランド」と合流します。

バートン・アイランド「私たちの力を合わせればこの難関も乗り越えられるわ!!」

宗谷「そ、そうでしょうか……」

こうして宗谷はバートン・アイランドの支援を受け、翌8日には再びパックアイスの中に進入を開始します。




110: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:00:53 ID:gRB8vZaQ

ところが、その日の午後のうちに宗谷を誘導していたバートン・アイランドの搭載ヘリが氷上に不時着。これを受け宗谷は救出活動を実施、進入をここでやめることとなります。

バートン・アイランド「吹雪には勝てなかったよ……」

宗谷「南極は怖いところです……」

乗組員「こりゃ、今年の接岸は無理だな……」

この段階で観測隊は南極への接岸を諦め、天候の回復を待って搭載している航空機(DHC-2、昭和号)で越冬隊員を引き揚げることを決定します。




111: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:01:49 ID:gRB8vZaQ

2月11日。それまで吹き荒れていた吹雪が収まり、なんとか昭和号を飛ばせるようになります。

2次観測隊「迎えにきたぞ!」

越冬隊員「よかった、やっと来てくれたか!」

2次観測隊「いまのうちに、人も物資も可能な限り運ぶんだ!!」

こうして宗谷は航空機によるピストン輸送を行い、1次越冬隊11名、樺太犬シロ子と子犬8匹、三毛猫1匹とカナリア2羽を帰船させます。

また、翌日には宗谷から下船した2次観測隊3名が昭和基地に到達します。




112: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:02:32 ID:gRB8vZaQ

ところが、この天候の回復は一時的なものでした。

2次観測隊が昭和基地に着いた翌日の2月13日になると再び天候が悪化。昭和号による空輸ができなくなってしまいます。

乗組員「くそー……また吹雪か」

乗組員「さすがに近代に至るまで人間の侵入を拒んでいた場所なだけある……昨日下船した2次観測隊は無事だろうか……」

過酷な状況に乗組員たちは神経をすり減らしていきます。




113: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:04:47 ID:gRB8vZaQ

翌14日、一瞬の晴れ間を見て昭和号を飛ばし、昭和基地に残っていた2次隊隊員3名を宗谷に再収容することが決まります。

宗谷から昭和基地の観測員たちには、その旨を知らせる無線連絡が発せられました。

観測隊『船長、何故です!? 第1次観測隊の残した物資もまだあります! 我々2次観測隊3名での越冬も十分可能です!』

船長「バートン・アイランドの艦長から勧告があった。君たち3人を連れて外洋に出るのは、人命を尊重する彼らの至上命題でもある」

観測隊『天候の回復を待てないのですか!?』

船長「それももう時間切れだ。おそらく迎えの飛行機も飛ばせてあと1回……君たちにはそれに乗って帰船してもらう」




114: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:05:40 ID:gRB8vZaQ

観測隊『1回って……それじゃあ我々が乗ったら、樺太犬たちを乗せるスペースがないじゃないですか!』

船長「……バートン・アイランドのヘンリー・ブランティンガム艦長から、彼らが野犬化したり共食いするのを防ぐために、必ず鎖でつないだ状態で帰船するよう指示がでている」

観測隊『犬たちを見殺しにしろと!?』

この時点で、樺太犬15頭がまだ昭和基地に取り残されていました。

観測隊3名を収容後も宗谷はしばらく昭和号を発信させる機会を窺っていましたが、天候は回復することなく、風速30mを超える猛吹雪により宗谷に搭載された探照灯と電話アンテナがもぎ取られ、宗谷と行動を共にしていたバートン・アイランドも氷中で身動きがとれなくなる事態となってしまいます。




115: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:06:37 ID:gRB8vZaQ

そしてついに、南極本部も観測隊に今次の越冬・本観測を放棄するよう命令を下したのです。

船長「現時点をもって今期の計画を断念。本船はこれより日本に向けて帰投する」

観測隊「……」

この時宗谷では、残された犬たちがせめて苦しまずに死ねるよう、ヒ素入りのステーキが用意されましたが、それを南極まで送り届けることもできないまま、2月24日の帰国期限を迎えます。

こうして第2次観測隊は昭和基地に15頭の樺太犬を残し、日本への帰途につくことになります。




116: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:07:29 ID:gRB8vZaQ

4月に入り、満身創痍の状態で日本に帰ってきた宗谷と観測隊を待っていたのは、南極観測の失敗と犬を見捨てて帰還したことに対する非難の嵐でした。

特に国民は、基地に鎖で繋がれたまま樺太犬を放置してきたことを激しく攻め立てました。

この苦い経験から海上保安庁は、宗谷を南極に接岸させるのではなく、大型ヘリコプターを使用した空輸を中心に人や物資を送り届ける方針へと転換します。

これにより宗谷は、大型ヘリコプターを搭載するために再び大きな改造が施されることとなります。




117: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:08:11 ID:gRB8vZaQ

・後部マストを移動し、飛行甲板を拡大。

・航空指令室を増設。

・航空機ガソリンタンクの設置。

・小型ヘリコプター格納庫の撤去。

・ヘリコプター吊り上げ用クレーンの増設。

・より大型のシコルスキーS-58ヘリコプターを2機搭載。




118: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:10:49 ID:gRB8vZaQ

この改造により、これまで搭載していた小型ヘリ2機に加え、大型ヘリ2機、固定翼機1機を搭載できるようになった宗谷は、乗組員や観測員から「ヘリ空母」や「ミニ空母」と呼ばれるようになります

この時代、大型ヘリコプターを中心に人員や物資を基地まで空輸するという方法は、未だ前例のないものでした。

また、この他にも各種実験・観測設備が一新され、観測能力も大幅に強化された宗谷は、同年11月12日に第3次観測隊を乗せ三度南極へ向かいます。




119: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:11:41 ID:gRB8vZaQ

翌1959年1月14日。

宗谷は厚い氷と戦いながらなんとか昭和基地の北・約163kmの地点まで到達します。

ここで宗谷は氷上にヘリポートを設け、搭載しているS-58ヘリコプターで昭和基地への航空輸送を行うことを決定します。

観測隊「基地に着いたら、アイツらの墓を作ってやらにゃあな……」

そして同日午後1時38分。第一便のヘリが昭和基地に向け飛び立ちます。




120: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:12:40 ID:gRB8vZaQ

観測隊「見えてきた、昭和基地だ……ん? なんだあれは」

観測隊「熊……?」

観測隊「いや南極に熊はいないだろう……もしかして!?」

なんとそれは前年昭和基地に取り残されていた樺太犬のうちの2匹でした。

彼らは1年間、南極の厳しい環境の中で生き抜いていたのです。




121: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:14:29 ID:gRB8vZaQ

その後、2匹は第1次越冬隊で犬ぞり隊を務めていた北村泰一氏により「タロ」と「ジロ」の兄弟であることが確認されます。この奇跡的な出来事に、観測隊員や乗組員は喜びに包まれます。

タロとジロ以外の13頭については残念ながらそのまま命を落としてしまい、たまたま首輪抜けが得意だったこの2匹のみが、ペンギンやアザラシなどを食べて生き残ったと考えられています。

2匹が生きていたというニュースは、日本中に衝撃と感動をもたらした一方、人間の都合で犬の命を左右するエゴイズムや、南極の生態系を危険にさらした事実については引き続き批判の声も聞かれました。

なお、現在では生態系保護のため、南極にこれらの外来生物を持ち込むことはできなくなっています。




122: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:15:40 ID:gRB8vZaQ

また、この第3次観測の際に導入された空輸を中心とした基地への物資輸送については、大型ヘリコプターだけで実に57tという当初の計画の2倍以上の成果を上げ、アメリカやソビエトを中心とした各国に大いに注目されることとなります。

そして、この空輸を基本とした輸送体制は後継艦のふじ、しらせに至るまで脈々と受け継がれることになります。




123: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:16:12 ID:gRB8vZaQ

その後宗谷は、1961年の第6次観測まで南極観測船として活躍します。

本来はこの第6次観測をもって南極観測は終了、昭和基地も閉鎖される計画でしたが、日本学術会議の「南極観測を恒久的な事業にするべき」との勧告をうけ、4年の休止期間をおき、1965年から南極観測事業を再開することが決定します。

この際、海上輸送任務については海上保安庁から海上自衛隊へと移管されることになり、海上自衛隊は新型砕氷艦である「ふじ」を建造することを決定。宗谷は初代南極観測船としての任務を終えることになります。

宗谷「ふぅ……」ボロッ

この時宗谷は船齢25年余り。すでに船体はあちこちガタがきており、普通の船であればとっくに引退していてもおかしくない状態でした。




124: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:16:46 ID:gRB8vZaQ

海上保安庁「お疲れ様」

宗谷「お疲れ様です……」

海上保安庁「よく頑張ったね」

宗谷「これで私もそろそろお役御免でしょうか……」

海上保安庁「いや、それがね……」




125: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:17:59 ID:gRB8vZaQ

当時、海上保安庁では流氷の漂う北海での海難事故への対応に苦慮していました。

南極観測船として活躍した宗谷でしたが、登録上はまだ巡視船であり、さらに南極観測を6回も成功させたという実績はまさにこの任務にうってつけだったのです。

さらに、当時海上保安庁最大の巡視船だった宗谷は、所属船艇の旗艦・模範船として、いつしか海上保安庁の中でトップとして君臨していました。

海上保安庁「君の力がまだ必要なんだよ」

宗谷「が、頑張ります」




126: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:21:52 ID:gRB8vZaQ

1962年6月15日。

宗谷は日本鋼管浅野ドックに入渠し、観測機器や航空機関係の重装備を降ろします。しかし船体の塗装は観測船時代の白とオレンジのまま留め置かれました。

8月1日には宗谷は第三管区海上保安本部所属になり、サケ・マス漁業監視のため北海道の第一管区釧路海上保安部へ旅立ちました。

宗谷「灯台を回ってた時の事を思い出すなぁ……」

なお、宗谷の灯台補給船時代の最後の船長であった松原周吉氏はこの時函館海上保安部長となっており、宗谷が先述の釧路での監視任務を終え、8月24日に函館港に入港した際には第一管区所属の全巡視船を集合させ宗谷のために観艦式が執り行われました。

しかし、同日午後11時。

三宅島の雄山噴火の報せ受けた宗谷は、急遽函館港から東京湾へ引き返します。




127: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:23:29 ID:gRB8vZaQ

そして翌9月14日には、千葉県館山市に疎開していた学童凡そ2千名を三宅島まで送り届けることになります。

子供「すげー!!南極観測船だ!!」

実際に南極へ行った宗谷に乗り込むことになった子供たちは、大変な喜びようだったといいます。

しかし彼らを送り届けたのもつかの間、2週間後の9月28日には金華山沖南東1500キロの海域で操業していたマグロ漁船から医療救助の通報が横浜海上保安部に入り、宗谷に出動命令が下ります。

宗谷は医師1名と看護師2名を乗せ、現場海域へ急行します。

さらに翌29日には同海域で操業中の別の船からも医療救助を求められたため、宗谷はこちらにも救助へ向かっています。

最終的に、どちらの船の患者も宗谷が現場に急行したことにより命を取り留めることができました。




128: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:24:31 ID:gRB8vZaQ

この頃の宗谷は函館を母港としており、冬になるとオホーツク海で流氷を割りながらパトロールを実施し、流氷に閉じ込められた漁船や同僚の巡視船を救助しにいきました。

宗谷「大丈夫ですか〜」バリバリ

漁師「こんな分厚い氷をいともたやすく!!」

漁師「やっぱ南極観測船は伊達じゃねぇべなぁ……」

南極の分厚い氷と戦い続けた宗谷にとって、この程度の流氷を割ることなど朝飯前の乾布摩擦レベルでした。

その後、宗谷は正式に北海道沿岸を管轄する第一管区海上保安本部に配属されます。




129: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:26:10 ID:gRB8vZaQ

1965年7月15日。

二代目南極観測船「ふじ」の就役に伴い、宗谷は南極観測船としての役割を正式に終えることになります。

ふじの出発に先立ち、10月25日には宗谷と海鷹丸の観測をもとにした詳細な南極海図が完成します。

これは、初めて南極に向かうふじの門出に向けて作られたものでした。

1965年11月20日にふじは第7次南極観測隊を乗せ東京を晴海埠頭を出港し、その後1983年の第24次隊にいたる18年もの間、南極観測船としてその役割を果たしています。




130: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:27:46 ID:gRB8vZaQ

1970年3月16日。

カムチャッカ方面を哨戒中の宗谷に、釧路保安部から「単冠湾へ急行せよ」との緊急指令が入ります。

この時現場では沖合底曳漁船団19隻が猛吹雪の中流氷に襲われ、1隻は流氷に押し流され大破。7隻が閉じ込められるという未曽有の事態が発生していました。

さらに、閉じ込められた2隻はそのまま流氷に潰されて転覆。当該船の乗組員は行方不明になり、残り5隻の乗組員たちも18日に択捉島に上陸、ソビエト当局に保護されていました。




131: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:28:34 ID:gRB8vZaQ

宗谷は巡視船「だいおう」、「えりも」、「りしり」と合流、これらの救難探索及びその指揮に当たります。

22日、宗谷は単冠湾内でソ連警備艇から84名の漁船乗組員を引き取り、翌23日には未だ流氷の浮かぶ釧路港に生存者を降ろすと再び流氷群の中に引き返します。

その後行方不明となった2隻の乗組員の捜索が続けられたものの、成果はあがらず27日には捜索が打ち切られます。

宗谷は汽笛を鳴らし、黙祷捧げて現場海域を後にしました。

この頃から宗谷は、漁師たちの間で「北洋の守り神」と呼ばれるようになります。




132: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:29:42 ID:gRB8vZaQ

その後も宗谷は北海道の海の安全を守り続け、巡視船時代だけで1000名余りの命を救っています。

上記の単冠湾での任務の直後、宗谷の船体はオレンジ色から巡視船本来の白い色に塗り替えられ、その姿はかつて「灯台の白姫」と呼ばれた灯台補給船時代を彷彿とさせる佇まいとなりました。

またこの間宗谷は海上保安学校の練習航海で未来の海上保安官候補正を育む教育船としても使用され、海上保安庁の旗艦、模範船として退役するまでトップの座にあり続けました。

ですがそんな宗谷にも、いよいよ引退の時期が近づいてきます。




133: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:30:48 ID:gRB8vZaQ

1977年。

第1次南極観測から20年を迎えたこの年、宗谷がかつて所属した灯台補給船の種別が廃止されます。

自動化や合理化の進んだ新時代の到来により、宗谷の後継船として巡視船「つしま」(LL01)が就役すると、宗谷にもいよいよ解役の話が出始めます。

1938年に建造され40年近く第一線で働き続けたその船体は、水漏れや各種配線の腐食、パイプの破損、雨漏りをはじめ、船内には隙間風が吹き込むなど、すでに限界の時を迎えていました。

誰もが、宗谷はこのままスクラップになるものと思っていました。




134: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:33:14 ID:gRB8vZaQ

1978年3月。

宗谷にとって、最後の流氷の中での救助任務が始まります。

この年の2月末から稚内港に流れ込んだ流氷は、付近に停泊していた漁船を巻き込んで港内で氷結。

利尻・礼文などを結ぶフェリーや、タンカー、貨物船などの物資を運ぶ船も入港できないという状態になってしまいます。

この時、事態を重く見た稚内市長の浜森辰雄氏は、海上保安庁に宗谷を名指しして救援を要請します。

稚内には宗谷の名前の元となった宗谷岬があり、南極へ行ったタロとジロの出身地でもあることから、引退後も宗谷を保存しようという運動が起こるほどこの船が人気があり、また絶大な信頼を寄せられていたのです。




135: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:33:55 ID:gRB8vZaQ

この時宗谷は択捉島沖で航行不能になった漁船を曳航していましたが、係る要請を受け僚船にその任務を任せると、函館を経由し稚内へと向かいます。

宗谷「すごい吹雪……」

宗谷が稚内の沖合に到着したのは、要請を受けてから2日後の3月11日夜のことでした。

しかし、この時はあまりの猛吹雪のため前に進むこともできず、翌日になっても氷状調査を行う予定の航空機すら飛ばすことができない状態でした。

このため、当時の宗谷船長有安欽一氏は単独での氷海突入を命じます。




136: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:34:48 ID:gRB8vZaQ

この時稚内港周辺の海域には厚さ1.5mの流氷が立ちふさがり、然しもの宗谷といえども簡単には前に進むことができませんでした。

宗谷はかつて南極でそうしたように、「チャージング」と呼ばれる船を一旦後ろに下げ勢いをつけて突進することで氷を割る方法を駆使しながら稚内港への進入を試みます。

船齢40年のくたびれた宗谷の煙突は、機関が唸りを上げる度に火の粉を吹いたといわれています。

こうして宗谷は、稚内港に閉じ込められていた40隻余りの船を退避させることに成功します。




137: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:35:22 ID:gRB8vZaQ

そして、1978年7月3日。

ついに宗谷の解役が決まります。




138: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:36:06 ID:gRB8vZaQ

宗谷の最後の任務として与えられたのは、舞鶴海上保安学校学生の実習をかねた全国14の港を巡る「サヨナラ航海」でした。

8月2日に舞鶴を出港し、門司、広島、高松、神戸、名古屋、横浜、東京、塩釜、函館、小樽、新潟、青森と、一か月をかけて宗谷は全国の港を巡ります。

9月2日に立ち寄った青森港では、歓迎飛行のために海上自衛隊大湊地方隊のヘリコプター2機が飛来し、宗谷の飛行甲板に、大湊総監、江上純一海将からのメッセージを投下します。

『―――同じ海上に勤務する者として輝かしい宗谷の栄光と歴代乗組員の努力に最大の敬意を表します』




139: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:36:58 ID:gRB8vZaQ

翌9月4日。

稚内市青年会議所からの「稚内市へ最後にもう一度」という陳情を受け、宗谷のサヨナラ航海は稚内へと続きます。

さらに翌日の9月5日には、宗谷の引退後の保存先が東京都お台場の「船の科学館」に決まります。

これは特務艦時代の宗谷の乗組員たちの戦友会「軍艦宗谷会」や、南極観測隊たちにより結成された「南極OB会」、さらには稚内市を始め11の地方公共団体や多くの国民から宗谷保存への希望に、海上保安庁が応えたものでした。

こうして宗谷は、現役を退いてなお人々の前にその姿を残すこととなるのです。




140: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:37:33 ID:gRB8vZaQ

9月28日、午前9時。

稚内へのサヨナラ航海を終え、長年の母港である函館港を宗谷はUW(ご幸福を祈る)の旗旒信号を掲げ、解役式が行われる東京竹芝埠頭に向け出港します。

これが、宗谷にとって最後の航海となりました




141: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:38:19 ID:gRB8vZaQ

1978年10月2日。

竹芝桟橋にて宗谷の解役式が執り行われます。

解役式には海上保安庁の歴代長官や歴代船長、南極観測隊員、宗谷にゆかりある人々が出席。

海上自衛隊音楽隊が演奏する国歌とともに、宗谷から国旗、海上保安庁旗、長官旗が下され、有安船長から高橋長官に返納されると、宗谷は40年にわたる現役生活に幕を引きます。

2016年現在、60年以上におよぶ海上保安庁の歴史の中で、長官が解役式に出席したのは後にも先にもこの宗谷だけとなっています。




142: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:38:59 ID:gRB8vZaQ

巡視船時代だけでも宗谷は350件以上の海難救助出動により125隻の船舶と1000名以上の人を救助しています。

それ以外にも、南極観測船時代には多くの人や物資を南極へと運び、引揚船時代は19000人余りの邦人を日本へと連れ戻し、軍艦時代には数々の戦火を潜り抜け海図を作り上げるなど、宗谷は世界でも有数の功労船といえます。

まさに、掛値なしに「奇跡の船」なのです。




143: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:39:36 ID:gRB8vZaQ

その後宗谷は南極観測船時代のオレンジ色に船体を塗装しなおし、現在に至るまで東京はお台場にある船の科学館に展示されています。

また、進水からちょうど70年目にあたる2008年2月16日には、靖国神社より権宮司を招き誕生70年を祝う古希祭が執り行われました。

現在でも宗谷は海上保安庁特殊救難隊の訓練所としても使われており、場合によっては舫をといて航行することができます。

旧海軍の船で現存しているものといえば東郷平八郎の乗船した三笠が有名ですが、三笠はすでに船体がコンクリートに埋め込まれているため、宗谷は現在でも船籍を有している唯一の日本海軍の艦でもあります。




144: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:42:00 ID:gRB8vZaQ

2014年11月11日。

第56次観測隊員を乗せて東京晴海埠頭を南極へ向け出港した海上自衛隊の南極観測船「しらせ」を、宗谷はUW(ご安航を祈る)の旗旒信号を掲げ汽笛で見送ります。

数奇な運命を辿り、70年の時を超えてなお海の上に浮かび続ける彼女は、今でも後輩たちを暖かく見守っています。




145: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:42:34 ID:gRB8vZaQ

-おわり-




146: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:43:07 ID:gRB8vZaQ

衆議院会議録情報 第028回国会 文教委員会 第14号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/028/0462/02804010462014a.html
第2次観測を放棄する形で終えた永田氏への意見聴取議事録。




147: 以下、名無しが深夜にお送りします 2016/05/19(木) 22:44:25 ID:gRB8vZaQ

船の科学館ビッグサイト近いからコミケの帰り寄ってみるといいよ!
超でかいディーゼルエンジンの展示があってテンションあがる


次は氷川丸かコンスティチューションあたり




・SS深夜VIPに投稿されたスレッドの紹介でした
 現存するババァ船の船歴をまとめてみた(宗谷編)
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