転載元:姪「お兄ちゃんのこと、好きだよ?」男「……そう?


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596: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:48:40.92 ID:sIBdVn+so




 ケイくんは部屋にわたしを招くと白くて丸い小さなテーブルの上でコーヒーを入れてわたしに差し出してくれた。
 ベッドの上にはニッパーとギターが転がっている。本棚にはギター関係の雑誌と教本とバンドスコアが入っていた。
 机の上には少し前の型のノートパソコンが置かれている。
 わたしは彼がギターを弾くということをそのとき初めて知った。

「それで?」

 と彼は言った。

「手伝ってほしいことってなに?」

「うん」

 と頷いてコーヒーに口をつける。そうしてから、自分は彼に何をしてもらうために来たのかがいまいち分からなくなってしまった。
 どうなのだろう?

「……えっと」

 そもそもわたしは何をしたかったんだっけ?
 ……いや、それを忘れるのはさすがにまずいだろう。
 





597: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:49:25.24 ID:sIBdVn+so


 わたしは少しだけ不安になった。わたしは自分で思っているよりもずっと死に近付いているのかもしれない。
 連続性と妥当性の喪失。

「……うん、とにかく、ついてきてほしい」

 ケイくんは呆れた顔で何かを考え込んでいるようだった。 
 でも他にいいようがない。
 ここにきてわたしの不安は拡大する。
 
 いつのまにかわたしがわたし自身を見失おうとしている。
 このままではどこか暗くて深い場所にひとりぼっちで吸い込まれてしまいそうな気がした。
 足元がぐらついてぬかるみのように足を取る。わたしはどこか深い場所にのみこまれている。

 この不安はいったいなんなんだろう。
 時間がないのだ。

「……とにかく、一緒に来てほしい」






598: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:49:54.33 ID:sIBdVn+so


「分からないな」

 と彼は言った。

「何を手伝うのかも説明できない。でもついてきてほしい」

 そこで彼は一拍おいてコーヒーに口をつける。それから部屋のベッドのうえのギターを見た。

「自分でおかしなことを言ってるって分かってるよな?」

 わたしは沈黙する。何も言い返せることはなかった。
 自分が彼を必要としていることははっきりとわかった。でもそれがどのような形でなのかは分からない。
 言いよどむわたしに、彼はまた溜め息をつく。そして不似合なほど親切な声で言った。

「別に手伝うのがいやだってわけじゃない。ただ説明してほしいだけなんだ」

 わたしは頭の中で考えを整理して、それから慎重に言葉に出してみた。






599: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:50:28.11 ID:sIBdVn+so


「このままだと死んでしまうの」

「誰が?」

「……わたしの叔父さん」

「病気か何か?」

 彼は訊ね返してから、思い直すように首を振った。

「悪いけど、そういうことなら手伝えることは何もない」

「そうじゃないの。そうじゃなくて……」

 わたしは上手く説明しようとしたけれど、口が思うように動かなかったし、考えも思うようにまとまらなかった。
 わたしはいったい彼に何を説明しようとしているんだろう。

 今日は八月三日。この世界のわたしは既に死んでいる。今のわたしは幽霊みたいなものだ。

「大きな流れみたいなものがあって、わたしはそこに飛び込んだの。その結果、何かを変えられるかもしれない」

 彼は怪訝そうに眉を寄せる。わたしは緊張した。

「抽象的だな。よく分からない」

 わたしが必死に言いつのったところで、伝わるのは言葉のうえの意味だけだ。
 
「その、何かを変える作業を、僕に手伝えってこと?」

「……そういうことになる、かも」

「僕は必要なの?」

 とケイくんは大真面目な顔で言った。わたしは口籠ってしまう。
 その一瞬の隙を彼は見逃さなかった。






600: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:50:54.10 ID:sIBdVn+so


「必要ってわけじゃないんだろ? だったらなぜ巻き込もうとするんだ?」

 寂しいから。
 なんて言えない。
 どうなんだろう。いまだって段々と自分の考えが分からなくなっていく。

 蛍光灯の薄明かりに照らされた部屋の中は夏だというのになんだか寒々しい。
 カーテンが開けっ放しになっていて、窓の外が真っ暗に見える。

「わたしには……やらなきゃいけないことがあるの」

「やらなきゃいけないことなんてないよ。やりたいこととやれないことがあるだけだ」

 と彼は言った。

「でも、このままじゃダメなんだよ。このままだと、死んでしまうの」

「じゃ、そのあとは、どうするんだ?」

「……どういう意味?」

「だから、死んでしまうんだろ? それで、その人を死なせたくないから、どうにかしようと言っているわけだ」

 そうだろ、とケイくんは言う。わたしは頷く。そう、そういう話だった。

「でも、仮にそれをどうにかできるとして、どうするんだ?」

「なにが」

 とわたしは少し動揺しながら訊きかえした。彼の言葉の続きをあらかじめ知っているみたいに思えた。

「だから、お前はその人が死にそうになるたびに、流れとやらに飛び込んで何かを変え続けるつもりなのかってことだよ」

「……それは、だって、死んでほしくないから」

「そりゃそうだ。でも人はいずれ死ぬ。いつ死んだって悲しいものは悲しい。それを変えようだなんて変だよ」

「変?」

「いびつだ」

 わたしは何も言えずに押し黙る。






601: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:51:20.82 ID:sIBdVn+so


「第一、その人はどうして死ぬんだ?」

「……それは、わたしが死ぬから」

 彼はそこで一瞬だけ表情をこわばらせた。
 でもわたしは、そうじゃないかもしれない、と思っていたのだった。

「未来が見えるとか、そういう話?」

 彼は胡散臭そうに言った。わたしは白状することにした。

「そう。そういう話。わたしには未来が分かってるの。このままだと彼は死んでしまうの。わたしはそれをなんとしてでも避けたい」

「じゃあ死ななきゃいいだろ」

 うんざりしたようなケイくんの言葉に、わたしはその通りだと思う。でももう死んでしまっているのだ。
 ……だから過去まで行かなきゃいけない。でも、そうしたところで、この世界の未来は変わらない。
 だったらわたしがしていることってなんなんだろう?

「そういうわけにもいかないみたいだな」

 彼はここで初めて表情に怒りを滲ませた。

「どうして死ぬんだ?」

「……どっちが?」

「お前だよ。病気か、事故か」

「……」

 わたしは何の反応も返さなかった。彼はそれを予感していたふうですらあった。






602: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:51:51.43 ID:sIBdVn+so


「いったい何が起こるって言うんだ?」

「それは……言いたくない」

「叔父の死が避けたいのは分かった。でも、自分の死を避けようとは思わないのか?」

 それはあまりに、都合がよすぎる。

「叔父の死の原因が自分の死なんだって言ったな」

 ケイくんの言葉には咎めるみたいな響きがあった。

「要するにお前は、自分が死にたくないわけじゃないんだな。後ろめたさを感じずに死にたいだけなんだろ」

 どう言い返せばいいか分からなかった。

「お前は諦めてるんだろ。そして逃げるつもりなんだ」

 言い返すかわりに、立ち上がってベッドの上に置きっぱなしだったギターを抱えた。
 ニッパーを掴んで弦にあてる。

「うだうだ言ってないで手伝って! こいつがどうなってもいいのか!」

 自分でもバカみたいだと思いつつ、脅しにかかる。正直口だと彼にはかなわない。

「いいよ。どうせ弦交換するつもりだったし」

 彼の反応は至って冷静だった。わたしは泣きたくなる。
 わたしだって本当は、自分がしていることに何の意味があるのか分かっちゃいないのだ。
 自分がやっていることはたぶん不毛で、無意味なんだ。何かのイニシエーションみたいなもの。
 それも身勝手で、たしかにいびつなのだ。でもせずにはいられない。
 





603: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:52:38.05 ID:sIBdVn+so


「それと、弦はゆるめないと切りにくいし、跳ねるよ」

 わたしはニッパーを構えて力いっぱい弦を切ろうとする。でも力を籠めてもなかなかきれなかった。
 お兄ちゃんがしているのを、子供の頃何度か見たことがある。わたしは年をとったけれど、できないことがたくさんある。
 だからお兄ちゃんなしじゃ生きていけなかった。お兄ちゃんがいなくちゃ不安で、生きていける気がしなかった。

 それなのにお兄ちゃんはわたしを置いていったのだ。
 恨んでいるし、怒っているし、悲しいし寂しい。でもそれは仕方ないことだと心のどこかで分かってはいた。

 でも、じゃあ、どうすればよかったんだろう? 

「なあ、手伝うよ」

 とケイくんは言った。

「だから死なないでくれよ」

 わたしは本当に涙を流しかけた。でもそれはもう手遅れなのだ。 
 わたしはとっくに手遅れの住人なのだ。ケイくんの声は彼らしくもなく震えている。
 それがいっそう悲しい。あの日彼がわたしの傍にいてくれれば、わたしは死ななかったかもしれない。
 そう声を掛けてくれたなら。でも、それを聞き逃したのは他でもないわたし自身なのだ。
 誰の声も耳にしたくなかったのはわたし自身なのだ。
 
 すべての原因はわたしにある。いつだって。誰のせいにもできない。






604: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/24(土) 14:53:15.53 ID:sIBdVn+so




 
 ケイくんはわたしからそれ以上の説明を引き出そうとするのを諦めたようだった。 
 わたしは念のため、彼のギターをソフトケースに突っ込んで背負った。

「これ、人質ね」

 彼はお手上げというふうに肩をすくめて溜め息をついた。

「ありがとう」

 とわたしは言った。なるべく真面目に言ったつもりだった。ケイくんは顔をしかめる。

「いいよ、別に。迷惑してるけど」

 それは本当にそうだろう。出かける準備をして戸締りを確認し、部屋の灯りを消す。
 鍵を閉めて、アパートを出た。

「出かけるのは分かったけど、どこに行けばいいんだ?」

 彼の問いに、わたしは簡単に答える。

「過去」

 何度目かの溜め息を彼はついた。わたしは少しだけ笑った。






608: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:22:47.13 ID:0XXjShCvo





 わたしとケイくんはふたりでショールームへと向かった。微妙に距離があったけど、歩くのは苦痛じゃない。
 物質的な距離は最初から問題にならなかった。移動にかかる時間も。
 
 あのあとすぐ、わたしはスマホを取り出して、魔法使いに電話を掛け、例の世界に戻る手筈を整えてもらうことにした。
 彼女には何か、他にしなければならないことがあったらしいが、そんなのはわたしの知ったことではない。

 仕方なさそうに彼女はわたしに指示を下した。とにかくショールームに戻るようにと。法則が読めない。
 彼女はどのような条件下で他人を移動させることができるんだろう? でもそんな超常現象を説明づけたところで仕方ない。

 ショールームについてすぐ、わたしはふたたび魔法使いに電話を掛けようとした。
 
 でも、電話が繋がらない。
 なんだろう? 妙な不安がある。 
  
「どうした?」

 とケイくんが言う。わたしは首を振る。大丈夫なはずだ。何の問題もないはずだ。
 なんだか、ひどく肌寒い。頭痛に額を押さえると、じっとりと汗が滲んでいた。
 鼓動が早まる。なにが起こっているんだろう。






609: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:23:22.45 ID:0XXjShCvo


 わたしは扉に手を掛け、ショールームに忍び込む。ケイくんは少し躊躇してからわたしを追ってきた。
 立ち止まって呼吸を整えてから気分を持ち直そうとする。
 
「大丈夫なのか?」

「ぜんぜん、大丈夫」

「誰もお前の体調なんて心配してない。忍び込んで大丈夫なのか、って聞いてる」

 ちょっとひどい。

「……あのね。もうちょっと心配してくれてもいいと思うの」

「じゃあ、大丈夫か?」

「うん。大丈夫」

「……何の意味があるんだよ、この会話」
 





610: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:23:51.85 ID:0XXjShCvo


「会話には、会話であるからこその効用があるんだよ。会話であるだけでね」

「何を言ってるのか分からない」

 実はわたしもよく分かっていない。

「それで――大丈夫なのか?」

「だから、大丈夫」

「そうじゃなくて。忍び込んで」

「大丈夫でしょ、たぶん」

「……たぶんって」

 そんな会話をしていると、奥から誰かの話し声が聞こえた。






611: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:24:17.71 ID:0XXjShCvo


「……本当に大丈夫?」

 少し小声で、ケイくんは訊ねる。わたしも小声で答えた。

「……たぶん」

「……当てにならないな」

 隠れた方がいいんじゃない? とケイくんは言った。

「……でも、入れた」

「なにが」

「ここに入れたよ。入口に鍵はかかってなかった。別に場所が違ってるわけじゃないんだ。ちゃんと繋がってるはずなんだよ」

「何の話? ……いったいどこと?」

「控室。だから、話し声が聞こえるとしたら……」
 
 魔法使いのもの。
 





612: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:24:51.54 ID:0XXjShCvo


「警備員の見回りじゃないのか?」

「いま何時だと思ってるの? 三時だよ、夜中の三時。いくら警備員って言っても、こんな場所をこんな時間に見まわりするの?」

「それは、僕は警備会社の人間じゃないから、分からないけど」

 彼はちょっと戸惑ったように頬を掻いた。

「もしくは、密談とか?」

「……うーん」

「幽霊、なんていうのもありか」

 それは既に彼の目の前にいる。ちょっとは怖がるかと思ったのか、ケイくんは拍子抜けしたような顔をした。
 少し申し訳ない。

 それにしても、なんだか体がだるい。
 耳鳴りすらしてきそうだ。……これは単なる体調の悪化なんだろうか、本当に?







613: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:25:50.76 ID:0XXjShCvo


「とにかく……近付いてみよう」

「見つかるかも知れないぞ」

「見つからないように近付けばいい。そうでしょ?」

「……やっぱり来なきゃよかったな」

 ケイくんはうそぶいて肩を竦める。わたしは足音を立てないように気をつけて声のする方向へ向かった。
 なんだかんだ言いつつ、彼もわたしの後ろをついてくる。
 
 少しずつ声のする方に近づいている、はずなのだが、なかなか声の主の姿が見えない。
 でも、たしかに近付いている。……でも、近付いていて、声も大きくなってきているのに、姿が見えない。
 まるで誘われているみたいに感じるのは、ちょっと不思議体験を繰り返しすぎて神経が高ぶってるんだろうか。

 慎重に足を進めているうちに、話の内容が聞き取れるようになってくる。

「……本当に、そんなことをするつもり?」

 聞き覚えのある、女の声だった。けれど、雰囲気が違う。なんだろう?






614: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:26:47.32 ID:0XXjShCvo



「それができるんだろう?」

 今度は、男の声がした。知らない声だ。……いや、知っている声だ。 
 わたしはこの相手のことを知らない、と確信する。
 でも、わたしはこの声を聞いたことがある。

 間違いようがない。この声は、お兄ちゃんの声だ。雰囲気が違っているけれど……。

「俺は」

 と声は言った。でも変だ。彼はそんなふうに自分のことを呼ばなかった。

「変えなきゃいけないんだ。いつまでも逃げてばかりはいられない。向かい合わなきゃいけないんだ」

 声を辿っているうちに、階段にたどり着いた。この会話はこの階段の上から聞こえてきているのだろうか。

「……なあ、明らかに、面倒な感じなんだけど」

「静かに」

 あからさまにやる気のないケイくんを嗜めて、わたしは階段を昇る。うしろで彼が静かに溜め息をついた。






615: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:27:14.29 ID:0XXjShCvo


「でも、そうしたところであなたが手に入れられるものなんてなにひとつない」

「そこは、お前に口出しされるところじゃない。それに俺は、別に結果を変えたいわけじゃないんだ」

 会話は続いている。
 階段を昇ってすぐ、細い通路に出る。左手はただの壁で、右手には三つ扉が並んでいた。
 
 息を殺して、進む。

「お前が俺を誘ったんだろ?」

「そりゃ、そうなんだけどさ」

「だったら、文句を言わずにさっさと始めろ」

「でも、上手くいくとは限らないよ」

「そのときは」

 力強い調子の男の声に、女は気圧されたような声を漏らす。






616: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:27:56.30 ID:0XXjShCvo


「お前がどうにかしろ。どうにかできる、とお前が言ったんだ。どうにかできなかったら詐欺だ。契約不履行。そうだろ?」

「……でも、わたしにだってできることとできないことがあるんだ」

「できる限りでいい」

 一番奥の扉の前に立って、わたしはノブを掴んだ。
 
「おい、やめとけって」

 うしろからケイくんがわたしを止める。……そうだ。何を考えているんだ、わたしは。
 頭が回っていないのかもしれない。でも、ふたりはいったい何をしているんだろう?
 この状況はなんだろう?

「できる限りでいい。もし俺がやったことが、結局失敗で、無意味になりそうだったら――」

 声は言う。

「――お前がなんとかしろ。絶対だ。約束だ」

「簡単に言わないで」

「難しく言っても仕方ないだろ? なあ、こんなチャンスをくれて、お前には一応感謝してるんだぜ」

「……」

 そこで魔法使いらしき声は黙った。
 わたしはノブを握ったまま目を瞑り、頭痛を堪える。






617: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:28:25.00 ID:0XXjShCvo


「どうして?」

 数秒の沈黙のあと、魔法使いがふたたび口を開いたようだった。

「どうしてそこまでこだわるの? あなたにはどうしようもないことだった」

「そうだよ。俺は無関係で、たぶん何の責任もない。でも、俺はあの子のあんな死に方を認めるわけにはいかないんだ」

「なぜ?」

「イライラするんだよ」

 憤った調子で男の声が荒くなる。わたしは少しだけ怖くなったけど、でもそれはびっくりしただけで、心の底から怯えたわけじゃない。

「無関係だった自分に腹が立つんだよ。いや、そうじゃないのかもしれない。でも他に言いようがない。上手く言葉にできない」

 とにかく――納得できないんだ。
 男の声がそんな言葉を放つ。
 わたしはノブを回す。
 
 ケイくんが何かを言うよりも先に扉を開いた。
 扉の向こうには、誰もいなかった。






618: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:28:51.04 ID:0XXjShCvo







 ファミレスを出た僕と魔女は、そのまま例のショールームへと向かった。
 結局、僕はこの場所に何をしにきたのだろう? そんなことを考えている。
 でも、それはあまり意味がない思考のように思えた。

 おそらく、事態は逆転しているのだ。誰にとっても。

 与える側の人間が与えられ、もたらす側の人間がもたらされている。 
 でも、そういった考え事すら、すでに僕にとってはどうでもいいことと成り果てていた。
 
 魔女は黙って僕の前を歩いている。
 僕はそのあとを黙ってついていく。 
 僕たちの前には緑色のドアがあった。

 僕たちはこの扉の向こうにもう一度帰るべきなのだ。
 でも、それは「帰らなければならない」ではない。僕たちには選択権が与えられている。
 僕たちは帰らないこともできる。

 でも、僕たちは帰るべきなのだ。






619: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:29:17.99 ID:0XXjShCvo


「会えてよかった」

 と彼女は言った。僕は頷く。

「本当はこんなつもりじゃなかったんだよ」

 彼女は笑って、それから僕が返した例の財布を取り出して、扉の前に放り投げた。

「……それは」

「いいの、これで」

 彼女が満足そうな顔でそう言ったので、僕はそれ以上何も言うことができなかった。

「たったこれだけのことで、いろんなことが変わるんだよ。
 もちろん、わたしはこうしないこともできる。でも、する。選択の余地はないの。
 結局ね、そういうことなんだと思う」

 魔女はそれから少しの間黙っていた。やがてふと悲しげな顔になった。
 それがあまりにも悲しげなので、ひょっとして僕の錯覚で彼女はただ当たり前の表情をしているだけではないのかとすら思った。






620: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:29:50.68 ID:0XXjShCvo


「それじゃあ、行ってらっしゃい」

 と彼女は言った。

「わたしはまだすることがあるから」

「……僕は、もういなくなっていいんだろうか?」

 いいと思う、と彼女は言う。
 でもそれは、あなたが必要のない人間だとか、ここにいても意味がないとか、そういう意味じゃない。
 というかね、そんなのはどうでもいいことなの。
 問題なのはね、あなたが世界にとって価値がある人間かどうかじゃないの。 
 この世界が、あなたにとって価値のある世界かどうか、なの。
 ここに来たこと、ここにいることは、あなたにとって価値のあることだったのか、それともまったく無意味なことだったのか。
 それだけでいい。あなたはね、別に世界に必要とされなくたっていい。そんなに遜る必要はないの。ぜんぜん。

 彼女は言いきってから笑った。生まれて初めての笑顔みたいに澄んでいる。

「ありがとう」

 と彼女は言った。 






621: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:30:18.76 ID:0XXjShCvo


 僕は少しの間ためらった。本当に僕は行ってしまっていいんだろうか。それは無責任なことにも思えた。
 でも、僕はそもそも何かに責任を取ることなんてできない。 
 僕はただ放り出され、そして流れに身を委ね、そして行きついただけなのだ。

 そこにどのような意味があるのか、僕は知らない。
 彼女のいうように、気にするだけ損なのかもしれない。

 でも、仮にそんな意味なんてものがあるとするなら。
 それが分かるのは、"これから"なんだろう。

「ばいばい」

 と魔女は手を振った。

「さよなら」

 と僕は言って、扉をくぐった。






622: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:30:47.68 ID:0XXjShCvo


 緑色の扉をくぐる。ぶよぶよとした皮膜をくぐり抜ける感触。
 
 視界と意識が光に包まれる。どっちが上でどっちが下なのか、どっちが前でどっちが下なのか、分からなくなる。 
 僕の思考の流れは感覚的な情報に奪われる。考えることは困難だった。それは長い感覚だった。
 情報の濁流に呑まれながら僕はさまざまなことを考えようとした。魔女のこと、さっきまで僕がいた世界の僕のこと。その世界の姪のこと。
 死んでしまった僕の姪と姉のこと。いなくなった義兄のこと。長く顔を合わせていない祖父母のこと。 
 僕がこれから帰るべき世界のことを考えた。

 そしてその世界に自分が所属しているのだと言うことを意識しようとした。
 僕が一緒に暮らしている親戚のこと。通っている学校の教師やクラスメイトのこと。
 あるいはそれらの人々の家族や友人のこと。僕はその中に含まれていない。今はまだ。

 さて、と僕は思った。
 そこからが問題なのだ。僕にとっては。






623: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:31:16.33 ID:0XXjShCvo







 本屋の軒先で、魔女と僕は出会った。 
 あの子に会わせてあげる、と魔女は言った。

 僕にとってそれは願ってもない話だった。
 でも。

「……落ち着けよ」

 と僕は言った。

「まず、腹ごなししよう」

「……は」

 魔女は呆気にとられたようだった。

「とにかく今は落ち着きたいんだ。さまざまなことを整理したい。時間を消化したいんだ」

「……あのね。いまさら何を整理することがあるっていうの? 聞きたいことがあるなら、全部説明するから」

「違うんだ。説明がほしいわけじゃない。……いや、欲しいけど、それはあとでいい」






624: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:32:29.74 ID:0XXjShCvo


「じゃあなに?」

「話がしたい」

 魔女は顔を歪めた。

「とにかく、腹ごなししよう。焦ることはないだろ。どうせ話は終わりかけなんだ」
 
 僕にはそのことがよく分かった。
 もう終わろうとしているのだ。それは流れ込んでくる。
 さまざまなものが閉じられようとしている。説明はいまだに加えられていない。
 でも、それはたしかに変化を残していくのだ。不明瞭ではあるのだけれど。

 僕と手を繋いだ少女が、不安そうな目でこちらを見上げてくる。
 風呂上りの髪はまだ少しだけ湿っていた。僕はいつも姪にしたようにその頭を撫でてみる。
 彼女は一瞬怯えたような表情を見せたが、今度は意外そうな顔をした。
 来るべき何かが来なくて、驚いているようにも見える。






625: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:33:04.58 ID:0XXjShCvo


「お腹は空いている?」

 と僕は聞いた。食事は家で取ってきたけれど、もう結構な時間が経っている。
 彼女は何か思い悩む風に俯いた。
 魔女はそのやりとりを複雑そうに眺めている。

「……本当に、代わりができたから、どうでもよくなっちゃったとか?」

 妙に不安そうな態度が少しおかしい。

「違うよ。違うけど、放っておくわけにはいかないんだ」

「……なぜ?」

「なぜだろう? でも本当のところ、僕はこんなことをするべきじゃないんだろうね」

「どうして?」

 捨て猫に餌をやるようなものだからだ。最後まで責任を取れないなら、僕は彼女に何もするべきではない。
 結局彼女はこの世界で暮らすことができない。彼女は元の世界に戻らなくてはならないのだ。
 でも、そんなことを口に出す気にはなれない。幼いとはいえ言葉は分かっているのだから。






626: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:33:43.70 ID:0XXjShCvo


 手を少し握る。彼女は不思議そうに握り返してきた。

「この子はあの子とは違うから」

 と僕は言ったけど、きっと魔女の質問の答えにはなっていなかっただろう。それは自分自身に言っただけの言葉だった。
 僕には予感があった。きっとこの僕の行動が、誰かにとっての悲劇を呼ぶ原因になる。 
 でも僕には、彼女の手を握ることが、どうしても悪いことだとは思えないのだ。

 魔女は疲れ切ったように溜め息をついた。

「分かった。ほんとにもう。仕方ないんだから」

 呆れた調子のその声音は、なんだか楽しそうにも聞こえた。彼女がそんな声を出すのは意外だった。

「何食べる?」

「面倒だし、ハンバーガーでいいんじゃない?」

「……そこで手抜くかな」

 そのような運びで、僕らはファーストフード店を目指すことになった。






627: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:34:10.28 ID:0XXjShCvo



 


 水滴の音で、わたしは目を覚ました。
 
 目を覚ますと、それまでわたしと手を繋いでいた誰かはいなくなってしまっていた。
 夢だったのだ。でも、手のひらにはかすかに、その感触が、体温が、残っているような気がする。
 もちろん、そんなのはわたしの錯覚、妄想に過ぎない。現実には、わたしは誰とも手を繋いでいない。 

 頭がずきずきと痛む。何かが静かに体の中でうねっているような気がした。
 何かがおかしい、とわたしは思う。身体を起こそうと手をつくと、床は冷たいコンクリートの感触がした。
 ぽつり、とまた水滴の落ちる音。ぼやけた視界をどうにかするため瞼を擦りながら周囲を見る。
 薄暗くて、ひどく肌寒い。
 
 水の気配がする場所。
 ここはどこだろう? わたしは、なぜこんな場所にいるんだろう。






628: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/27(火) 14:34:44.15 ID:0XXjShCvo


 でも、その答えは……不思議と知っていた。
"魔法使い"の"魔法"が可能にする世界間移動、時間移動。
 わたしはそれに"巻き込まれた"のだ。

 情報がある種の経路をたどってわたしの頭の中に"流れ込んでいる"。
"彼女"もそれについて詳しいことは知らない。でも、そういうことがあり得るということは知っている。
 
 そこまで考えて、わたしは不安に思う。魔法使いって何だろう? 彼女って誰だ?

 わたしは……でも……この場所を"知っている"。
 その記憶は、たぶん"流れ込んだ"ものではなく、わたし自身のものだ。
 そういう漠然とした確信。

 不意に、奥から聞こえる足音。
 でも、わたしはその人のことを知っている。
 ……知っているのだ。

「おはよう」

 と魔法使いは言った。
 





632: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:02:14.26 ID:1M2++lwbo






「……誰もいない、な」

 ケイくんの言葉通り、わたしが開けた扉の向こうには誰の姿もなかった。
 わたしの不安は強まった。
 ひとつ深呼吸をして落ち着こうと試みる。心臓は強く跳ねていたけれど、体調は元通りになっていた。
 
 何が起こっているのか。でもそれを考えるのは無駄なのだ。たぶん。

「どういうことだよ、これ」

 ケイくんは言ったけれど、そんなのわたしに分かるわけがなかった。
 だから答えずに扉に背を向ける。

「おい?」

「わかんない」

「わかんないって……」

 呆れたように溜め息をつくケイくん。彼の態度はまだのんきな方だった。わたしは苛立ちすら感じている。
 率直に言って訳が分からない。






633: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:02:46.99 ID:1M2++lwbo


 わたしたちは階段を下りて扉に囲まれた部屋に戻る。緑色のドアをみつけた。これだ、と思う。
 
「……嫌なドアだな」

「何が?」

「緑色で、塀みたいな壁についてる」

「それが?」

「"塀についた扉"みたいだろ? ウェルズの短編」

「……」

 わたしはよく知らなかったので聞き流した。

「でも、ここから行くしかないんだよ」

「本当に行かなきゃダメなのか? 今からでも、やめておいた方がいいんじゃないか」

 ケイくんは急に消極的になった。彼にはこの緑色のドアがよっぽど不吉なものに見えるらしい。






634: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:03:12.91 ID:1M2++lwbo


 でも。

「もう手遅れなの。わたしは既にこの向こうに行ってしまっているから」

 彼は分かったような分からないような顔で黙り込む。 
 わたしはなんだかうんざりした。

 疲れているのだろうか? 自分自身が何を考えているのか、分からない。

「分かったよ」

 と彼が頷いた。魔法使いは何をしているんだろう。
 わたしは扉を開いた。

 そしてくぐる。
 
 何のためにだろう?
 
 ……それは考えるべきじゃない。
 でも……。

 どうなんだろう?






635: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:03:49.22 ID:1M2++lwbo





 扉の向こうは、ショールームに繋がっていた。わたしは奇妙な感覚を受ける。
 まるで鏡の世界に迷い込んだみたいだと思った。緑色のドアから緑色のドアを抜けると、さっきまでいたのと同じ場所に居る。
 向いている方向が逆さになっただけだ。一瞬自分が本当にドアをくぐったのか分からなくなった。
 
 わたしが振りかえると、ちょうどケイくんがドアから出てくるところだった。扉はひとりでに閉まってしまう。

「……」
 
 これでわたしは、ケイくんをこちらに連れてくることに成功したのだろうか?
 そのことが、どんな意味を持つのだろう。この世界に対して、わたしはどうすることができるんだ?

 状況は一切好転していない。相変わらずわたしは何もできていない。
 でも、今はひとりじゃない。そのことは少しだけ気分をマシにさせてくれた。本当に少しだけ。

 わたしたちはさっきも昇った階段を昇り、さっきと同じ扉を開けた。物置になっているその部屋に、荷物を置いておく。
 主にギター。ケイくんは盗まれる心配をしていたけれど、そんなことはありえない。

 ここは既に異空間だ。魔法使いの魔法のその中に、このショールームは含まれている。
 そうでもないかぎり、こんな異変が起こったりするものだろうか?






636: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:04:20.64 ID:1M2++lwbo


 わたしたちは建物を出て、国道沿いの道を歩いた。外に出て驚いた。夕方近い時間になっていたのだ。
 わたしとケイくんが会ったのは、まだ夜中だった。
 そしてそこからショールームに向かうまで、多少時間を食ったにせよ朝にはなっていない。
 
 それが突然夕方になっていたのだ。

 しかも。
 叔父bはショールームにいなかったのだ。
 思ってみれば、彼を連れ帰ろうとしたところで、わたしは妙な……魔法使いいわく、"ズレ"に巻き込まれた。
"ズレ"。

 あのズレのあと、わたしはケイくんに会いにいくことにしたのだ。
 その際、彼女は「目を瞑る」ようにわたしに指示した。
 ……それはたぶん、世界を移動させる合図なんだろう。
 あるいは扉をくぐることが。






637: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:04:49.83 ID:1M2++lwbo


 事態は、おそらくは魔法使いの予想を上回って、錯綜している。
 だが、仕方ない。

 わたしはやるべきことやるしかない。

 とにかく当初の予定通り、叔父bを探せばいいのだ。
 彼を招いたことで、この世界に何かの変化を起こせるかもしれない。

 彼を招いたのは……そういう期待を抱いたからだ。
 彼を……この世界のお兄ちゃんに会わせれば。
 ごく簡単に、変化をくわえることができる。

 それは少し大雑把すぎる選択だったかもしれない。
 わたしの頭の中には少女bの表情が残っている。
 
 おそらくは。
 お兄ちゃんだって、気付くはずなのだ。あの子をあんなふうにして尚、何もしようとしなかった自分の姿を見れば。  
 わたしにはお兄ちゃんが必要なのだと。

 ……それに応じてくれるかどうかはさておき。






638: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:05:20.31 ID:1M2++lwbo


 だからまず、叔父bに会わなくてはならない。
 そして、上手にお兄ちゃんと引き合わせてみないと。

「……」

 でも、たとえば、わたしが他人のふりをして、この世界のお兄ちゃんに会うことだって、できないわけじゃない。
 そうして、何かの形でやんわりと変化をくわえることだってできた。

 ……要するに、わたしは恐れているのだ。
 お兄ちゃんの中から未知の暗闇が出てくること。お兄ちゃんの中に理解不能の何かがあることを。

 気付かないふりをする。
 
 わたしは変化をくわえようと努力をしている。
 そのはずだ。

 でも、どこにいるんだろう?

 ケイくんは黙々と歩くわたしにいくつかの質問をぶつけた。






639: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:06:04.11 ID:1M2++lwbo


「ここ、どこ?」

「見覚えない?」

「あるけど……」

「そう」

「でも、ありえない」

「何が?」

「これは、ずっと前の景色じゃないか。僕たちが住んでいた街の」

 それがあり得ないなんて言ったら、死んだ人間が目の前にいる方がよっぽどありえないと思うんだけど。
 とはいえ、それを彼に言ったところで仕方ない。

「ま、そうだね」

 わたしは頷いて話を終わらせた。






640: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:07:09.98 ID:1M2++lwbo


「お前が僕に手伝わせたいことって、具体的には何をするんだ?」

 わたしは答えようとして、でも答えが分からなかった。
 わたしは自分でもよくわかっていないのだ。

 そして、なんだか居心地の悪さを感じる。
 どうしてだろう。さっきからずっと、理解不能の感覚に包まれている。
 わたしの中にもうひとり自分がいて、そのわたしが、自分自身の行動や発言、思考にまで制限を掛けているように感じた。

「……分かった。答えなくていい。どこに向かうんだ?」

「公園」

 とわたしは言う。でも変だった。どうして公園になんていくんだろう?

 なんだろう、これは。
 わたしの身に何が起こっているんだろう?

 ひょっとして、事態はすでに破綻しているんじゃないだろうか?
 





641: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:07:36.16 ID:1M2++lwbo


 でもわたしの思考は疑問を取り合わず、足は付近の公園を目指した。
 なぜかは分からない。  
  
 そして、そこには叔父bが居た。
 ベンチに座っている。なぜだろう? ひどく疲れ切っているように見える。 
 今きたばかり、というふうには見えない。様子がひどく落ち着いている。
 
 わたしが会ったときとは、衣服が違っているように見える、が、気のせいだろう。
 彼に服を買いかえるような余裕があったとも思えない。
 それともわたしは日時を誤解しているんだろうか。

 今日は八月三日。それで間違いはないはずなのだが。

 ……念のため、あとで確認してみよう。
 
「疲れてる?」

 わたしは彼に歩み寄って、そう訊ねてみた。何処で何をしていたのか、と問う気にはなれない。
 というより。

「それはダメだ」と誰かに言われている気がした。
 そういった感覚が多い。






642: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:08:13.90 ID:1M2++lwbo


「少しね」

 と彼は言う。

「……誰、この人?」

 とケイくんが後ろから質問してきたが、ごまかす。 
 答えてもいいけれど、両方に同時に説明ができるほど器用じゃない。
 ……だったらさっきまでに、ケイくんに簡単に状況を説明すればよかったじゃないか。
 なぜわたしの頭はこんなに混乱しているんだろう。

 わたしはとっくに主導権を失っている。じゃあ、それを握っているのは誰なんだろう。

「いろいろ、言いたいこともあるだろうから、とにかく、順を追って説明しようと思って」

 ……既に叔父bは、この世界についての情報を、いくつか得ているように見える。
 そうでなければこんなところでぼんやりはしていないだろう。
 彼にとってこの街は、昔住んでいた街であり、しかもその過去の姿だ。
 
 そこに放り投げられたのだから、もっと焦って、状況を見極めようとしてもおかしくない。
 でも、彼は落ち着いている。既に魔法使いから説明を受けているんだろうか?
 いや……彼女はいま、予定外の何かの処理に追われて忙しいのだと言っていた。
 わたしが彼に会いにいくことは予定通りだったわけだから、まさか彼のことではないだろう。

 では……いったい誰に説明を受けたりするんだろう。
 そのことを訊ねるのも、なぜだろう、よくないことに思えた。






643: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:08:51.18 ID:1M2++lwbo


 彼はとにかく休みたいと言った。わたしは釈然としない気持ちを抱えつつも、頷く。

「とにかく移動しましょうか。屋根のあるところじゃないと、たしかに落ち着かないしね」

「……どこに?」

 ケイくんが後ろから問い返す。でもどこでもよかった。
 どこでもよかったので、まっさきに思い浮かんだファミレスに向かうことにした。
 とりあえずの腹ごなしと相談事。適当な場所。

 彼は寝床や食料のことを気にしていた。……既に状況を理解し、しかもなんとか状況を整えようとしている。
 彼は今どこまで知っているんだろう?

「まぁ、なんとかなるよ」

 そんなふうに答えたけれど、わたしは彼を連れてきたことに少し後悔を覚えずにはいられなかった。 
 見通しの甘さ。
 それでもわたしはやるしかない。現状をどうにか転がしていくしかない。

 




644: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:09:36.01 ID:1M2++lwbo


 店に入ってすぐに注文をすると、叔父bはきょとんとした目でわたしを見た。食欲はないらしい。
 彼の表情は、最初会ったときとは違う。
 なんなんだろう? 不自然だ。
 
「まずは、いくつかの説明、ね。その前に――」

 それでもわたしは、自分なりに説明するしかない。
 とにかく、彼にこの世界のことを説明するべきだろう。
 その前に、わたしはケイくんに買い物を頼むことにした。

 わたしとケイくんだけだったら、正直言えば……魔法使いの控室に向かえばいい。
 上手く入れるかは分からないが、それができなくてもショールームまではいける。
 それならば、あの物置で休めないこともないのだ。わたしはそう考えていた。

 だが……彼。叔父bをあそこに招いてしまうと、こちらの行動に制限が掛かってしまう。
 他の場所を探す方がいいだろう。そういう意味で、買い物は必須だった。

 わたしは必要だと思われるものを書き連ねたメモを彼にわたし、買い物を頼んだ。
 少し嫌そうな顔をしたけれど、この状況では、彼はわたしを頼るしかないのだ。だから従うしかない。
 それがなくても手伝うと約束してくれたのだし。






645: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:10:03.33 ID:1M2++lwbo


 彼が店を出てすぐに雨がぽつぽつと振り始めた。
 わたしは少し申し訳ない気分になったけど、それよりも目の前の人のことが気になった。 

「薬局、すぐそこだから、そこに傘売ってると思うんだけど……」

 そう言ったものの、わたしの頭から既にケイくんのことは消えていた。
 そして、説明を始めようと試みる。
 
 上手くいくかどうかは分からない。でも、ちゃんと分からせるつもりも、特にはなかった。
 だってわたし自身よくわかっていないのだ。そして、分かってもらわなくても、わたしには何の問題もないのだ。
 
「どこから説明すればいいかな」

「……」

「どこから訊きたい?」

 面倒だったので、わたしは相手の質問に答える形にしようと思った。






646: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:11:22.32 ID:1M2++lwbo


「……この世界の"僕"は、この街に住んでるよね」

 わたしは少しびっくりした。既に「あの世界」と「この世界」という区別がついているうえに、自分の存在すら認めている。 
 また、それが自分のものとは違う、パラレルワールドにおける自分だというところまで理解しているらしい。

「うん。そうだよ」

 わたしは驚きつつ頷いた。

「それは、どうして?」

 馬鹿らしい気持ちになる。どうしてって、引っ越す理由がないからに決まってるじゃないか。
 彼は、彼の世界の姪と姉の死を原因に街を出る。

「分かってることを確認しなきゃ気が済まない性格、おんなじだね」

 わたしは皮肉のつもりで言った。お兄ちゃんにもそういうところがあった。
 何度もあった。中でも一番印象的だったのは……。

"お前は、僕のことを好きか?"

 と、そういえばそんなことを言っていたっけ。
 わたしが、小学校に入って……一年か、二年の頃だろうか?
 わたしの言うまでもなく決まっていたのだけれど。
 
 その記憶は脇においておいて、わたしは彼の質問に答えた。

「簡単でしょ? 理由がないからだよ」

「つまり、この世界では……」

「そう。そういうこと」

 彼の世界では死んでしまった姪、=世界bにおけるわたしは死んでいない。
 そのことをきくと、彼は愕然とした表情になった。わたしはなんだか息苦しさを感じる。

 彼はしばらくの間黙っていた。雨は少しずつ強くなり始めている。
 





647: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:12:36.32 ID:1M2++lwbo


「ところで、ひとつ聞いてもいい?」

 沈黙に耐えられなくなって、わたしは口を開いた。 

「ずっと気になってたんだけど、その荷物、なに?」

 彼は脇においていた荷物を手でたしかめるように触る。

「タクトからもらった奴だ」

「タクト?」

 知らない名前が出た、とわたしは思う。
 少なくとも彼には、誰かと会って荷物を受け取るくらいの時間があったわけだ。……このズレはいったいなんなんだろう。

「昔、知り合いだった」

「ふうん。ひょっとして、大柄の人? よく吠える大きな黒い犬を飼ってる?」

「そう。いや、ここでも飼ってるのかどうかは分からないけど」

 わたしはそういえばそんな人もいたなぁと思い返す。
 子供の頃からお兄ちゃんと付き合いがあって、なんだかんだ高校を出てからも会っていたはずだ。
 うまがあったのか、なんなのか。お兄ちゃんにも、そういう人がいるにはいた。






648: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:13:09.14 ID:1M2++lwbo


「知ってるの?」

「あんまり。犬もその人も、怖かったし」

 と答えてから、そういえば彼はわたしが"姪"であることを知らないのだと思った。

「そうなんだ」

 少しひやひやしたけれど、彼は案外気にしていない態度を取った。そのこともわたしには少し意外だった。
 かと思うと、思い直したように頭を振って、彼は口を開く。

「君はいったい誰なんだ?」

 別に答える必要もないだろう。彼を一層混乱させるだけだ。

「だから、秘密」






649: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:13:34.97 ID:1M2++lwbo


「じゃあ、どうして僕のことを呼んだんだ?」

「言わなかったっけ?」

 ……いや、言わなかったはずだ。手伝ってほしいことがある、というのと、納得がいかない、ってとこ以外。

「漠然とした話は聞いた。今訊きたいのは具体的なことだ」

「うーん」

 どう説明するべきか、わたしは悩んだ。そして言葉を見繕う。

「ごく簡単に言うとね、わたしはある一人の女の子の未来を守りに来たわけ」

 そう、そういうことだ。わたしは自分がやろうとしていることを再確認できた。
 この世界の姪を守る。結果、お兄ちゃんも生き延びる。そのはずだ。
 そうでないかもしれないという可能性もある。でも、今は、考えない。






650: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:14:24.91 ID:1M2++lwbo


「……女の子?」

「そう」

「未来を守る、ってどういう意味?」

「そのままの意味」

「まるで、君がどうにかしないとその子の未来が失われてしまうような言い方だ」

「その認識であってるよ」

「……いったいどんな理屈で、君はその子の未来を知っているんだ?」

 もちろんわたしが未来から来たから。なんていえない。わたしは愛想笑いでごまかした。
 彼にはあまり情報を漏らすべきではない、と感じる。






651: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:15:11.12 ID:1M2++lwbo


「秘密。ねえ、それより、気にならないの?」

「なにが?」

「生きているあの子のこと」

「……別に」

 話題を変える意味でも発した疑問に、彼はそっけなく答える。
 気にならないわけではない、ように見える。
 でも、やはりそこまで気になる、というふうにはみえない。
 彼は、やはり、"姪"にあまり関心を払っていなかったのだろう。
 まあそもそも、この世界の“姪”は彼の世界の“姪”とは別人なのだけど。

「もうひとつ、訊きたいことがあるんだけど」

 と彼は言った。これもまた、話題を変えたがっているふうに見えた。






652: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:15:55.22 ID:1M2++lwbo


「なに?」

「君は僕をパラレルワールドに連れてきたわけだけど、どうしてこんなことができるんだ?」

"知るわけない"とわたしは思ったけれど、でもそう答えたところで彼が納得するわけもない。 

「……現にできてるんだし、あんまり関係ないよね? わたしもよく知らない。気付いたらできただけ」

 やはり、彼は魔法使いとは会っていないらしい。
 じゃあ、どうやって彼はこの世界の構造を知ったんだろう?
 それとも自力で考えたんだろうか? それは考えにくい。

 彼は考え込んでしまった。わたしはなんだかうんざりした気持ちになる。
 彼と話しているとそういう気分になる。
 そして皮肉を言いたくなった。






653: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:16:33.09 ID:1M2++lwbo


「……わたしがあなたをここに連れてきた理由だけどね」

 わたしは少しだけ嘘をついた。

「必要だったからだよ、あなたみたいな要素が。つまりね、あなたみたいに怠惰なあなたが」

「……どういう意味?」

「端的に言うとね、わたしが守りたい女の子っていうのは、あなたの世界じゃ死んじゃったあの子のことなの」

 彼にとってこの言葉は毒になるのだろうか。

「つまり、あなたの姪のことね」






654: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:16:59.60 ID:1M2++lwbo


 そしてわたしは、一応、大雑把にやろうとしていることを伝えてみる。
 その結果彼がどう思うのか、わたしには分からない。

「怠惰なあなたを、この世界のあなたに見せるの。自分のことしか考えずに、ただぼんやりと過ごしたあなたをね」

 ……でも、そんなのが本当にうまくいくんだろうか。

「そうして怠惰だったあなたが招いた結果をこの世界に彼に見せる。そして、彼自身が決して無力ではないことを教えてあげたいの」

「……つまり、僕のせいで彼女は死んだ、と言いたいのかな?」

「別に。ただ、この世界のあなたに、"あなたが彼女のことを考えたから、彼女はこっちでは死んでない"と言いたいだけ」

「おんなじことじゃない? 僕が彼女のことを考えずにいたから、彼女は死んだって意味だろう?」

「違う。たしかに似ているように聞こえるかもしれないけど、少なくともあなたのせいで死んだわけじゃない」

 そう、彼のせいで死んだんじゃない。彼は何もしなかっただけ。

「ただ、あなたが彼女のことをもう少し考えていれば、回避できるかもしれない未来だった、と言っただけ」






655: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:17:52.83 ID:1M2++lwbo


 彼は暗い顔をして俯く。わたしは少しだけ申し訳ない気持ちにもなった。
 でもよくわからない。わたしは彼をどうしたいんだろう。 

「現にこの世界のあなたは、彼女の死を既に回避しているしね。本当に些細なことだったけど、あなたがしなかったこと」

 本当に些細なことの連続なのだ、おそらくは。
 そうした些細なことの連続を怠った結果、"姪"は死ぬのだ。

「……」

「あなたが悪いんじゃなくて、こっちのあなたが偶然できただけよ。そんなに気にしなくていい」

「――ちょっと黙ってくれないか?」

 これ以上は何も言わない方がいいだろう。わたしは口をとざした。
 なぜわたしは、彼の心境を刺激するような発言をしてしまったんだろう。
 でも、なんとなく、彼のことは気に入らない。なんだか知らないけど。






656: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:18:47.66 ID:1M2++lwbo


 また起こった沈黙にうんざりする。しばらくして、ふたたび彼は口を開いた。

「……また、彼女の未来が失われようとしている?」

「そう。でも、今度はもっと馬鹿らしい理由。彼女自身の問題。結構先のことなんだけどね。数年後ってところ」
 
 嘘はついていない。隠し事はしているけれど。

「でも、たぶん、このあたりが問題なんだと思うから。具体的にいうと、八月六日の花火大会」

 言ってからわたしは不安に思う。“花火大会”? わたしはそんなこと考えもしなかった。
 やはり何かが、わたしの内側に流れ込んでいる。……いったい何が?
 でも、そのあたりに問題があるのだ。何かがあったのだ、あの日。漠然とそう感じる。

「あの日が、きっと問題なのよ。……でも、誰かが悪いわけじゃない」

 わたしがそう言ったきり、今度は本当の沈黙が下りた。
 窓の外は薄暗い。もう夜がそこまで来ている。

 時間が経つとケイくんが戻ってきた。食事を終えてから、わたしたちはファミレスを出る。
 雨はひどくなっていた。






657: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/01(土) 05:19:16.76 ID:1M2++lwbo





 すぐに行動するには遅い時間になっていたし、すべては翌日に持ち越すことにした。
 
 寝床は、町はずれの小さな無人駅の駅舎にさだめた。
 本来ならば魔法使いに支援を頼みたいところだったけれど、彼にあまりこちらの手の内をさらしたくない。
 
 ついでにいえば、電話はまだ繋がらないだろうという気がしたのだ。
 無人駅とはいえ利用者は朝早くからいるので、わざわざ駅舎の鍵の開け閉めなんてしていられない。 
 だから開きっぱなしになっている駅もあるのだ。無人駅の場合は。

 まぁこれは以前どこかで聞いた話(友達もいないのに変な話だけど)。
 ここは偶然そうなっているだけかもしれない。

 ケイくんの買ってきた荷物で状況を整えて、ベンチで休めるようにする。
 わたしたちはそこで休んだ。わたしはすぐに眠りに落ちた。
 
 でも、何かを見逃しているような落ち着かない感覚はずっとあった。それは夢の中ですらあった。

 わたしはたぶん何かを見逃している。いったい何を?
 もしかして、わたしが知らないところで何かが動いているのか?

"いったい何が?"






660: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 13:56:34.47 ID:v7ebsIP3o




 夜中の三時過ぎに目を覚ました。
 無人駅の駅舎はじんわりと暑い。外に抜け出す。夜の闇が広がっていた。
 少し前まで広がっていた霧にとって代わるみたいに。
 いや……あの霧は数年後のこの街のものか。
 
 ひんやりとした夜の空気の中に、自分の気配を溶け込ませるみたいに歩いてみた。
 空は少しずつ青く染まり始める。月は仄かに影を浮かべている。

 胸の内側で何かが広がっている。たぶんわけのわからないもの。説明のつけようがない不安。
 でもこれは別にこの状況だからじゃない。
 いや、むしろ……状況。死んで以降のわたしの境遇は、わたしの精神に何ら影響を与えていないという気がした。
 
 この不安は、わたしが生きていた頃、ずっと抱えていたもの。それをここまで引きずり込んでしまっただけなのかもしれない。
 あるいは、どこかの誰かから流れ込んできたものなのか。そうだとすれば、それは誰なのか。
 
 でもその区別をなくせば、わたしはわたしが誰なのかを問わなければならなくなる。だからその考えを捨ててしまおう。






661: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 13:57:10.09 ID:v7ebsIP3o


 わたしは空を見上げている。ずっと見上げている。夜空は変わりなく夜空だった。
 暗闇はどうしようと暗闇だった。幾度見ても暗闇のままだった。どうしようもなかった。そこに置き去りにされているだけだった。

 何がわたしを不安にさせていたんだろう?
 
 時間の流れ、とわたしは思った。

 ふと振り返ると、うしろにはケイくんが立っていた。

「どうした」

 と彼は訊ねた。でも答えることは難しい。その答えはわたしにも分からなかった。

「不安なの」

 とわたしは言った。ケイくんは「嘘をつけ」という顔をした。わたしたちの間には信頼が足りない。

「何が、不安なんだ?」

「わからない。ケイくんは不安じゃないの?」

「……だから、何が」

「何もかもが、だよ」






662: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 13:57:53.44 ID:v7ebsIP3o


「不安だから、死ぬのか」
 
 とケイくんは言った。それはあたりだ、とわたしは思った。

「なんなんだろう。なんでこんなに不安なんだろう」

 自分の指先がかすかに震えていることに気付いた。
 わたしは本当は、何かを忘れているんじゃないだろうか。
 死んだとき、何かを忘れてしまって、それを誤解したままこの場にいるんじゃないか。

 そうでなければ……そうだ、そもそも……あんな白昼夢程度で、死のうとするんだろうか?
 分からない。どうすればいい?
 
 ケイくんは何も言わずに黙っている。暗闇がわたしの肩にのしかかる。
 静かな夏の月。

 わたしはお兄ちゃんなしじゃ生きられない。
 そんなの無理だ。

 だからわたしは死んだ。






663: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 13:58:24.47 ID:v7ebsIP3o


 ……いや、違う。順序が逆だ。わたしが死んだから、お兄ちゃんは死んだのだ。
 ……そうだったっけ? でも、どうしてわたしが死んだからって、お兄ちゃんまで死んでしまうんだろう。
 
 順番が、狂っている。

 なぜ、こんなに記憶が混乱しているんだろう?

 わたしは死ぬ前の自分のことを思い出そうとしてみる。一度反芻したように。でもあまりうまくいかない。
 わたしは死ぬ前後のことをよく覚えていない。わたしが最後にお兄ちゃんに会ったのはいつだったっけ?

 お兄ちゃんの態度が冷たくなった。お兄ちゃんが一人暮らしを始めた。それで不安になった。
 ……わたしは、お兄ちゃんの態度の原因を問い詰めようとはしなかったのだろうか。

 しなかったはずだ。そんな記憶はない。でも、わたしがわたしなら、まず問い詰めたのではないだろうか。

「なぜ?」と。

 でも、そう訊ねた記憶すらない。
 わたしは――。






664: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 13:58:54.67 ID:v7ebsIP3o


「なあ」

 とケイくんが不意に声をあげた。

「大丈夫か」

 わたしは咄嗟に反応できない。考え事に夢中になっていたせいもある。
 思考を中断されて、わたしの頭は這い上るべき蜘蛛の糸がちぎれてしまったみたいに混乱する。更なる混乱。
 混乱に重なる混乱。そこに意味はあるのだろうか? だって前提からして混乱しているのだ。
 重なる混乱は結局、前提である混乱に内包されている。前提が混乱している以上、混乱しようがしまいが変わらない。

 わたしはよく分からない考えごとに頭を支配され始めている。

「大丈夫」

 答えてから、深呼吸をして、黙った。何も言いたくなかった。空を見上げる。
 月のとなり、ひときわ強い光を放つ星があった。そんなものがあっていいのか。

「僕も不安だよ」

 とってつけたみたいな声で、ケイくんは言った。でも、その声には嘘は含まれていない。たぶん。
 だって彼はそんな嘘をつく人じゃない。

「何をすればいいのか、どこにいけばいいのか、分からないんだ」

 わたしは黙って彼の話の続きを待った。
 でもそこに続きはなかった。不安には原因もなくて、解決もない。
 やはりそれも、ただそこに転がっているだけのものだった。






665: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 13:59:21.66 ID:v7ebsIP3o


「どこに行きたいの?」

「分からない」

「何をしたいの?」

「分からない」

「じゃあ、どうして生きてるの?」

 わたしたちはぼんやりと空を見上げる。
 夏の夜空。吸い込まれそうな暗闇。

「でも……あそこはもう嫌なんだ」

 金を貯める、と彼は言っていた。そしてさっさとあの家を出るんだと。
 あの家にいるといつも目にぎらついた色のサングラスを掛けられてるような気分になる。
 腹の底をなにかの蓋で押し付けられてるみたいな気分になるんだと。
 
 だからあそこを離れたいんだと。






666: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 13:59:49.08 ID:v7ebsIP3o


「離れて、どうするの?」

「……分からない」

 でも、いやだ。そのあとのことは、分からない。

 ああそうか。
 わたしとおんなじなのだ。

「でも、こんなのはおかしいんだ。そうだろう?」

「なにが?」

「"そのあと"のことなんて、何も分からない。そんなの当たり前じゃないのか?」

 彼の言葉は自分を説得しているように聞こえた。それはたぶん正解。だから、責められているように感じるのは気のせいだ。

「僕たちはどうにかしてやりたいようにやるんだ。ベクトルが嫌いだろうが好きだろうがどっちでもいいんだ。
 そのあとどうなるかなんて、分からない。必死にやったって無理かもしれない。手抜きしたって成功するかもしれない。
 でも、分からなくても、望む以上はやってみるしかない。やらないわけにはいかない。
 だったら、あとのことなんて気にしたって仕方ないだろ? そうしたいんだから」






667: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 14:00:16.96 ID:v7ebsIP3o


「それはちょっと無責任だと思うけどね。
"そのあと"のことが誰かの生活に影響を及ぼすかも知れない。
 悪い結果が目に見えてても、やりたければやるしかないって思うの?」

「じゃあ、悪い結果になるかもしれないって思ったら、やらないのか?
 でも、やらないで、"そのあと"はどうする?
 その他に何か望むものでもあるのか? 守るものでもあるのか?」

「でもそれは……」

「他人に遠慮して自分を封じ込めるのは、本末転倒だと僕は思う」

「だからって、最低限守るべきラインってものがあるんだよ」

「だからって、それを守るために自分を犠牲にするくらいなら、死んだ方がマシだろう」

 いや、と彼は自分の言葉に首を振って。

「それは死んでるのと同じなんだよ。僕はそれを生きているとは呼ばない」

「その比喩的な表現が、何かの象徴的な伏線だったらいいのにね」

「……何の話?」






668: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 14:01:05.06 ID:v7ebsIP3o


 もちろんそんなことはありえない。
 現実にわたしは死んでいる。現実的な意味で死んでいる。比喩的な意味でどうであれ。
 それだけは魔法使いに確認するまでもなく間違いない。

 生々しい死の感触がわたしの記憶に残っている。その感触は言葉にすることはできない。
 とても冷たかった。
 言葉に出来るのはかろうじてそれだけだ。

「でも、どこにもいけないんだよ」

 とわたしは言ってみた。
 ケイくんは顔をしかめる。

「どこにも行けないよ、わたしたちは。ここでどうにかやっていくしかない。大丈夫じゃなくてもまともじゃなくても。そうでしょ?」

 どこにも行けない。ここに居るしかない。







669: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 14:01:30.73 ID:v7ebsIP3o


「だってわたしたちは自分の意思で選んだわけじゃない。自分の意思と現実の流れの摺合せの中でここにたどり着いただけなんだから。
 それは結果的なものであって意思的なものじゃない。
 目的的なものじゃない。クラゲみたいに流されて、流れの中でぼんやり方向を決めて泳ごうとしてるだけ。
 でもわたしたちはクラゲじゃない。クラゲじゃないからいつだって苦しい。いつだって悲しい」

 段々と自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
 でも、この混乱は決してもたらされたものではない。わたしが考えて、考えた末の混乱なのだ。 
 そこには何かの思考の足跡のようなものが残されているはずだ。
 何をどう考えたのかはもう思い出せないけれど、わたしはたしかにそう感じたのだ。

「僕は」

 と彼は言う。

「それでもここじゃないどこかに行きたい」

 わたしたちはそれから長い時間ずっと黙っていた。星の気配が消えて月が薄く消え始めた。
 暗闇が消える。そして太陽が現れるのだ。あの残虐で不条理な光。無神経で八つ当たりじみた光。
 わたしは遠くの空に昇る赤い光をじっと眺めた。風が吹いて近くの木々が葉を揺らした。青々とした夏の緑。
 わたしたちは今数年前の夏の日にいるのだ。そしてそこで一心に何かを求めている。
 





670: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 14:02:00.62 ID:v7ebsIP3o


「どうしようもないよ」

 と、太陽が角度を変え始めた頃にわたしは言った。

「なぜそんなことが言える?」

「でも、そうなんだよ。決まってるんだよ。逃げられない。どこまで行ったっておんなじだよ」
 
 そうなんだ、とわたしは思った。なぜわたしの目的意識がぶれているのか、納得がいった。
 要するにわたしは最初からあきらめているのだ。
 
 本当のところ自分の死をどうこうしようという気持ちなんてない。
 お兄ちゃんの死だって、本心ではどうでもいいのだ。

 それなのに魔女の言葉に乗ったのは、単に、わたしがわたし自身を、お兄ちゃんの死を看過するような人間だと思いたくなかっただけだ。
 わたしは自分の中の自己像を守るためにここに来たにすぎない。
 結局何も変えられないことをあらかじめ知っている。

 だからわたしはここにきて何もする気が起きないのだ。
 自棄になったようにさまざまなものを放り込んでいるのだ。
(猫に鍵盤の上をでたらめに歩かせ、ベートーベンの運命が鳴ることを期待するようなものだ)

 少しすると、叔父bが目をさましてわたしたちのところにやってきた。
 わたしは彼に簡単に声を掛けた。

「まだ寝ててよかったのに」

 時間というものが流れなければいい。

「どうせどこにも行けないんだから」






671: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 14:02:26.79 ID:v7ebsIP3o





 それでもわたしは、何もかもすべてをどうでもいいと思っているわけではない。
 あくまでも、誰かの幸福くらいな願っていたい。 
 そうありたい。結局は自己像の問題だ。

「どこにも居場所なんてないんだ」
 
 と彼は言った。彼も彼で、面倒な人だった。わたしも人のことは言えない。

「ねえ、わたしはあなたのことを利用しているけど、でもね、あなたの不幸を願ってるわけじゃないんだよ」

 わたしはちょっと呆れて言った。

「何の話?」

「わたしにだって説明できないけど、できないけど、巻き込んで悪いなって気持ちも、少しはあるの」

 空を見る。雨が降ればいい、とわたしは思った。

「あなたを見ることで、こっちの世界のあなたは、何かを得ることができるかもしれない」

 それは本当に「かもしれない」。かなり消極的な期待。行動とは違う。

「反対にあなただって、何かを得ることができるかもしれないと思う。そうであってほしいと思う」

「……得る?」






672: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/03(月) 14:03:02.17 ID:v7ebsIP3o


 それは少しだけ嘘で、少しだけ本当。
 わたしは他人の幸福なんてどうでもいい。わたしはわたしと関わった人に幸せでいてほしい。 

「手遅れだよ。僕はもう終わってしまっている人間だし、僕の世界はもう終わってるんだ。ここにきてそれがはっきりした」

「本当に?」

 とわたしは言った。

「本当に、手遅れなの?」

「どういう意味?」

 彼は怪訝そうな顔で問い返してくる。
 わたしはその態度をむしろ不審に思う。

「あなたは本当に終わってしまっているの?」

 だって彼は、まだ生きているじゃないか。






675: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:06:46.59 ID:yWTuIqKIo




 
 わたしたちは静かに街を歩いた。先頭に立っているのはわたしだった。
 わたしは自分でどこを目指しているのかが分からない。

 どこかをめざさなくてはならないのだけれど、それが分からないのだ。
 
 なんだか頭がぼんやりする。
 疲れたな、とわたしは思う。いいかげん腹を決めるべきなのだろう。

 そうだ。
 いまさらためらうこともない。
 
「あ」
 
「なに?」

「お風呂入りたい」

「……」

 思いつきを口にすると、ケイくんが溜め息をついた。






676: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:07:13.62 ID:yWTuIqKIo


 昔よく来たんだよなぁ、この銭湯。
 お湯につかりながらぼーっとしていると、体の疲れがすーっと取れて行った。
 
 うーん、ずっとこのままでいたい。
 わたしは人ひとりいない浴場で長い溜め息を吐いた。

「ぷはー、いきかえるー」(死人ジョーク)

 魔法使いのところにきてから、ずっとシャワーだけだったし。
 それも水。

 わたしはタオルを頭に乗せて体をうーんと伸ばした。
 湯気で奪われる視界。熱が心地よい。

「さて、と」

 わたしは溜め息をつく。

「どーしよっかなー」






677: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:08:10.24 ID:yWTuIqKIo


 なげやりに言葉を吐く。なんかもうどうでもよくなってきた。どうでもよくないんだけど。
 だいたい、魔法使いが丸投げしすぎなのだ。
 
 めんどくさい。
 なんだかむずかしいことを考えすぎて頭が混乱してきた。
 整理しようと思うけれど、ひさびさに入る大きなお風呂で頭がまわらない。
 めんどくさいこととか全部なしにして、もうずっとお風呂につかっていたいなぁ。

 でも、そういうわけにはいかない。……のだろうか?
 別にその気になれば、ぜんぶ放り投げて一ヵ月寝て過ごしたってかまわない気もする。
 
 わたしはいい加減腹を決めるべきなのだろう。どうするのかを決めないといけない。

「でもいまは考えなくていいや」






678: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:08:49.40 ID:yWTuIqKIo


 めんどくさい。
 わたしはなんで死んだんだろう。どうせ入るなら川より銭湯に入ればよかったのだ。それなら死ななかった。きっと。

 ばかみたい。

 浴場にはわたし以外誰もいなかった。まだ早い時間だし、当たり前と言えば当たり前だけど。
 たっぷり三十分ぼんやり体をお湯に浮かして、それからサウナに入ってまったり汗を流した。
 
 体の感触がぼんやりしている。

「全人類に一日三十分のサウナ入室を命じたら、この世から戦争はなくなるかもしれないなぁ」

 だってこんなに気持ちいいんだから、むずかしいことや嫌なことを考え続けるなんて困難にちがいない。

「ずっとこうしていたいなぁ」

「ずっとこうしてたら死んじゃうけどね」

「いやもう死んでるし」

 と返事をしてから、誰かがいることに気付く。
 わたしは顔をあげた。






679: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:10:10.77 ID:yWTuIqKIo


「おはよう」

 と"わたし"が言った。

「え?」

 とわたしは訊きかえす。
 女の子がいた。
 
 見覚えのある顔だった。
 というかわたしだった。

“わたし”は少し戸惑ったような顔で微笑む。
 





680: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:10:36.60 ID:yWTuIqKIo





「え、だれ……?」

「……うん」

 うんじゃなくて。
"わたし"はちょっと考え込むような顔で俯いて、それからわたしと目を合わせてごまかすように笑った。

 彼女はわたしの隣に座っている。同じような体型。……いや、彼女の方が痩せているか?

「……敵」

「え?」

「あ、いや……」

 うん。何を言ってるんだろうわたしは。






681: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:11:39.79 ID:yWTuIqKIo


「んーとね」

 と"わたし"は少し子供っぽい口調で言った。

「ちょっと、うん。偶然?」

「え、なにが?」

「会うつもりは、べつになかったんだけどね」

“わたし”は取り繕うような微笑を崩さない。

「……誰なの? あなた」

 わたしは真面目にきいたけれど、"わたし"は苦笑するだけだった。 
 
「どの世界から来た『わたし』なの?」

「……えっと」






682: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:12:07.26 ID:yWTuIqKIo


"わたし"は口籠る。
 わたしは考える。

 でも、そんなはずがないのだ。
 あくまでもわたしの考えが正しければ、だけれど。

 この世界は本来的には一本道だ、というのがわたしの推測の本筋だ。
 そこに、魔法使いの力を借りて分岐させようとした人物が現れ、世界を世界aと世界bに分岐させた。
 その考えでは、世界bが本流であり、世界a――この世界が生み出された分岐の世界。

 わたしがいる世界、世界aは「二つ目の世界」。
 仮にそうしたシステムでパラレルワールドが生み出されているとするなら、彼女のような人物は存在しえない。
 世界はふたつしか"まだ"存在していないのだ。

 だから、目の前にいる"わたし"は、存在しえない。






683: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:13:02.12 ID:yWTuIqKIo


 だって彼女の見た目は、わたしとほとんど同じだった。
 でも、この年齢まで育つことができるのは世界aのわたしだけ。
 世界bのわたしは、もっと幼い頃に死んでしまうのだ。

 だから、ありえない。いや、もしくはわたしの考えが間違っているのか。

「……うーん」

「どうしたの?」

 ずっと考え込んだわたしに向けて、"わたし"が訊ねた。

「よくわかんなくなってきた。サウナで難しいこと考えるの、むずかしい」

「そっか。うん。考えない方がいいよ、あんまり。わたしも、今はゆっくり休んでるだけだから」

「ふうん」

「うん」
 
 それ以上、"わたし"は何も言わない。わたしにしては気弱だ。






684: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:13:28.80 ID:yWTuIqKIo


「ひょっとしてあれかな。この状況は、自分の内面の思考が視覚的に表現されてるみたいな、映画的手法だとか」

 実際にそんな手法があるのかどうかはしらない。

「――え?」

「……では、ない?」

「――さあ?」

 なんとも頼りない。

「ま、いいや。そんなことは。だってサウナ、気持ちいいもんね」

「うん」
 





685: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:13:55.13 ID:yWTuIqKIo


 頷いただけで、"わたし"はそれ以上話を広げようとはしない。
 なんなんだかよくわからない。

「じゃあ、わたしの内面ってことで。じゃあ、さ、ねえ、"わたし"」

"わたし"は首をかしげた。

「わたしは、どうすればいいと思う?」

 わたしは大真面目に訊ねた。
 答えは大真面目にシンプルだった。

「――さあ?」

「だよねえ」

 わたしはまた溜め息をつく。






686: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:14:33.31 ID:yWTuIqKIo


「サウナ、出ようか」

 立ち上がって促す。バスタオルで体を隠しながら、"わたし"は立ち上がった。

「それ、なに?」

"わたし"はわたしの視線が自分の腕にあると気付くと、それをさっと隠した。
 わたしは怪訝に思いながらも、サウナを出る。
 
 汗を軽く流して、ふたたびお湯につかった。

「わたしね、どうすればいいんだろう」

 わたしは“わたし”に訊ねた。

「どうすればいいのか分からない。どうすればいいの?」






687: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:15:11.48 ID:yWTuIqKIo



「迷ってるんでしょう? 自分がすることに意味があるのか? それをしてもいいのか?」

 そうでしょう、と“わたし”は言う。

「そうだよね。ふつうに考えたら、そんなことは“してはいけない”。まともじゃない。
 だからあなたは迷ってるんでしょ? この期に及んで。
 そんなことをしたところで何になるのかって醒めてる。 
 忘れたふりをしてる。あなただって何か、どうしても納得できないことがあってここに来たはずなのに」

 そうじゃなければ、その姿のあなたがここにいるわけがない。
“わたし”は言った。
 わたしは少し、ばつが悪い。

「あなたは……」

 と“わたし”は言った。






688: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:15:45.00 ID:yWTuIqKIo


「こんなことを言ったらなんだけど、ずるい」

 それっきり“わたし”は黙っていた。わたしも自分で、そのことには気づいていた。
 そうだ。 
 
 わたしはずるい。
 
 結局、逃げたのだ。向かい合わなかった。

「でも、しかたないでしょ?」

 とわたしは拗ねたような気分で言った。

「あーあ。お兄ちゃんと結婚したかったなあ」

 冗談まじりにわたしは言った。

「――うん」

 と“わたし”は大真面目に頷いた。 
 どうかしてる。






689: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:16:11.52 ID:yWTuIqKIo


「でも、できないんだよね」

「うん」

「……事実婚でもよかったかな」

 いや、別に法的には問題なかったはず……いやあるか? あるかもしれない。

「……その、相手の気持ちは?」

 と“わたし”はちょっと様子をうかがうみたいな声で言った。

「いや、うん」

 それが問題で、わたしは死んだわけなんだけど。

「うん」

 とわたしはもう一度頷いた。






690: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/06(木) 14:16:59.44 ID:yWTuIqKIo


「でも、死んじゃったもんは仕方ない」

 だから、仕方ない。
 仕方ないのに、納得できなくて、こんなところまできた。

 馬鹿げた冗談みたい。

「ねえ、もう一度生きたいって思う?」

“わたし”は言った。
 わたしは少し考えた。でも、それはできない。

「うん」
 
 とわたしは頷いた。でもね、それは無理なんだよ。どうやら無理らしいんだよ。
 この世界をどんなふうに変えたってわたしはもう死んでいるんだ。

「そう」

 と“わたし”は短く言った。それだけだった。

「それでも……」

 とわたしは言った。“それでも”、どうなりたいんだろう。どうしたいんだろう。






695: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:38:26.96 ID:lrkQRkuKo






 浴場を出て着替えを済ませる。最後に"わたし"の姿を何度か探したのだけれど、結局見つからなかった。
 まさか本当に自分の内面と対話してたわけじゃないだろうけど。

「うーん」

 疑問にうなりながら鏡を見て、タオルで髪をぬぐう。
 風呂は心の洗濯といいまして。

「まいっか」

 我ながら軽い。
 お風呂に入って自分と対話を済ませて、もう頭なんてからっぽでいい。
 ……ともいかない。これからどうするかだけでも決めておかないと。
 
 とりあえず……服屋にでも向かおうか?
 代えの服もないわけだし。
 
 でも、わたしとケイくんに関しては、別に平気なのだ。魔法使いのサポートが受けられることになっている。
 だから、服は汚れないし、汚れたとしてもすぐに戻るのだと言う。
 
「というより、体がばらばらに千切れたって五分経てば治るよ?」

 と魔法使いは言っていた。これはケイくんは無理。わたしだけ。
 つまり死んでいるから、これ以上死ねないってことだ。 
 でも、じゃあ、動けるのって矛盾してる。

 そういうこじつけじみた辻褄あわせって、なんだかすごく居心地が悪い。






696: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:38:58.79 ID:lrkQRkuKo


 でも、ケイくんの場合は服が元に戻る。これは別の世界からあらわれた人間だから、らしい。
 でも、叔父bだって世界bからきた人間だ。
 彼の服が元通りにならないのは、単にこの世界に叔父の異世界同時間体(と魔法使いは呼んでた)が存在するから、らしい。
 異世界同時間体、つまりお兄ちゃんのことだ。
 よく分からないけど、

「異世界同時間体が存在する人物に対して魔術的に干渉してしまうと、異世界同時間体に対しても影響が出てしまう」

 ――らしい。

 簡単に言うと、"人物a"という人物に対応する異世界同時間体="人物b"が存在するとする。
 このとき、"人物a"対して魔術的干渉を行うと、"人物b"の方にもその影響が出てしまうのだという。
 なんでも、魔術を人物に対して行使する際に、魔法使いはその人物固有の情報というものをそのよすがにするらしいのだが。 
 その情報というのがあまり抽象的でない、具体的ものらしい(名前、年齢、背格好、血液型、誕生日、など)。

 異世界同時間体と、その人物の情報は大抵の場合一致するため(一致しないなら別人ってことでいいし)、
 魔術を行使する際、人物aに魔術をかけると人物bにも魔術が掛かる。

 結果――人物aと人物bの間に、魔術の行使者を媒体にして魔力的なパイプが出来る。
 このパイプができあがってしまうと、その後、人物aと人物bの間に情報的な区別がなくなる。






697: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:39:26.35 ID:lrkQRkuKo


 具体的に言うと――人物aが知らないはずの、人物bが知っている情報を、人物aが知ってしまう、などの現象が起こる。
 しかもその現象には結構幅があって、異世界同時間体=人物bの精神状況が抑うつ的だったりする場合なんかだと、
 人物aもまた抑うつ的になる。また、人物aが楽しい気分のときは、人物bも楽しい気分になる。
 同様に人物aが知っている知識や情報、人物aの思考などが、不意に人物bに流れ込むこともある。

 すべてお互いに、そういうことになりうる。

 その流入があまりに圧倒的な場合……昏倒したまま目を覚まさないこともある、とか。
 また、魔法使いが多少手をくわえさえすれば、行き来しあう情報をある程度操作することも可能らしい。
 居場所、とか。認識に大きなズレが生まれた場合、原因はおそらくそのあたりにあるんだろう。

 ずいぶん世知辛くも大雑把なファンタジーだ。






698: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:39:54.48 ID:lrkQRkuKo


 ……なんていう長々とした説明を、受けた。

 ……いつうけたっけ?

 わたしは不審に思う。そんな説明うけたっけ?
 そしてちょっと笑い出しそうになった。
 おいおい、まさかさっきのあの子がわたしの異世界同時間体ってわけじゃないだろうな?
 そしてひょっとして、わたしたちの間には既に魔法使いを媒体にした魔術的なパイプが出来上がっているのかもしれない

 それを笑い飛ばそうとするには、わたしの頭はちょっと混乱しすぎていた。

 魔法使いにとってのイレギュラー。
 それっていったいなんだったんだろう?






699: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:40:22.08 ID:lrkQRkuKo





 十時過ぎに服屋に向かう。
 叔父bは最初は渋ったが、

「正直、汗くさいよ?」

 というと仕方なさそうに頷いた。汚れた服のままは嫌だろうと思ったのだが、余計なお世話だっただろうか。
 でも、実際に汗くささを感じたわけじゃない。お風呂には入ったわけだし。
 
 というよりむしろ、不思議なくらいだった。
 昨日は埃っぽい駅舎で眠ったわけで、それを考えれば、服はもう少し汚れていてもいいくらいだった。
 そもそも、最初見た時と今とでは、服装が微妙に異なっている気がする。気のせいだろうか。

 それはともかく、服を選ばなきゃ。

 叔父bは服屋に入ると早々に安売りのコーナーに向かってTシャツとジーンズをつかんだ。
 夏だし、昼間はたしかにそれでもいいだろう。実用的には。






700: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:40:51.81 ID:lrkQRkuKo


「とはいえ……」

 さすがに、なんかこう、許せない。
 お兄ちゃんもそういう人だった。服なんて着れればいいやとでも言いたげ。
 小学を卒業するころにはそういうことにも気づいて、お兄ちゃんの服はわたしが選ぶようになったっけ。

 ……任せておくとすぐ、安いって理由で変なものを買ってくるのだ。

「だめ。それだめ」

 と叔父bが手に持ったシャツを戻す。

「なぜ?」

「なぜって」

 なぜかといわれると、説明しにくいのだが、いやなのだ。
 ケイくんが意外そうな目でこちらを見ている。







701: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:41:18.89 ID:lrkQRkuKo


「とにかく、お金出すのはわたしなんだから」

「だから安いのを選んでるんだろう?」

「問題はそこじゃなくて、お金に見合った価値があるかどうかなの」

「服なんて着れればいいよ」

 わたしは溜め息をついた。
 
「いいから。とにかくわたしが選ぶ」

 叔父bもまた溜め息をついた。
 





702: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:41:59.23 ID:lrkQRkuKo


 結局服を選び終わったのは十一時を過ぎた頃だった。
 叔父bが伊達眼鏡がほしいというので、彼が選んでいる間、わたしは一度店を出て自販機でジュースを買って飲んだ。

 なんだか無駄に体力を使った気がする。

 缶ジュースを飲みほして、ゴミ箱に捨てる。
 ケイくんが現れた。

「まだ選んでるみたいだよ」

 叔父bはまだ店の中にいるようだ。

「なんだか、意外だったな」

「意外? 何が?」

「お前が」






703: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:42:47.23 ID:lrkQRkuKo


「わたし? わたしの何が?」

「見たこともないような顔をしている」

 ……心外だった。

「どんな?」

「普通の女の子みたいだ」

「……」

 彼の認識では、わたしは普通の女の子ではなかったんだろうか。






704: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:43:18.56 ID:lrkQRkuKo





 会計を終えて店を出る。叔父bは服を着替えた。着ていたものはビニール袋の中にまとめた。
 うーん、とわたしは唸る。なんだかお腹が空いた。腕の中には叔父bの服が入れられたビニール袋。
 
 仮に……もし仮にだが。
 この服が汚れていなかったとしたら、どうだろう?
 つまり、魔法使いの魔術の行使の対象であったとしたら。
  
 そんなことを、本来なら魔法使いがするはずはない。
 でも、魔法使いには、わたしに隠したままにしている目的があるような気がする。
 不審なのだ。

 たとえば、だ。
 魔法使いがむしろ、何らかの目的で、お兄ちゃんと叔父bの間に魔力的パイプを作ろうとする、というのは考えられないだろうか?
 それで何が変わるのか、というと、おそらく未来が変わる。






705: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:43:47.86 ID:lrkQRkuKo


 叔父bとお兄ちゃんの思考、経験、記憶はそれほど大きく異なっているからだ。
 仮にそれがどちらかに流入すれば、行動にも変化が起こる。当たり前のように。
 結果、未来は大幅に変化するだろう。
 
 でも、そうだとすれば、別に服に魔術を掛けることもない。
 もっと分かりにくい手段を選べばいいだけなのだ。それに今は根拠がない。

 とはいえ。
 汚れがあまりついていないのは気になった。

 なんとなく、服に鼻先を近づけようとしてやめる。何をやろうとしているのだわたしは。

 仮にこの服が汚れていないにしても、もともとあまり着ていないものだったのかもしれないし。
 ……いや、それはないか?
 昨日は駅舎で夜を明かした。それでなくても、わたしたちは結構な距離を歩いている。
 汗の匂いくらいはつくだろう。






706: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:44:14.59 ID:lrkQRkuKo


 うーん。

 確認するだけなら……。
 しかし、なんだかこれって変だ。そもそもお兄ちゃんと叔父bは別人なわけで、こんなことをするのは精神的浮気というか。
 いや、浮気ってなんだ。ちょっと混乱している。

 それにもし匂いがしたらどうするのだ。それはそれで嫌じゃないか?
 うーん。でも、ひょっといてお兄ちゃんと同じ匂いがしたり……。

 ……待て。それで心が揺れたらまずい。別にお兄ちゃんの匂いをかぎたいわけではないはずだ。
 第一、叔父bとお兄ちゃんは別の家で別の生活をしているわけで、だとするなら匂いだって異なるはずだ。
 それを思えばがっかりというか安心というか、って、それは両方変だ。

「うう……」

 混乱している。

「ええい、ままよ!」

 と鼻先を服にうずめた。

「……」

 匂いがしない。
 疲弊しただけだった。






707: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:44:56.01 ID:lrkQRkuKo





 お昼はラーメンを食べた。
 あんまり同じ店に行くのも嫌だったので、ファミレスはやめておいた。
 それにわたしがラーメンを食べたかった(これが大きい)。
  
 わたしはさっきのこともあって叔父bと話すのが気まずい。
 いや、わたしが勝手に勝手な行動をとっただけなんだけど。

 ラーメンを食べ終えて、沈黙を振り払うために口を開いた。空回りばかりしている気がする。

「ね、そういえばさ、荷物、届けないといけないんじゃない? 昨日受け取ってたやつ」

「……ああ」

 叔父bは、気乗りしないふうに返事をした。

「……届けようにも、僕が家に入るわけにはいかないよ」

「そこは、ほら、忍び込むとか」
 





708: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:45:31.56 ID:lrkQRkuKo


 わたしは自分が何故、こんな話を始めたのか分からなかった。
 もしかしたら、銭湯で"わたし"と話したのも、無関係じゃないのかもしれない。
 
「……どっちにしろ、あなたは一度あの子に会っておくべきだと思う」

 あの子、というか、この時間におけるわたしなのだけれど。
 なぜそう思うのかは分からない。
 でも、そう感じた。彼はわたしに会うべきなのだ。そこから何かヒントを得られるかもしれない。
 その思考は、おそらくは"外側"からきたものだ。

「どうして?」

「なんでかは知らない。でも、なんかそういうの、ない?」

 わたしは正直に言った。彼は溜め息をついて考え込む。
 何かが変わりそうな気がするのだ。いまからだって、けっして手遅れじゃなく。
 ……わたしは死んでるんだけど。






709: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:45:58.41 ID:lrkQRkuKo





 店を出ると、叔父bもケイくんもいなくなっていた。

「あれ?」
 
 とわたしは思う。いったい何が起こったんだろう。
 不審に思って周囲を見回す。でも、ふたりの姿はどこにもなかった。
 いったいどこに行ったんだろう。

 でも、辺りにはほとんど人がいない。見失うわけがない。

 じゃあ、どうしてはぐれたりするんだろう。

 ……。

 わたしはポケットからスマホを取り出した。魔法使いに電話を掛ける。
 数度のコール音の後、電話がつながった。

「もしもし」

「もしもし?」






710: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:46:40.69 ID:lrkQRkuKo


「今平気?」

「……うん。割と平気。どうしたの?」

 彼女の声に、どこか空々しさが含まれているように感じるのは、わたしが彼女を疑っているからだろうか。

「ケイくんと、あの人、いなくなっちゃったんだけど」

「……あ、うん」

 それは変な反応だった。何か、あらかじめそうなることを知っているような反応。
 わたしの疑念は膨らむ。

「どうしたんだろう?」

「言ったでしょ。超常現象を起こすんだって」

「……え、これがそうなの?」

「うん」






711: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:47:07.22 ID:lrkQRkuKo


 巻き込まれた人間が超常現象を起こすのは、世界移動の際に行使された魔法使いの魔力が肉体に残留するからだという。
 その魔力を、巻き込まれた人間は強い感情を持つことで行使できる。らしい。

「……じゃ、これはどういうこと。わたしの傍にいたくなくなったってこと?」

「さあ。ひとりになってゆっくり考えたかったんじゃない?」

 ……なんだそれは。

「叔父の方はともかく……ケイくんまでいなくなってるんだろう」

 彼に、そんな強い感情を抱く理由があるんだろうか。
 だって彼は、わたしの傍にいるためにこの世界にきたのに。
 そうしてくれると言ったのに。

 魔法使いは曖昧に言葉を濁した。

「さあ。彼もひとりになって考えたかったんじゃない?」

 その声には、やはりどこかしら空々しい響きが含まれている。






712: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:47:47.04 ID:lrkQRkuKo


「ねえ、今から会いにいってもいい?」

 電話の向こうに沈黙が下りた。
 わたしは後悔した。

「……なぜ?」

 絞り出すように魔法使いは言う。

「なぜって……」

 理由が、必要なのだろうか。たしかに忙しいとは言っていたけど……。
 
「わたしがいると、不都合でもあるの?」

 彼女は電話越しに息をのんだ。わたしの心臓が強く鼓動する。
 こんなことを言ってしまって、大丈夫なのだろうか。

「……いいよ。来ても」

 と彼女は言った。






713: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:48:29.55 ID:lrkQRkuKo




 
 三十分後、わたしはショールームにいた。相変わらずドアが並んでいる。
 たくさんのドア。いくつものドア。でもそれらの大半はわたしには無意味だ。
 わたしは緑色のドアを探す。
  
 それはすぐに見つかった。魔法使いが意思的に開いている。

 少し、後悔していた。
 わたしは彼女のことを知ろうとするべきではなかったかもしれない。

 でも、ここまで来てしまったのだから、仕方ない。

 わたしはドアノブを回す。

 そのときだった。

 声が聞こえたのだ。誰かの声。その声には聴き覚えがある。

『切って』

『え?』

『いいから』

 会話だ。わたしはびっくりして心臓が止まるかと思った。でもその会話は、ここでなされているのではない。
 どこか遠くの方で、行われているのだ。






714: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:49:03.85 ID:lrkQRkuKo


『どうして?』

 男と女、二人の会話だ。 

『意味なんてないよ』

 と女の方が言った。

『でも、教えてあげなきゃ』

 男の方が、怪訝そうな声を出す。

『何を?』

『わたしが……ここにいるって。そういうことが、起こってるんだって』

『……でも、こんなことをしたって意味がないだろう?』

『そうかもね』

『……なあ、お前、さっきから変だよ』

『いいから、その弦をさっさと切って!』

 聞き覚えがある、どころじゃない。
 この声は。
 ケイくんとわたしの声。

 でも、声だけじゃなかった。
 もっと強い何かが、わたしの中に流れ込んできた。
 それは感情だった。濁流のように強い感情。
 





715: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:49:46.92 ID:lrkQRkuKo


 何かを憎む、何かを求める、強い感情だった。そして、手に入らないことを悲しむ、強い感情だった。
 それはあまりにしたたかにわたしの心をかき混ぜる。
 強烈な感覚がわたしの肉体を支配した。

 痛みとも違う。疼きとも違う。なんなのかよくわからない感覚。

 でもそれが原因だった。

 そこでわたしは意識を失ったのだ。
 その間際、

「ごめんね」

 と魔法使いが謝る声が聞こえた気がした。







716: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:50:57.29 ID:lrkQRkuKo




 意識を失なっている間、夢を見ていた。
 あるいはそれは夢ではないのかもしれない。

 夢の中の"わたし"はケイくんと一緒に花火大会に向かった。なぜかは分からない。どちらも深刻そうな顔をしている。

「なあ、何をしにいくんだ?」

 とケイくんが言う。"わたし"は答えない。ただ歩き続けている。その表情は暗い。足取りは重い。

「さあ?」

 と夢の中の"わたし"は言った。

「何ができるんだろう」

 ケイくんは気まずそうな顔をする。

「わたし、何をしにきたんだろ」

 その言葉に、彼は溜め息をつく。






717: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:51:23.89 ID:lrkQRkuKo


「そんなの、僕が知るわけない」

「そうだね」

 夜道を歩いて、花火大会の会場につく。
"わたし"たちはそこで、お兄ちゃんと、その姪の姿を探した。
 
"わたし"は。
 そこで、お兄ちゃんが、わたしの知らない女の人と話している姿を見た。

"わたし"は混乱する。なぜ混乱したのか、彼女には分からない。
 でも"わたし"にはよく分かった。それはわたしの死の原因にもなったのだ。
 わたしはお兄ちゃんがわたし以外の誰かと一緒にいることが恐ろしかった。
 それが花火大会なんて特別なシチュエーションならばなおさら。
 その感情が、夢の中の"わたし"に反映されたのだ。

 そして"わたし"は。
 ……"わたし"は……。






718: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:51:53.89 ID:lrkQRkuKo





 頭がずきずきと痛んだ。
 意識を取り戻す。うすぼんやりとした視界が、徐々に鮮明になっていく。
 控室。どうやら、控室にいるらしい。

 体を起こすと、すぐ傍に魔法使いが座っていた。

「や、久々」

 彼女は少し、疲れているように見える。

「……今日、何日?」

「八月六日の夜。って言ったら、怒る?」

「……八月、六日?」

 その日は、何か、あっただろうか。何か大事なことがあった、という気もする。
 でも、なんだか、頭が朦朧として、うまく考えられない。

「起きて早々悪いんだけどさ、今、お客さんが来てるんだ」

「……そのお客さん、わたしよりも大切?」

 魔法使いは困ったような顔になった。でもわたしは怖かった。今、わたしはひとりぼっちなのだ。






719: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:52:20.02 ID:lrkQRkuKo


「ケイくんはどこ?」

「……」

 魔法使いは少しの沈黙のあと、

「ごめんね」

 と言った。
 彼女は彼の居場所を知っているのだ。

「なんだか、疲れたな」

 とわたしは言った。

「眠っていてもいい?」

 彼女は何も言わなかった。
 ただ、憐れむような目でわたしを見た。そのことが一番悲しかった。







720: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/12(水) 15:53:40.35 ID:lrkQRkuKo


「ごめんね」

 とふたたび魔法使いは言う。

「べつに蔑ろにしてるわけじゃない。でも、どうにかできるかもしれないの」

 魔法使いは真剣な声音で言う。

「もちろんそれも、結局分岐をつくるってだけに過ぎない。でも、何かが変わりそうな気がするの」

 そして彼女は微笑した。

「あなたのおかげ」

 わたしには、その言葉の意味がつかめない。

「ありがとう」

 そして彼女は、わたしの額に手をおいた。

「おやすみなさい」
 
 意識が混濁する。
 わたしは眠っていく。
 置き去りにされていくのだ。






724: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:11:26.54 ID:h1CoNVIXo





 鈍い痛み。靄に包まれたように頭がはっきりしない。
 深い霧の中に彷徨いこんだようだ。視界が黒く覆われている。身体が重くてうまく動かせない。

 ひどく肌寒い。水の気配がしている。水流。流されていく。ぶつかっていく。
 身体中を軋ませるような衝撃、ぎしりという骨がゆがむ音。わたしの身体。

 酩酊するわたしという意識。放り投げられて置き去りにされた意識。中空にふわりと飛んで弾けるシャボン玉。 
 わたしは死んでしまったのだ。

 けれど、尚もわたしは目を覚ます。わたしは目を瞑っているのだ、とわたしは思う。視界が黒いのはそのせいだ。 
 目を開ければ光は見える。

 だからわたしは瞼を開く。

「……」

 音がないことに、真っ先に気を取られた。耳鳴りのしそうな静寂。
 わたしは控室に寝転がっていた。冷たいコンクリートの感触。指先に触れる、固くざらついた地面。

 痛みに、額を押さえる。何かがちぎれるような痛みが頭の中で起こる。
 何かが千切れていく。断線。わたしの時間。何もかもが判然としない。霧に覆い隠されてしまった。

 生き延びている。






725: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:11:55.54 ID:h1CoNVIXo


「……ねえ」

 と声をあげた。たぶんあげたと思うのだけれど、それは音にならなかった。
 この暗い場所に、その声は反響すらしなかった。ただ暗闇に吸い込まれていくだけだった。
 誰もいないのだ。

 誰もいない。

「ねえ!」

 とわたしは喉を鳴らした。その音も、やっぱりどこにも向かわない。自分の耳にすら。
 ぽつり、と水滴が落ちる音。耳がおかしくなったわけじゃないのだ。水滴は落ち続けている。ぽつりぽつり。
 
 わたしは体を起こす。起こしてから、その冷たさに身震いした。
 床が、水に浸されている。
 
 水位があがっていく。 
 ――悪趣味だ。

 全身は重い。頭はうまく回らない。わたしは迷路のような控室を歩きはじめる。光は差し込まない。
 





726: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:12:21.94 ID:h1CoNVIXo


 水の気配。……どこに向かえばいいんだろう。いまはいつなんだろう?
 わたしのポケットには例のスマートフォンが入っている。わたしはそれを取り出した。でも無駄だった。
 日付も時刻も分かったけれど、その日付や時刻がどのような意味を持つのか分からない。
 
 あのとき、一度目をさましたときに、魔法使いが言ったことが嘘じゃなければ、それよりも少しあとの日付。

 ……魔法使いはどこにいるんだろう。

 わたしは……。
 
「わたしは……」

 迷路のような控室。声は自分の身体よりもずっと早く、ずっと遠くにつくはずなのに。
 わたしの声は今更誰の耳にも届かない。






727: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:12:54.30 ID:h1CoNVIXo


 そうなんだよ、とわたしは思った。ここが行き止まりなんだよ。
 わたしの限界はここなんだ。でもそれはずっと前からそこにあったんだ。
 水の中、溺れながら助けを求めたときからずっと、それは影のようにわたしに張り付いていた。

 わたしは行き止まりの前で行ったり来たりを繰り返しているだけ。
 その先はもうない。

「それでも」

 とわたしは言う。声はどこにも響かなかった。
 それでも、まだやめるわけにはいかない。

 分かりきっている。

 それでも、わたしには、"わたし"には、あるいは、そのどちらにも、そうする以外に手段がない。
 





728: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:13:21.60 ID:h1CoNVIXo


 魔法使いの姿は見つからない。控室の出口も見つからなかった。
 わたしはこの状況について考える。閉じ込められているのだろうか? なぜ?
 何のために? どうして? 心当たりがまったくない。
 わたしが邪魔だから? 必要じゃなくなったから?

 そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。

 わたしは魔法使いに電話を掛けようとして、やめた。
 彼女は絶対に、本当のことを言わないだろう。そんな気がした。

 ……じゃあ、どうする?

 わたしはあたりを見回す。明かりのない暗い通路。水滴の音。
 水位は上がっていく。まるで砂時計に閉じ込められたみたいだ。

 そう、砂時計。

 段々と浸っていき、また時間が入れ替わる。逆さになる。
 見える景色も何もかも。ぜんぶさかさまになる。






729: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:13:49.45 ID:h1CoNVIXo


 とりあえず、歩いてみる。でも何かを期待したわけじゃない。誰かと会うことを期待したわけじゃない。
 会いたかったけれど。
 
 でもわたしが探しているのは「出口」だ。

 この迷路の出口を探している。
 迷路の出口を探すには歩くしかない。歩いて得た情報を繋ぎ合わせ、取捨し、選択する。
 やがて出口は見つかる。それが本当にあるのなら。

 歩いていく間にも水位はどんどん上がっていく。わたしは出口を探している。
 でも、どこに出ればいいんだろう?
 わたしはもう、何も変えられなくたってかまわないような気がする。

 扉を見つける。大きな扉。
 大きな鉄扉。わたしはそれを押し開ける。

 濡れた靴の感触が気持ち悪い。

 扉の向こうを歩く。水位はどんどん上がっている。

 ……いや、違う。

 わたしが沈んでいるんだ。






730: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:14:47.04 ID:h1CoNVIXo


 水の中。
 波紋が浮き立つようにわたしの身体を絡め取る。

 気付けばわたしは水の中にいる。でも、ちっとも苦しくない。

 なぜならわたしにはエラがあるから。
 そう、わたしはいま魚なのです。

 水の中に絡め取られて、わたしは流れに乗ってすいすい泳ぐ。軽快に。無目的に。
 ここは水槽の中。誰もわたしに触れられない。見ることはできるけれど。
 だから反対に、硬化ガラスの向こう側の世界に、わたしは触れられない。見ることだけはできるけれど。

 七色の鱗を光らせてすいすい泳ぐ。どこにだって行けそうな気がする。尾ひれをぶんぶん振って。

 お兄ちゃんが、ガラスの向こうにいる。きっと向こうは、夜の水族館。あの人はこっちなんてちらりとも見ていない。
 つらそうな顔をしている。
 
 わたしはそこに行きたかった。
 でも、このガラスが破れたら、水をなくしたわたしは死んでしまうかもしれない。
 水にのまれたお兄ちゃんは死んでしまうかもしれない。

 わたしは人間になりたい。






731: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:15:52.18 ID:h1CoNVIXo






 目を覚ます。つまり今見ていたのは夢だった。でもどこからが夢なんだろう。
 景色は相変わらず控室の中。日付はさっき、スマホで確かめた通り。

 なら、途中から妙な幻覚でも見ていたんだろうか。
  
 しっかりしろ。現実をしっかり見ろ。……どこからが現実なのか、わたしには見分けがつかないけど。
 でも、その努力だけはしなくては。目を離してはいけない。

「ああ、起きたんだ」

 と声がした。久々に誰かの声を聞いた気がした。
 わたしは誰かに会いたかったはずなのに……この場に誰かが現れたことが嫌で嫌で仕方なかった。

 わたしは声の主を仰ぎ見る。
 ケイくんが扉を背に立っていた。

 だからわたしは、彼の名前を呼ぼうと思ったんだけれど。
 声を出す気になれなかった。






732: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:16:37.94 ID:h1CoNVIXo


「どうした?」

 と彼は訊ねる。わたしは仕方なく答えた。

「べつに……」

 彼は少し戸惑ったような顔をしたけれど、すぐに気を取り直したようだった。

「それで、これからどうするんだ?」

「……どう、しようか」

 わたしは頭が痛くて、うまく物事を考えられない。

 彼が扉に向き直り、それをくぐったので、わたしもそれを追った。

 出た先はショールームだった。時間は、分からない。夜だろうか? たぶん夜だ。

 何かを、思い切りたたきつけて、壊してみたいような、気がしている。






733: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:17:14.44 ID:h1CoNVIXo




 もういいじゃないか、とわたしは思う。別にもうどうだっていいじゃないか。
 何をやったところで意味なんてないんだ。
 わたしはもう終わっているんだから。何もかもどうだっていい。

「どうする?」

 とケイくんが言った。

「どうしよう?」

 どうしよう。

 控室の、少し開けたスペース。そこには人影があった。 
 小さな人影。子供のような。「あの子」だろうか。






734: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:17:41.20 ID:h1CoNVIXo


「――?」

 でも違う。

 あの子じゃない。
 巻き込まれてここにやってきた彼女。
 わたしが叔父bをこちらに連れてこようと思った理由。
 ……いや、連れてこようとした理由は別か? 会いに行こうとしただけだっけ。
 どうだっただろう。

 わたしの思考は曖昧で手遅れでやけっぱちだ。

 でも、待って。あの子じゃないなら、世界bの姪でないのなら。
"違う"なら誰なの? この子は。






735: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:18:10.31 ID:h1CoNVIXo


「……なに、これは」

 とわたしは訊ねた。ケイくんは困惑している。

 だってつまり、この子は。消去法として。ううん、もっと単純に、服装や身長からして。
 わたしじゃないか。この世界の、この時間におけるわたし。"過去"のわたし。

「なぜこの子がここにいるの?」

「なぜって……」

 彼の困惑は深まっていく。怯えた目でわたしがわたしを見る。

「お前が言ったんだよ、僕に。この子を連れてこなきゃいけないって。そうしないといけないって。
 そして自分で連れてきたんだろ、この子を。……大丈夫か?」

「そんなの――」

 まるで覚えがない。
 
 言い知れない恐怖がわたしの背筋を撫でた。
 これはいったい、なんなんだ?







736: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:18:46.12 ID:h1CoNVIXo





「それで?」

 とお兄ちゃんは言った。我々はファーストフードショップの窓際の席に陣取って座っている。
 昼間だと言うのに人が少ない。店員の動く音さえ聞こえない。ただ忙しない厨房の音だけが聞こえている。
 気配だけが聞こえているのだ。

「そのあとは?」

 世界aにおけるお兄ちゃん――要するに過去のお兄ちゃんと、わたしは向かい合って座っている。
 わたしは何もかもを終わらせようと、彼のもとに過去のわたしを返そうとしたのだ。

 けれどそのとき隣には、世界bの過去のわたしがいた。
 だからわたしはの混乱は深まる。

「それから……」

 とわたしは答えようとする。でも答えはうまく発せられない。
 
 お兄ちゃんは言葉にしなかったけれど、既に、わたしが未来の姪の姿だと気付いているようだった。
 
「何があったのか、話してほしい」

 そう言って、わたしがこちらに来ることになった事情、こちらに来て起こったことについて、彼は説明を求めた。
 躊躇いはあったけれど……かといって、今となっては黙っていることも無意味だと感じられた。
 





737: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:19:19.03 ID:h1CoNVIXo


 要するにどこかの段階で――事態は破綻したのだ。
 
 目の前に座るお兄ちゃんの隣には、ポテトを齧りながら窓の外を眺める姪bの姿がある。

「あのときわたしの前にいたのは、たしかに、その子じゃなく……」

「"この世界の姪"だった?」

 わたしは頷く。
 彼は考え込むように唸った。……なぜだろう。お兄ちゃんの姿を見ていると、ひどく落ち着かない気持ちになる。
"あのあと"。控室で目覚め、そこに"この世界の姪"の姿を見つけた後。
 
 ケイくんは"わたしがさらってきた"と言った。
 わたしはそんなものに覚えなんてなかった。

「わたしはそれから、ひどく混乱してしまって……」

「ああ」

 とお兄ちゃんは平然と頷く。
 ……彼のこの余裕はなんなんだろう? 気味が悪いほどの。
 立場が、逆転しているのだ。






738: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:19:52.76 ID:h1CoNVIXo


 姪bは静かにお兄ちゃんに視線をうつしながら、自分の分のシェイクのストローに口をつけた。
 けれど中身は既に空だったらしく、彼女は少し残念そうにカップを置きなおした。
 お兄ちゃんは自分の分のシェイクを彼女に差し出しながらもう一度促した。

「それで?」

 姪bがストローに口をつける。彼女はわたしの視線に気づき、怯えたように目をそらす。もう片方の手でお兄ちゃんの服の裾を掴んだ。
 わたしの頭痛は止まらない。

「それで……」

 それから……。

「分からない。ケイくんに何かを怒鳴ったのは覚えてる。でも、あの子は結局、どこかにいってしまったの」

「どこか?」

「……分からない。たぶん魔法使いがどこかに移動させたんだと思うんだけど」

「なぜだろう?」

「分からない」

 わたしはなんだか胸が苦しい。






739: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:20:38.68 ID:h1CoNVIXo


「わたしはケイくんと話をした。何が起こっているのか。でも、彼の話とわたしの話は食い違っていて……」

 そう、ひどく食い違っていた。わたしは自分の頭がおかしくなったのかと思った。
 だってそれは本当に記憶にないことばかりで。でも状況は、記憶よりもケイくんが正しいと言っていたのだから。

「落ち着けよ、ってケイくんが言ったの。でも落ち着けば落ち着くほど、頭がおかしくなりそうだった。
 冷静に考えれば考えるほど、怖くてたまらなかった。だから咄嗟に……」

「うん」

「ケイくんに、言っちゃったの」

「……なんて?」

「落ち着いたところでどうなるっていうの、って。"わたしは既に死んでいるんだよ"って」

「…………」

 お兄ちゃんはそこで少しだけ表情をこわばらせた気がした。

「……ケイくんには、そのこと、言ってなかったから。ショックを受けてたみたいだった。どうしてかは、分からないけど」

「それは、ショックだろうね。彼の場合は」

 お兄ちゃんは妙に納得した風な態度を取ったけれど、わたしにはよく分からない。






740: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:21:06.82 ID:h1CoNVIXo


「だから怒りもする。――そのあとは?」

「ケイくんはショックで黙り込んじゃって、その子とわたしと彼は、物置でずっと何も言わずに黙ってた。
 そこに世界bの――」

 お兄ちゃんが、と言いかけて、いまさらのように、

「――あなたが現れた」

 お兄ちゃんは溜め息をついた。どうも事態が混乱しているらしいな、というみたいに。

「なるほど」

 そしてわたしは判然としない意識のまま彼らを思う様に罵り、窓の外に身を投げ出した。
 そこで意識を失い、ふたたび目を覚ますと、なぜか真昼の川辺で倒れていた。

 目を覚ましたときには意識が妙にすっきりしていて、いろいろな感情がぐるぐると頭を回っていた。
 そして、お兄ちゃんに会いにいこうと思ったのだ。なぜかは知らない。きっと自棄になったのだと思う。
 わたしは、そして、お兄ちゃんに出会い、いまここで話をしている。






741: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:21:34.54 ID:h1CoNVIXo


「……ところで、君が控室で目を覚まして、あの子――姪aと会って、ケイくんと話をして、認識の食い違いを自覚した日」

 お兄ちゃんは確認するような口調だった。

「その夜のことだけど、誰かに電話を掛けたりした?」

「……?」

 その質問の意味が、わたしにはつかめなかった。

「してない、はず。記憶にある通りなら、だけど。魔法使いにも掛けていないはずだし」

 わたしは念入りに記憶を確認したけれど、それはぶつ切りになっていて、あまり意味がある行為とは思えなかった。

「そう」

 納得した様子でお兄ちゃんは頷く。
 そして笑った。

「なんだか、いろいろとやっているようで、始まる前に終わった感じのする話だったね」

 ……。
 まぁ、たしかに、目的に向けての行動を取るよりも先に、いろんなものに足を取られてスタート地点にたどり着けなかった感じの話だ。
 話だけれど。お兄ちゃんに笑われるとなんだろう、この胸につかえる納得のいかない感じは。






742: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:22:03.14 ID:h1CoNVIXo


 そして彼は口を開く。

「世界bの僕は、"この世界の姪"に執着がありそうな感じだったかな?」

「……どうだろう。彼とは結局、はぐれてから一度しか会っていないから。でも」

 でも、そうだ。野放しになった彼がふたたびあの物置に現れたのは、

『……"彼女"は?』

"この世界の姪"を探していたからに他ならない。
 彼は、世界bの姪が迷い込んでいると、あの時点では知らなかったはずなのだから。
 いや、どうだろう。わたしが知らないだけで……実は知っていたのか?
 分からない。記憶が判然としない……。

「だとすると……やっぱりそれは異世界同時間体の魔力的パイプの影響、って奴かな」

 お兄ちゃんはさらりと言った。

「つまり僕の姪に対する執着が、彼に流れ込んだって考えた方がしっくりくる」

 ……聞いているわたしとしては、なんとも微妙な話だ。






743: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:22:29.60 ID:h1CoNVIXo


「『代わりがいるからどうでもよくなったのか?』と君は言ったけど」

 わたしは自分が、ついさっき、本屋の前でその言葉を発したことを、既に忘れかけていた。

「そんなわけがない」

 とお兄ちゃんは断言する。
 わたしは答えに迷う。

「……でも、その魔力的なパイプってのはいつできたんだろう?」

 彼はわたしの気持ちなんておかまいなしに自分の疑問を口にする。
 本当にこの人は……変わらない。

「魔法使いの手違いで出来たというよりは、意図的につくられたという方がしっくりくる」

「なぜ?」

「魔法使いは明白に、途中から目的を変えてるからだよ。最初は君の目的で――」

 具体的な目的が何なのかは告げていなかったし、わたしが何者なのかも自分からは言っていなかった。
 でも、『死んでしまった』とか、『分岐』とか言ってしまったわけで、たぶん察しはついているのだろう。

「――途中から、明白に自分のために行動を取るようになった。これには"巻き込まれた誰か"が関係しているんだと思うけど」

 あるいは、と彼は言葉を続ける。

「ひょっとしたら、途中で何かに気付いたとかね。だから、君のことをほったらかしにして、この世界に干渉し始めた。
 その結果、魔力的なパイプを作る必要ができた。もしくは、魔力的なパイプができた結果、世界に干渉する理由ができた」






744: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:23:39.27 ID:h1CoNVIXo


 まぁ、それについては確認できないことだからおいておこう、と彼は言う。
 何の話なのか分からない。わたしには見えていないものが、お兄ちゃんには見えているんだろうか。

 彼は考え込むような表情になる。わたしは。
 
「もういいよ」

 と言った。

「全部やめにしよう?」

 自分でもその声が震えていることが分かった。
 怯えている。でももう嫌だった。

「よく分からないことが起こったな、ってだけで、それ以上考えることなんてないよ。
 もう全部終わりでいいでしょ? わたしはもう嫌だよ」

「いいわけがない」

「どうして?」

「誤解があるようだけど」

 とお兄ちゃんは強い調子で言った。






745: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:24:27.30 ID:h1CoNVIXo


「僕は別に君たちの目的だとか、魔法使いの目的だとか、事象を引き起こす具体的な手段なんかが知りたいわけじゃない。
 僕が知りたいのは、僕の姪が、この世界における、この時間における僕の姪がどこにいるかなんだ。
 そして、どうすれば、どこに行けば彼女をとりもどすことができるかどうかなんだ。
 理屈に合っていようがいまいが関係ない。僕には、彼女をとりもどす以外の終わりなんていらない」

 彼にしてみれば、そうなんだろう。
 でも。

「それなら、どうしてわたしと話そうだなんて思ったの?」

 わたしは問いかけずにはいられない。

「どうしてその子と一緒にいるの? その子に優しくしているの?」

 なんだか無性に、悲しくて、とても苦しい。

「どうして態度がそっけなくなって、どうして女の人を家に連れてきて、どうして家を出て……」

 それは彼に聞いても答えようのない質問だと分かっていたけれど。
 積み重なった"どうして"が、喉からとめどなく溢れてしまう。

「どうして、いなくなるの?」

 熟慮するように視線を落とし、彼は窓の外を眺めた。 
 姪bがわたしの顔色をうかがって、服の裾を離した。何かに納得したような、諦めたような顔だった。
"そういえば諦めていたんだっけ"という顔だった。






746: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:25:12.91 ID:h1CoNVIXo


「後半の質問には、僕は一切答えられないけど、前半の質問には答えられる」

 そしてお兄ちゃんは言った。

「君と話そうと思ったのは、僕の身に起こった今回の事態が、どうやら姪にも関係があるらしいからだ」

 一言だった。
 そのあとは黙ってしまった。

 大真面目な顔をしたお兄ちゃんに、わたしはぽかんとする。

「そしてこの子と一緒にいるのは、この子があの子に似ているからだよ」

 この人は。
 なんというか。
 
 あほなのか。
 基準はそこなのか。






747: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:25:43.09 ID:h1CoNVIXo


 彼はひとつ咳払いをした。

「いや、待ってくれ。他にも一応理由はある」

「……一応聞くけど、どんな?」

「誤解だったとはいえ、僕はケイからこの子を引き受けたんだ。まさか街に放り出すような真似はできない」

 わたしが黙っていると、

「そんなことをしたら、あの子に怒られるしね」

 と付け加えた。
 ひょっとしてわざと言ってるんだろうか。

「あとは、もうひとつある。これは個人的な信仰のようなものなんだけど」

「……それは?」
 
「僕が誰かのために祈ったら、誰かも僕のために祈ってくれるかもしれない」






748: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/18(火) 19:26:22.75 ID:h1CoNVIXo





「とにかく」

 わたしはなんだか気まずくなって少し大きめに声をあげた。

「もしあなたがこの世界の姪に会いたいってだけなら、話は簡単だよ。
 魔法使いに会えばいい。彼女はたぶん、控室にいるから」

「ホントにいるのかな」

 とお兄ちゃんは疑わしそうな声をあげた。

「たぶんだけど。……扉を開けてくれるかは分からない」

「……まあ、行くしかないんだろうね」

「わたしも、自分の身に起きたことの説明を、彼女から聞かないと」

「……そうだね」

 お兄ちゃんはそこで神妙そうな表情になった。

「勝手に混乱して、勝手に自己完結して、勝手に飛び降りるのは、たぶん君の悪い癖だ。 
 これからはちゃんと状況を把握して、相手をちゃんと問い詰めてから、物事を判断するようにしたらいい」

 ……なんだ、この、無性に腹が立つ感じは。誰のせいだと思ってるんだ。

 わたしは溜め息をついた。






752: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:11:48.53 ID:ox1jzL0Fo





「ところで……」

 ショールームに向かう途中、わたしはお兄ちゃんの背中に声を掛けた。

「あなたは、いったいどの程度状況を把握できているの?」

 お兄ちゃんはわたしの質問に、少し不思議そうな顔をした。
 けれどそれは一瞬のことで、彼は納得したように溜め息をつく。

「きみの正体くらいは」

 とお兄ちゃんは言う。わたしは緊張すらしなかった。
 さっきまでの話でも、わたしは自分の正体を決して洩らさなかった。 
 ただ、自殺した結果、魔法使いに力を借り、この世界にやってきて、未来に分岐を作る可能性を得た、と話しただけだ。

 それでもお兄ちゃんには、他にもたくさんのヒントがあったのだろう。
 あっさりと、わたしの正体を見抜いているわけだ。

「なんて言い方は悪趣味か?」

 お兄ちゃんは笑いかけて、ためらうようにそれを押さえた。






753: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:12:26.63 ID:ox1jzL0Fo


「うん」
 
 とわたしは頷いた。

「お兄ちゃん」

 彼はその言葉に足を止め、後ろを歩くわたしを振り向いた。わたしは振り向いてなんてほしくなかった。
 
「会いたかったよ」

 そうだ。会いたかったのだ。会いたかった。
 本当は世界も未来も何もかも放り投げて、今ここにいるわたしだけを優先して、わたしはお兄ちゃんにもう一度会いたかった。 
 混乱していない頭で。疲れていない体で。汚れていない顔で。荒んでいない心で。
 
 でもそれはできなかった。

「……だったらなぜ?」

 とお兄ちゃんは言う。
 わたしはきょとんとした。たぶん。そんな間抜けな顔をした。






754: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:12:54.09 ID:ox1jzL0Fo


「なぜ僕に会いに来なかった?」

「……"なぜ"?」

 どういう意味、と訊ね返しかけると、お兄ちゃんは真剣な表情で言った。

「最初の数日は、様子をうかがっていた。それは分かる。でも、別にそのあとは会いにきてもよかったはずだ」

 そこで彼はわたしの目をじっと見た。

「なぜ会いに来なかったの?」

「……だって、それは」

 ――突然あらわれた『未来の姪』なんていう存在を、まともに受け入れるはずがないから。

 ……そう、だった。そのはずだ。






755: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:13:23.00 ID:ox1jzL0Fo


「会いに行ったら、わたしの言うことを信じてくれた?」

「どうだろう。でもきみには、僕を信頼させる術があった」

「……術?」

「『もう一人の僕』は、明白な異常だ。明白な異常をきみが説明づけることができたら、僕はきみの話を少なからず信用したはずだ」

「……でも、それとこれとは話が別じゃない?」

 わたしの反問にお兄ちゃんは黙った。
 そして、昔のように短い溜め息をついた。

「きみの動きは変なんだ」

 とお兄ちゃんは言う。わたしはなんだか落ち着かない気分になる。いったい何を言おうとしているんだろう。

「きみの話を信頼するなら、別世界の僕を連れてくる理由なんてないはずなんだ。
 きみだって最初は言っていた。何かのヒントが得られるかもしれないと、話をしたいと思っただけだったと。
 でもきみは『彼を連れてきた』。これはきみの意思なのか?」

「……変化を加えたかったから」






756: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:13:59.12 ID:ox1jzL0Fo



「だから」

 とお兄ちゃんは力強く言った。

「それなら何も、そんなことをしなくても、僕に会いに来たりすればいい。何らかの手段で僕にきみのことを信頼させるのは可能だったはずだ」

「たとえば?」

「たとえば、僕ときみにしか分かりえない、知りえない秘密がある」

「……?」

「きみは誰にも言わないと約束したし、僕も誰にも言ったことはない。そういう約束だ」

「……」

「その約束について、何か知っている?」

「……」






757: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:14:25.64 ID:ox1jzL0Fo


"お前は、僕のことを好きか?"と、ずっと昔、お兄ちゃんは言ったのだ。

"お兄ちゃんのこと、好きだよ?"とわたしは答えた。
 お兄ちゃんのそのときの顔はひどく真剣で、怖いくらいで、悲壮で、なんだか、抑え込んだような必死さを感じて。
 だから不安だった。不安だったけど、答えた。

「"お前が僕のことを好きでいるかぎり――"」

 とわたしは言った。お兄ちゃんは黙ってわたしの顔を見つめている。

「"――僕は絶対にお前の味方でいる"」

"母や父や姉がお前を見限っても、僕だけはお前の傍にいる"

 その言葉は、わたしをとても不安がらせたけれど、同時にとても安心もさせた。
 結局はわたしは祖父母の愛情も母の愛情も信頼しきれていなかったのだろう。
 
 今になって思えば、お兄ちゃんのその言葉は、呪いめいてすら聞こえる。
 けれど、わたしにとっては、そのときのわたしにも、今のわたしにさえ、その言葉は、本当に、救いと呼べるものだった。

「――証明はとても簡単だろ?」

 わたしは今のやりとりに、言いようのない不安を感じたが、お兄ちゃんは話を続けた。気のせいなのだろうか。
 






758: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:15:02.67 ID:ox1jzL0Fo


「きみはとにかく僕の目の前に現れさえすればよかった。僕はきみのことを疑ったかも知れない。
 でも、もしきみが現れれば、僕はさっきと同じ質問をきみに投げかけた。
 だから、結果的にきみの言葉を信じただろうと思う」

「そんなの……思いつかなかっただけだよ。信じてもらう手段を思いつかなかったから」

「――本当に?」

 お兄ちゃんの表情は、とても真剣だ。なのに、どこか冷めている。
 
「違うんじゃないのか。信じてもらう手段を、考えもしなかったんだろ?」

「……どういう意味?」

「たとえば、"もうひとりの僕"を利用して、常軌を逸した状況を僕に信じさせる手段もあった。
 さっきみたいに、僕たちしか知りえない情報を知っていると示唆することで、僕を信じさせる手段もあった。
 他にもいくつか手段はあるはずなんだ。にもかかわらず、きみは思いつかなかった」

 でも、と彼は続ける。

「手っ取り早いのは僕に会いに来ることなんだ。きみは本来なら、そこにもう少し執着していてもいい。
 つまり、きみは本当は、僕に会いたくなかったんだ」






759: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:15:30.53 ID:ox1jzL0Fo



 その言葉に、

「違う!」

 と思わず声が出た。
 お兄ちゃんは息をのんで、「しくじった」という顔をする。わたしもまた、大声をだして「しくじった」という顔をしたかもしれない。
 姪bが体をすくませている。手のひらは、お兄ちゃんが握っている。

「……言い方が悪かった」

 わたしたちは少しの間黙った。午後の太陽が少しだけ勢いを弱めた。でも、アスファルトに蒸されて、世界は歪みそうな熱気に支配されている。

「僕が言いたいのは、そこにきみ以外の意思が関係しているのではないか、ということなんだ」

「……わたし以外の意思?」

「少し情報を整理しよう」

「整理?」

「そう」

 と彼は頷く。

「僕たちの目の前には既にたくさんの情報がある。それらは脈絡なくちりばめられているし、出現のタイミングも状況もばらばらだ。
 だからとても混沌としているし、説明が付けづらい。このままじゃ理解は難しい。
 といって、これ以上の情報を求めたところで結果はよくならないだろう。
 僕たちはとても混乱している。上手に考えることができない。
 だから――必要なのは情報の収集よりも、むしろ整理なんだ」






760: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:15:57.09 ID:ox1jzL0Fo






「まずは、人物を整理しようか」

 お兄ちゃんはポケットから手帳を取り出してメモページを一枚ちぎった。

「まず、僕だ」

“僕”

「僕はもともとこの世界に暮らしている。両親と、バツイチの姉と、姪と同居している。
 とあるショールームで行われた催事の際、自分そっくりの“もうひとりの自分”を見つけた。
 それ以来奇妙なことが起こり始めた。ギターの弦が切れていたり、姪がいなくなったり」

 ところで、と彼は言う。

「きみは僕のギターの弦を切ったりしていないね?」

「……うん」

 本当のところは分からない。でも、“わたしは切っていない”、と思う。






761: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:16:23.79 ID:ox1jzL0Fo


「次に、“姪”」

“姪”

「“僕”と同居していた姪。歳の差は七つ違い。まだ子供だ。この子はいなくなって以来、僕の前に一度も姿を見せていない。
 ところが、僕が姪を探している際、彼女の行方を知らせる電話があった」

「……え?」

 そのことを、わたしは知らなかった。

「“魔女”の電話だ」

「……“魔女”?」

 そういえば、お兄ちゃんは言っていたっけ。わたしと最初に、本屋の前で会ったとき。

『きみが、魔女?』

「少なくとも、僕らに関連するおかしな存在が、ここまでにふたりいる。一人目は“もうひとりの僕”」

“もうひとりの僕”

「催事の日にショールーム二階の窓から僕を見下ろして、花火大会の日に僕のもとに現れた。
 パラレルワールドにおける僕自身を名乗っていた。
 きみと彼の説明によれば、彼は“姪が死んだ世界”における“僕”だという。
 彼はきみと行動を共にしたかと思えば、別々に行動し、突然動向がわからなくなったりした」






762: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:17:30.58 ID:ox1jzL0Fo


 お兄ちゃんが言う“もうひとりの僕”の世界では、わたしは子供のまま母に殺され、また、母も自殺している。
“もうひとりの僕”は決して“姪”の味方ではなかった。

「次に、“魔女”」

“魔女”

「……その人のことが、分からないんだけど、魔法使いとは違うの?」

「これについては、あとでまとめて説明する」

 そもそも、どうしてその人は“姪”の居場所を知っていたんだろう?

「次に、きみと、ケイ」

“きみ”

「……きみは、僕たちが今いるこの世界の、数年後の未来から来た。そういう説明だったよね?」
 
 そう、そこまでは説明した。
 わたしはこの時間より数年後の未来からやってきた。

「その世界で、“何かの出来事”を理由に自殺したものの、“魔法使いの力”を借りてこの世界に“分岐”を作りに来た」

「……うん」
 
 それであっている。

「“もうひとりの僕”と“ケイ”を、魔法使いの力を借りて連れてきたのは、きみだ。それで合ってるよね?」

「うん。それはわたし」






763: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:18:06.01 ID:ox1jzL0Fo


「そして“ケイ”」

“ケイ”

「これはきみの友だちだ。だからきみとワンセットで扱って構わないだろ? 同じ世界の同じ時間から、この世界に来たわけだ」

「……うん。それで合ってる」

「さらに、“魔法使い”」

“魔法使い”

 正体不明だけれど超常的な力を持っている女性。 
 わたしたちにも無関係ではないらしい。でも、詳細は分からない。

「それから……」

 そこで彼はちらりと手のひらの先を見遣った。

「この子。まあ、仮に“少女”としておくか」

“少女”

 厳密に言えばこの子は“もうひとりの僕”の世界における“わたし”=“もうひとりの姪”だ。
 この子が“巻き込まれた”ことをヒントに、わたしは“もうひとりの僕”を呼びにいくことを思いついた。






764: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:18:37.41 ID:ox1jzL0Fo


「人物は……このくらいかな、大雑把に言って」

“僕”
“姪”
“もうひとりの僕”
“魔女”
“きみ”
“ケイ”
“魔法使い”
“少女”(もうひとりの姪)

「このほかにも、魔法使いと誰かが話しているのを、きみは聞いたと言ったっけ?」

「うん。でも、それは幻聴かもしれないし……」

 実際に、彼女が誰かと話している姿を見たわけではない。話し声はしたけれど、姿は見つけられなかったのだ。

「まあとにかく、それは保留でいいか。とりあえず、人物は八人だ」

 お兄ちゃんはそして、少し考えるような顔になった。






765: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:19:16.62 ID:ox1jzL0Fo


「“魔法使い”に関しては、とりあえず思考の隅においておこう。考えても仕方ないから」

「……うん」
 
 わたしはなぜだか、お兄ちゃんの話を黙って聞く気になっていた。
 
「だから、僕らが整理すべき関係は七人のものだ。
 そして単純に、この人物を世界、時間ごとに分けて考えてみようか」

 お兄ちゃんは空を見上げて一度瞼を強く瞑って、それから長い息を吐いてふたたび話し始めた。

「まず、“この世界”の人間」

“この世界”。わたしが“世界a”とたとえた世界。
 基準となる世界。

「基本となる時間は、今。僕は高校生で、姪は小学生の“今”だ」

 それはわたしにとっては過去だったけれど、今は彼の邪魔をするべきではないだろう。

「この世界の住人は、七人の中では二人だけ。“僕”と“姪”だ」

 よどみなく、お兄ちゃんは続ける。






766: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:19:48.41 ID:ox1jzL0Fo


「次に、“もうひとりの僕”の世界。パラレルワールドの住人。
 きみの話によると、“少女”は“もうひとりの僕”の世界における“姪”らしいから、この“もうひとつの世界”の住人もふたり。
“もうひとりの僕”と“少女=もうひとりの姪”だ」

“もうひとつの世界”。“世界b”。

 わたしは“もうひとりの僕”と“もうひとりの姪”を“叔父b”、“少女b(あるいは姪b)”と呼んで記号づけた。
 逆に“この世界”におけるお兄ちゃんを、“叔父a”、“この世界”における過去のわたしを“少女a(あるいは姪a)として記号づけた。

「そして、ケイときみは、“この世界”と地続きの未来から来たという」

“地続きの未来”。

 お兄ちゃんがわたしに冷たく接するようになり、わたしが死んだ世界。
 
「つまり、この三つの世界の人物が、“この世界”に集合してさまよっているのが今までの状況だと言うわけ」

「……待って。でも、“魔女”は?」

「あとでまとめて話す」

 その言い方に妙に苛立って、

「“あとで”はやめて」

 というと、お兄ちゃんは少し悲しそうな顔になった。

「……うん」






767: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:20:26.57 ID:ox1jzL0Fo


「そもそも、魔女って誰なの?」

「僕も分からなかった。最初は、きみが魔女なのかと思っていた」

「どういう意味?」

 わたしのことを魔女と呼んでいた、という意味だろうか?

「つまりね、きみと魔女の行動は区別がつきにくいんだ。
 でも、話を聞いたかぎり、きみと魔女は明確に別人として行動している」

「……区別がつきにくい?」

「僕のギターの弦を切ってはいない、けど、“弦を切って”という言葉が夢の中に出てきたって言ってたね」

「……うん」

『いいから、その弦をさっさと切って!』

 夢の中で“わたし”は、ケイくんにそう怒鳴っていた。






768: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/23(日) 15:21:25.71 ID:ox1jzL0Fo



「銭湯で、自分の姿をした幻覚を見たとも言った」

「……うん」

 わたしはなんだか不安になった。
 お兄ちゃんは、いったい何を言おうとしているんだろう?

「それが……?」

 お兄ちゃんは少しためらうような間を置いた。

「つまり、それが魔女なんだ」

 わたしはまた混乱する。

「きみと同じような姿をした存在がいるんだ。つまり――」

 お兄ちゃんは断言する。

「“魔女=もうひとりのきみ”、だ。異世界同時間体。この世界に、“未来のきみ”がふたりいる」






773: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:50:38.26 ID:4woSyJNbo




「……待って」
 
 わたしの声に、お兄ちゃんは「どうぞ」と言いたげに頷く。

「でも、それはおかしいでしょ?」

「何が?」

 彼は平然と首をかしげる。わたしの認識がおかしいのだろうか。

「だって、この世界に関わり合っているのは、三つの世界だけ、だったはず」

 そうだ。
 まずは、前提となるこの世界。
 次に、姪……わたしが子供のうちに死んでしまった世界。
 最後に、わたしがいた、この世界の未来。

 まずこの世界に、"未来"の姪は存在できない。
 そして、"姪"が死んでしまった世界。ここにも"未来"の姪は存在しえない。
 そうなる前に、彼女は死んでしまうはずなのだから。
 最後に、この世界の未来……そこにおける"未来"の姪は、すなわちわたしのことだ。






774: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:51:12.20 ID:4woSyJNbo


「魔女が"未来の姪"だったとしたら、その人はいったいどの未来から来たの?」

「……疑問はもっともだけど、ややこしいながらも答えることはできる」

 お兄ちゃんの態度はあくまでも穏やかだった。
 わたしは彼の声に耳を澄ませる。

 けれどわたしが期待したような説明は、彼の口からはなされなかった。

「でも、これに関しては、魔法使いと話しながら説明した方が早い。僕だって、詳しい理屈が分かってるわけじゃないから」

 少しためらうような表情を見せて、お兄ちゃんは笑った。

「だから、今は一刻も早く魔法使いに会わないと」

「会って、どうするの?」

「あの子にもう一度会わないと」

 それ以外には何もないというように、お兄ちゃんは言う。

「それにしても、僕の視点だけでは足りない情報が多すぎる」

「……」

 わたしはお兄ちゃんよりもたくさんのものを見たはずなのに、お兄ちゃんほど盤上を見渡せていない。
 彼はどこまで分かっているのだろう?






775: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:51:50.81 ID:4woSyJNbo




 ショールームにたどり着く。
 わたしたち三人は並んでその建物を見上げた。いまさらのようにその全容を眺めてみても、やはり何の変哲もない建物としか思えない。
 お兄ちゃんが扉を開けた。足を最初に踏み込んだのもお兄ちゃんだった。手を繋いだまま、少女があとを追う。
 わたしは最後に入って扉を閉めた。

 ぎいと軋むような音を立ててドアが閉まると、屋内は異様な静寂に支配されていた。
 正面に向かってお兄ちゃんは歩く。靴のかかとがかつかつという音を立てた。
 その音はいやに響く。わたしは神経質になっているんだろうか。妙に不安にさせられた。

 正面には例の緑色の扉があった。
 まるですべての扉が、その扉の為に並べられた脇役みたいだった。
 扉はどれも墓碑に似ていた。

 音は死んでいた。たぶん色彩も死んでいるのだろう。生きている人間の気配がしない。
 いや、死んでいるのは時間だろうか? 
 
 ……わたしは何を考えているのだろう? 雰囲気にのまれているらしい。

 けれどそれでも、彼女は、その扉の前に立っていた。
 物言わず。
 けれど視線はこちらに向けて。

「待ってた」
 
 と、彼女はささやくように言った。

 わたしは声を失う。
 その姿はやはり、わたしにそっくりだったのだ。






776: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:52:23.27 ID:4woSyJNbo





「この場にこうして存在している以上、彼女はきみの幻覚なんかじゃ決してない。それは分かるよね?」

 お兄ちゃんは"魔女"の挨拶に返事すらせず言った。
 少し物静かな雰囲気の"魔女"は、その態度に少しだけ傷ついたように見えた。
 本当のところは分からない。でもわたしはたしかにそう感じた。

 そしてお兄ちゃんは言う。

「"初めまして"」

 その言葉に、"魔女"の顔がゆがんだ。

「……性格、悪いなあ」

 お兄ちゃんは"魔女"の態度をうかがうようにじっと見つめている。
 魔女もそのことに気付いて、けれどことさら、自分を隠そうというふうでもなさそうだった。

 今の会話から、お兄ちゃんは何かを炙りだそうとしたのだろうか?
 したとしたら、それはいったいなんなんだ?

"初めまして"じゃないのなら。






777: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:53:44.46 ID:4woSyJNbo


「魔法使いはいる?」

「……うん。でも、話はあとでもいいでしょう?」

"魔女"の様子は少しおかしかった。 
 澄んでいるようであり、澱んでいるようであり、明るいようであって、暗い。
 いうならば、明るい暗さ、のようなもの、に彩られている。
 
「まずは――その子を、こちらに」

 彼女は平然と言う。その子、とは誰のことだ? わたしは少し考え、その対象がひとりしかありえないことに気付く。
 お兄ちゃんは繋いでいた手に力を込めたようだった。

「大丈夫。その子をこちらに引き渡してくれれば、全部説明する。あの子にだって会えるよ。だから」

 だから、と呪いでも掛けるみたいに。

「その子をこっちに。それはその子に必要なことなの」

 少女は"魔女"の態度に、ひどく怯えているようだった。

「悪いけど、それじゃ順番が違う」

 お兄ちゃんは平然と、"魔女"の要求をつっぱねた。
"魔女"が歯噛みする。






778: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:54:13.38 ID:4woSyJNbo


 ……何が起こっているんだろう?

 折れたのは魔女だった。さしてこだわることもなさそうに、溜め息をつく。

「まあ、いいや。どうせ結果は変わらないし」

 白々しい口調で、魔女は言う。

「どうだろうね」

 とお兄ちゃんが笑うと、彼女は怪訝そうな顔を見せた。

「……どういう意味?」

「さあ。言ってみただけかもしれない。それより、魔法使いを呼んでもらえる?」

 お兄ちゃんの言葉に、魔女は静かに傍らの扉を叩いた。返事があって、扉が開く。
 参った、というふうに、魔法使いが出てきた。

「……彼女がそうなのかな」

 と、お兄ちゃんはわたしに訊ねる。






779: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:54:40.51 ID:4woSyJNbo


「うん」
 
 わたしが頷くと、お兄ちゃんは変な顔をした。

「もっと怪しい感じのを想像してたんだけど……なんだかカジュアルだね」

 その感想がこの場に似つかわしくないように思えて、わたしは苦笑した。

「や。ひさびさ」

 魔法使いはわたしに手を振った。
 わたしは応じない。
 
「……ま、そうね」

 ちょっとさびしそうに、彼女は笑った。






780: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:55:07.11 ID:4woSyJNbo


「さて」

 と言ったのは"魔女"だった。
 この場にいる人間は五人。

 お兄ちゃんとわたし。それから、魔法使いと魔女。
 そして、"もうひとりの姪"。
 ケイくんと、"もうひとりのお兄ちゃん"はいない。
"この世界の姪"も。

「場も整ったみたいだし――」
 
 宣戦布告するみたいに、どこか諦めの漂う声で、"魔女"は高らかに言う。

「――つじつま合わせを始めようか」






781: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:55:35.12 ID:4woSyJNbo





「……つじつま合わせ、ね」

 お兄ちゃんが言う。
 なんなんだろう。お兄ちゃんと、"魔女"だけが、別の場所で話をしているような気がする。
 それとも、分かっていないのは、わたしだけなのか。
 魔法使いもちゃんと、この場で起こっていることを把握しているのだろうか。

 魔女は、扉の前で身をかがめ、何かを拾う。そしてそれをお兄ちゃんの足元に投げた。
 いや、正確には、それは少女の目の前に落ちた。

「あげる」

 と魔女はいう。

「それは必要なものだから」
 
 彼女はじっと、お兄ちゃんと手を繋いだ少女の目を見つめているようだった。
 妙に穏やかな、いつくしむような声音だった。その声にあてられたのか、少女は身をかがめようとする。






782: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:56:01.06 ID:4woSyJNbo


「――待て」

 と言ったのはお兄ちゃんだった。

 その言葉はどちらに向けられていたんだろう。
 魔女は怪訝な表情を深める。

「……なぜ止めたの?」

「……」

「――違う。ねえ、あなた、どこまで見えてるの?」

 お兄ちゃんは答えなかった。

「まさかとは思うけど……」

「……」

「叔父さんの記憶、ぜんぶ見たの?」






783: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:56:42.68 ID:4woSyJNbo


「え?」
 
 と声をあげたのはわたしだけだった。
 お兄ちゃんは、そんなのはぜんぜん不思議なことじゃない、といってるみたいに平然としている。
 でも、彼女は言った。

 ……"叔父さん"?

「きみが呼ぶ"叔父さん"っていうのは、つまり」

 魔女は隠そうとするでもなく答える。

「そう。花火大会の日にあなたが会った、もうひとりのあなた」

「彼は、"姪が死んだ世界"の住人だった」

「そう」

「だから、本当なら"きみ"はありえない」

「……」

 そうだ。
"姪が死んだ世界"には、"もうひとりのお兄ちゃん"を叔父さんと呼ぶ、成長した"姪"は存在しえない。
“もうひとりの姪”はその前に死ぬんだから。
 





784: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:57:09.48 ID:4woSyJNbo


 でも、いる。……いや、わたしだって、死んだうえで、この場にいるんだけど、それとは関係がない。
 だって彼女は、それ以前に"存在するはずがない"のだ。

 でも、お兄ちゃんは言う。

「二周目なんだろ?」

 それ以外ないというみたいに簡単に。
 魔女の表情がかすかにこわばった気がした。

「どういうこと?」

 わたしは言葉の意味がわからずに、お兄ちゃんに問いかける。
 お兄ちゃんはこちらをわずかに振り向いて答えた。

「この世界は分岐してるんだよ」

「……うん。わたしが死ぬ世界と、死なない世界に、分岐してるんだよね?」






785: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:57:45.26 ID:4woSyJNbo


「そう。それともうひとつ、分岐がある」

「……?」

「きみは子供の頃、このショールームに足を踏み込んだことがある?」

「え? ……ある、けど」

「うん。それじゃあ、このショールームで魔法使いやケイに軟禁された記憶は?」

「……」

 ……それは、ない。

「……忘れているだけかもしれないけど、ない、と思う」

「いや、体験していないはずだよ」

 お兄ちゃんは確信を持っているようだった。






786: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 13:59:42.39 ID:4woSyJNbo


「そうじゃないとつじつまが合わない。だってきみは、分岐をつくるためにこの時間にやってきたんだから」

「……あ」

 そうだ。
 わたしは分岐をつくるためにこの時間にやってきた。
 この時間にわたしがやってくることが、あらかじめ起こっていたことだったとすれば、“分岐"は発生しない。

 もしわたしが過去に魔法使いの魔法に巻き込まれていたなら、この世界の結果は変わりえない。
 つまり魔法使いを信じるなら、この世界は“二度目”でなくてはおかしいのだ。

「世界は三つだけじゃない」

 お兄ちゃんは言う。

"この世界"-今ここにある世界。
"姪が死んだ世界"-"もうひとりのお兄ちゃん"がいた世界。
"この世界の未来"-"きみ"と"ケイ"がいた世界。
 
 これがわたしたちが前提にしていた世界の数。
 でもまず最初に、“本来のこの世界”を配置しなければならないのだ。
 つまり、“未来の姪=わたし”が川に身を投げる世界を。

 そこに"魔法使い"の力を借りた"わたし"がやってくる。 
 巻き込まれた"魔女"や"もうひとりのお兄ちゃん"、"少女"がやってきた影響で。
 この世界は"もう一度分岐している"。






787: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 14:00:23.49 ID:4woSyJNbo


「僕たちがいる、いまここ、"この世界"は、二周目なんだ。一周目では、きみが現れず、きみは死んでしまう」

 そして死んでしまった"わたし"は魔法使いの力を借りて、分岐をつくりに来る。
 別の結果を生み出すために。そうして加わった変化。"二周目"。別の可能性。

 ……でも、そこまでは、"分岐"をしっかりと考えていれば、見逃していただけの、ごく当たり前の言い換えにすぎない。

「もともとふたつに分かれていた世界は、"きみが来た世界"と"きみが来なかった世界"に分岐する。
 ここまでは、魔女の魔法に従った、ごく当たり前の結論だ。
 問題はここからだ。
 この"二周目"の世界には、"姪が死んだ世界"の人間がふたり巻き込まれているんだよ。
 誰のことかは分かるよね?」

 ……"もうひとりのお兄ちゃん"と、この場にいる"もうひとりの姪"。

「"もうひとりの僕"に関しては、あまり考えなくてもいい。今考えるべきなのは――」

 そこでお兄ちゃんは、手のひらの先を見遣った。

「――この子のことだ」

 魔女が歯噛みする。
 ……この子が、なんだというんだろう。






788: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 14:00:49.59 ID:4woSyJNbo


 ――いや、待て。

「魔法使いの魔法でこの世界に来た人間は、もしくは、巻き込まれた人間は、“戻らなきゃいけない”」

 わたしはそう呟いて、魔法使いの顔をうかがう。彼女はいつもの調子で苦笑していた。

「……そ。それが自然だからね」

「……つまり、すべてが終わった後、この子は元の世界に戻るんだ」

 本来ならば死ぬはずの世界へ。
 
「ところで、この子は本来なら、母親に殺されて死ぬ運命だったはずだ」

 目の前で交わされる会話を、どんな思いで聞いてるのだろうか。
 少女の顔はこちらからではよく見えない。

「“本来なら”。つまり、こんな騒動に巻き込まれず、順当に生きていれば」

 ぞわり、と背筋が粟立った。






789: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/12/28(金) 14:01:24.49 ID:4woSyJNbo


「……ねえ、まさか、結果が変わるの?」

 魔女が歪んだ表情を正し、長い溜め息を吐く。彼女はこう言っているように見えた。
“戸惑うことは何もない”。
“なにひとつ変わらない”。
 
「わたしがこの世界に来て、この子が巻き込まれて、その結果――」

「うん」

 とお兄ちゃんは頷いた。

「推測だけど――この子は生き延びる。おそらくきみと同じくらいの歳まで」

 彼の声は言葉の割に、確信がこもっているように聞こえる。

「そして、魔女としてこの場に現れるんだ」






792: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/01(火) 15:25:12.82 ID:7p1BbX+Yo








「ドアを開けて」

 とその人は言った。だからわたしはドアを開けた。
 
「行くんだ」

 わたしは振りかえってその人の顔を仰ぐ。表情はそれまでと同じような微笑みだった。 
 周りにはよく知らない人たちが居て、わたしは男物の財布を握らされていた。今となっては曖昧な記憶。
 
「大丈夫」と彼は言った。

「僕の言う通りにすれば、怖いことはもう起こらない。お祖母ちゃんのところに行くんだ。いいね?」

 わたしは話をよく理解していなかったけれど、それでも頷いた。内心は不安でいっぱいだったし、心細かった。
 当たり前のように、その人もわたしについてきてくれるものだと思っていた。

 だから、ドアをくぐった先が、自分の家の自分の部屋だと気付くと、泣き出したいほど怖くなった。
 傍には誰もいなかった。家の中はまったくの無人。わたし以外の人はいない。
 
 母も父も不在だった。






793: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/01(火) 15:25:46.34 ID:7p1BbX+Yo


 わたしは真っ暗な部屋の中を歩いた。夢でもみていたのかと思った。
 でも、手を繋いでいた感触がたしかにあった。手のひらにぬくもりが残っている気がした。
 
 それは、いまはない。

「……叔父さん?」

 と、わたしは彼のことを呼んだ。彼のことを呼んだのはそれが初めてだった。
 彼の顔は知っていた。母の弟。わたしにとっての叔父。その頃のわたしには、怖い人だと言う印象以外はなかったけれど。
 その何日かの出来事のせいで、わたしはすっかり彼を頼っていた。
 
 わたしは手を握ることの意味すらよく思い出せなかった。だから最初はひどく怖かった。強く腕を引かれて痛い思いをする気がした。
 でもちがった。彼はわたしのことを引っ張らなかった。わたしのことをぶたなかった。
 
 怖くなかった。

 でも。
 その人はいない。

 だからわたしは彼に言われたからではなく。
 彼に会いたいと思って祖母の家に向かおうと思った。






794: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/01(火) 15:26:44.57 ID:7p1BbX+Yo




 
 着の身着のまま家を飛び出して、おぼろげな記憶を頼りに道を歩いた。
 夜中に子供ひとりで歩いていたせいか、何度か大人に声を掛けられたけれど、そのたびに返事もせずに逃げ出した。
 不審に思っただろうが、保護しようとか企む善人がいなかったことに、わたしは少しほっとした。
 
 時間も、日付も、記憶も、曖昧だった。もともとわたしはそうなのだ。
 母と父と三人での暮らしが始まってから、わたしの認識は空疎で希薄だった。

 どんな連続性も失われていた。

 だから祖母の家に辿りつけたのは奇跡のようなものだったのかもしれない。
 あるいは――“彼”と一緒に道を歩いた記憶があったからだろうか。
 
 わたしがインターホンを鳴らすと玄関に出てきたのは祖母だった。
 彼女はわたしを見て嬉しそうに顔をほころばせた後、母がいないことに気付いて不審そうな顔をした。

「お母さんは?」と訊ねられてわたしは俯く。それから少し考えて、首を横に振った。
 祖母は不審がったが、とりあえずわたしを家に招いた。
 
 祖母の家は暗かった。蛍光灯の光すらが暗く冷たかった。
 そこではさまざまなものが深い場所に沈み込み、静かに停滞しているように見えた。
 





795: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/01(火) 15:27:18.44 ID:7p1BbX+Yo


 わたしにはその景色が寒々しく見えたし、祖母の顔は青白く褪せて見えた。

 祖母はわたしにホットミルクを作ってから、「お母さんに電話を掛けるから」と言った。
 わたしは少しどきりとした。
 電話台に向かおうとする祖母の服の裾を引っ張り、首をぶんぶんと振った。祖母は怪訝そうな顔をする。

 何か説明をしなくては分かってもらえないと思いつつも、けれどわたしは何も言えなかった。
 
 だからしかたなくわたしは、

「……叔父さんは?」

 と問いかけたのだった。祖母はその言葉に少なからず驚いていたように見えた。

「二階の部屋にいるけど、どうして?」

 叔父さんがいるのだ、とわたしは思った。
 わたしは廊下に出て階段を探す。それはすぐに見つかった。後ろから祖母の止める声が聞こえた。
 何か切羽詰まったような声だったけれど、わたしにはそんなことは気にならなかった。
 重要なのは彼の手を探すことだった。もう一度彼に手を握ってもらい、頭を撫でてもらうことだった。

 そうすることでわたしはこの状況をやり過ごすことができるのだと思った。
 階段を昇る。扉は廊下に三つあった。ひとつ目は祖父母の部屋らしかった。二つ目はトイレだった。

 三つ目、いちばん奥の角を曲がった先。わたしは扉を開けた。

 たぶん開けるべきじゃなかった。






796: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/01(火) 15:27:48.33 ID:7p1BbX+Yo




 叔父さんは眠っているようだった。部屋の中は暗いし、なんだか鈍く澱んで見える。
 ひどい息苦しさを感じた。

 わたしはなんだか怖くなった。ここに来れば大丈夫なのだ。大丈夫だと、叔父さんが言ったのだ。
 だからわたしは此処に来た。

 わたしは少し怖かったけれど、部屋に足を踏み入れた。

 床板が軋む。叔父さんが起きてしまう、とわたしは思ったけれど、それの何がいけないのかは分からなかった。
 叔父さんは当たり前のように微笑んで、きっとまたわたしの手を握ってくれる。 
 わたしは彼にそうしてもらえないとどこか遠いところに弾き飛ばされてしまいそうな気がしている。

「叔父さん?」

 とわたしは声を出した。まるで怯えているみたいな声だと自分で思った。
 危機感が、あった。

 でもかまわずベッドに近づく。叔父さんはたしかに眠っていた。わたしは彼に手を伸ばしかけて、けれどやめる。
 触れていいのかどうか分からない。
 
 わたしはここに来てよかったのだろうか?






797: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/01(火) 15:28:14.79 ID:7p1BbX+Yo


 迷っている間に、後ろから足音がした。

「ダメ!」

 と祖母が言った。その声で叔父さんは目をさました。

「……」

 彼は上半身をゆらりと揺らして起き上がった。それから暗い部屋のなかで他人の気配がすることに気付いたようだった。

「……誰?」

 と彼は言った。どこか暗い場所から滲み出てくるような声だった。どこかの地下室から聞こえるうめき声のような。

「出てけよ」

 声は苛立ちを孕んでいた。

「さっさと出て行け!」

 わたしはその声にすくみ上る。祖母が謝る声が聞こえて、わたしは誰かに手を引っ張られて部屋から飛び出した。
 
「叔父さんの部屋に勝手に入ったらダメ!」

 と祖母が廊下でわたしを叱った。わたしは訳が分からなかった。
 祖母はわたしに何かを言おうとしたが、それが何かの間違いだったというみたいに首を軽く振って、

「お風呂にでも入りましょう。ご飯は食べて行っていいから。あとで、お母さんにちゃんと連絡するのよ」

 わたしはわけもわからず泣き出しそうだった。でも、もうこの場には“彼”はいないのだと漠然と感じ取った。 
 もうわたしの手を握ってくれたあの人はいないのだ。わたしはまたまったく孤独な場所に放り出されてしまったのだ。






798: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/01(火) 15:28:46.28 ID:7p1BbX+Yo





 祖母はわたしを風呂に入れようとしたが、わたしが動こうとしないので「一緒に入る?」と言った。
 わたしは少し抵抗があったけれど、頷いた。祖母がわたしを持て余しているのがよくわかった。

 わたしは例の財布を握ったままだったので、それをひそかに洗面所の影になる部分に隠した。
 それは見られてはいけないのだとなんとなく思っていた。

 そして祖母は、わたしを風呂に入れているとき、わたしの身体にいくつかの痣があることに気付いた。
 服がひどく汚れていることにも気付いた。

 体がひどくやせ細っていることにも気付いた。

 祖母はそれがどういう状況なのかをすぐに悟ったようだった。

 祖母はすぐに母に連絡をしたが、結局母が電話を掛け直してきたのは翌朝六時半のことだった。
 母は祖母が入れた留守電のメッセージを聞くまで、娘が帰っていないことにすら気付かなかったみたいだった。

 祖母は祖父と相談し、しばらくわたしを預かると母に伝えたようだった。母は猛反発したが祖母は聞き入れなかった。

「それって横暴でしょう? ねえ、家族だからって調子に乗らないで。出るところに出てもいいのよ?」
 
 母はそう言ったという。祖母は泣きながら答えた。

「出るところに出て困るのはいったいどっちなのよ? いいからとにかく落ち着きなさい」

 そしてわたしは祖父母の家で暮らすことになったけれど、そこには致命的な問題があった。
 わたしは母から逃げ出したかったわけでも、祖父母と暮らしたかったわけでもない。

 ただ、もう一度“叔父さん”に会いたいだけだった。そしてそれだけが叶わなかったのだ。






802: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:02:01.23 ID:AaYHklSco


 




 お兄ちゃんは息をつく。それを見て魔女が小さく笑った。
 その顔を見て、今度はお兄ちゃんが訊ねる。

「何か間違っていた?」

「ううん、別に」

「そう。じゃあ話を続けようか」

「――ちょっと待って」

 魔女はお兄ちゃんの話を遮った。わたしはその一連の流れに戸惑う。
 なぜお兄ちゃんは平然と話を続けようとできるのだろう? 魔女はそして、どうしてそれを遮ることができるのか?

「あなたはいったい、何が目的なの?」

 今度はお兄ちゃんが表情を凍らせる番だった。
 たしかに、彼の行動は明白におかしい。

"自分は姪をとりもどしたいだけだ"と言いながら、なぜわたしや彼女のことに関与するのだろう。
 もし何かしら関わり合うにしても、それは姪をとりもどしてからでも遅くはないはずなのに。

 でも、目的が分からないのは魔女だって同じだった。

 もしこの場にいる少女の未来の姿が魔女だったとするなら、彼女は何のためにここに来たんだろう?
 ……いや、もしかしたら、そのふたつは関わり合っているんだろうか。






803: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:02:33.43 ID:AaYHklSco


「僕は姪を取り戻したいだけだよ。僕には彼女が必要なんだ」

「……そうだったらなぜ、こんな話を続けているの?」

「つじつま合わせを始めようかと言ったのはきみの方だよ」

「それに付き合う義理があるの?」

 お兄ちゃんは視線を逸らした。

「いい? わたしが求めることはひとつだけ。それを――」

 と、魔女はさっき少女の足元に放り投げたものを指差す。それは男物の財布のように見えた。

「――その子に渡して。それは切符みたいなものだから」

 お兄ちゃんは黙っている。
 わたしには、何も分からない。






804: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:03:03.62 ID:AaYHklSco


「わたしは別に話し合おうと言ったわけじゃない。ただ辻褄を合わせたいだけ」

 お兄ちゃんは魔女の言葉を無視するように少女の足元に屈み、財布を拾って開いた。
 魔女は黙ってその行為を見つめている。

 やがてお兄ちゃんの指先がカードのようなものを掴んで取り出す。運転免許証に見える。

「僕の名前が書かれている」

「そう。それで?」

「きみはこの財布をいったいどこで手に入れた?」

「……言う必要はない」

「そう」
 
 さしてこだわることもなさそうに、お兄ちゃんは免許証をしまいなおした。

「これをこの子が拾うとつじつまが合うんだろう? つまり、きみは過去、ここでこの財布を拾ったんだな?」

「……本当に、答えの分かりきった質問を、する人だね」

 お兄ちゃんは溜め息をついて、魔女から視線を外し、魔法使いを見遣った。







805: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:05:02.85 ID:AaYHklSco


「きみの目的こそ、いったいなんなんだ?」

 とお兄ちゃんは訊ねた。
 わたしはお兄ちゃんが何をしようとしているのかさっぱり分からなかった。
 どうして話を続けようとするのだろう? 

 これ以上何を話そうとしているんだろう?
 
 魔女はお兄ちゃんの質問に答えようとしなかった。 
 
「きみはいったい何をしようとしているんだ?」

 とお兄ちゃんは訊ねた。わたしにはその質問が奇妙なものに感じられた。
 
 彼女は何も言わない。

 なんだろう? この閉塞感は。どこにも行き場のないような感じ。すべてのどん詰まり。
 わたしたちは今この場所にいる。そしてなぜだかどこにも行けないような気がしてきた。
 いったい何がどうなってこんなふうになってしまったんだろう?

 そもそも――この場所で何が起こっていたんだろう?






806: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:05:33.83 ID:AaYHklSco


「僕の目的は本当にひとつだけなんだ」

 お兄ちゃんははっきりとした口調で言うと、魔法使いの顔を見た。

「ねえ、きみの魔法はどんなふうに成立してるの?」

 魔法使いは唐突に話を振られてきょとんとしたが、すぐに頭の中で整理を始めたようだった。

「んっとね、まずイケニエが居て、それを使ってドアを開くのよ」

「……イケニエ?」
 
 ……わたしが聞いたときと、だいぶ話が違うような気がするけど。

「大抵の場合、ドアが開くのはイケニエの願いなのよ」

「この場合だとイケニエっていうのは」

「その子だね」

 と魔法使いはわたしを指差した。






807: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:06:24.45 ID:AaYHklSco


「この魔法に巻き込まれた人間っていうのは、魔法から脱出するとき、分岐した"その先"にいけるんだけど、イケニエだけはそれができない」

「なぜ?」

「"なぜ?"」

 と魔法使いは意外そうな顔になった。

「うーん。そういうルールだから? ま、詳しいところはわたしにも分かってないんだけど」

 で、と魔法使いは話を続ける。

「そのイケニエの行動如何によって未来が変わるわけ。分岐ね」

「今回だと、この子が」

 と今度はお兄ちゃんがわたしを示した。

「"もうひとりの僕"を連れてきたりしたから、分岐ができた?」

「そう。うん。たぶんね」

 魔法使いはぽりぽりと頭を掻く。

「そのイケニエは、最初から最後まで、絶対に同一人物?」

「……」

 その言葉に誰よりも先に反応したのは魔女だった。一瞬で彼女の顔が青ざめる。
 魔法使いは苦笑していた。






808: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:06:57.43 ID:AaYHklSco


「いや。でも、もともとこの世界にいた人間はイケニエになることはできない」

「つまり、イケニエになれるのは、この場にいる僕を除いた三人と」

 それから、ケイ、もうひとりの僕。その五人だけか。お兄ちゃんは呟く。

「……でも、この魔法に巻き込まれたら、その世界に戻らなきゃいけないんだよね?」

「うん」

「だとしたら、結局"イケニエ"以外の人間も、別世界から来たら、元通りの未来に戻るんじゃないの?」

「うん。そうなんだけど……」

 魔法使いはそこで気まずそうな顔になった。

「イケニエ以外は、ちょっとズレる。時間が」

 わたしはなんだか落ち着かない気分になってくる。お兄ちゃんが言わんとしていることが分からない。

 わたしは、なんとなくお兄ちゃんの顔を見るのが怖かった。
 お兄ちゃんは男物の財布を拾い上げ、それを少女にわたした。魔女の表情が歪んだ気がする。
 わたしはその様子をじっと眺めていた。
 





809: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:07:23.40 ID:AaYHklSco





 そのあと起こったことを、わたしはよく覚えていない。










810: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:08:00.83 ID:AaYHklSco


 わたしはふと目を覚ますとわたしの部屋にいた。"わたし"の部屋。
 祖父母の家の中に存在する"わたし"の世界の"わたし"の時間の"わたし"の部屋。

 時計の秒針が動く音が聞こえた。カチカチという音。窓から差すカーテン越しの朝の陽ざし。それは以前より柔らかに感じられる。
 わたしの耳はたしかに音を捉えていたし、わたしの目はたしかに光を捉えてていた。

 記憶が判然としない。何が起こったのか分からない。
 でもたしかなのは、目覚める前、意識を失うまでわたしの中にあった何かが欠けてしまっていたことだった。
 だからといって喪失感や欠乏感はなかった。むしろ今まで付きまとっていた余計なものが綺麗さっぱり消えたような気分だった。

 わたしは目を覚ました。
 
 記憶が連結しない。さまざまな認識が途切れている。わたしは目を覚ましてしまった。
 何が起こってしまったのだろう? 彼らはどうなったのだろう? いったい何が起こったのだろう? 
 でも漠然とした感覚だけが胸の内側を支配していた。もう終わってしまったのだ。
 
 分かる? 終わってしまったんだよ、全部。誰かがそう言った気がした。
 でもこの部屋には他に誰もいないし、いまのわたしには誰の声も聞こえないはずなので、たぶんそれは自分の発した言葉だったんだろう。






811: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:08:42.46 ID:AaYHklSco


 わたしはベッドを這い出た。日めくりカレンダーは八月の上旬の日付を表している。
 祖母が起きたわたしを見て「体調はよくなった?」と言った。わたしはぼんやりとした頭のまま頷いた。

 何が起こったんだろう?

 でもすべては終わってしまったこと、過ぎてしまったことだった。
 わたしは生きていた。
 
 不思議と。いや、不思議なことなんてないかもしれない。きっとすべてを理屈で説明することだってできる。
 
 でもわたしはそれをしたくなかった。逃げかもしれない。でも怖かった。
 
 祖母がスイカを切ってくれたので、わたしは縁側に寝転がって風鈴の音を聞きながらそれを食べた。
 庭には一輪の向日葵が咲いていた。誰かに会いたくなったけれど、誰に会えばいいのか分からなくなった。

 さまざまな混乱が見通せる場所に立つと、事態はあまりに混乱していることに気付いてしまう。
 その混乱の中に一度だって巻き込まれてしまえば――巻き込まれているのだと気付けば――人は正常ではいられない。
 わたしは何も願うべきではなかったのかもしれない。祈るべきではなかったのかもしれない。






812: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:09:18.35 ID:AaYHklSco



 わたしはとにかく生きている。そしてさっきまでの出来事は、きっと全部ただの夢でしかなかったのだろう。
 そう思うことがおそらく幸福であるということなのだ。

 説明が欠けているのだ。とわたしは思った。説明? でもどんな説明なら納得できるんだろう?
 どんな真実なら納得できるんだろう? そもそも"本当"ってなんなんだろう?

 わたしは瞼を閉じる。夏の日差しが瞼に覆われた視界を肌色に染めた。これは血の色なのだ。
 血液は"わたし"に含まれているとわたしはごく当たり前のことを考えた。

 わたしは記憶を反芻する。何もかもがわけの分からないまま滞っている。ケイくんはどこにいったんだろう? 
 もうひとりのお兄ちゃんは? お兄ちゃんは、魔女は、あの時間のわたしは、どうなったんだろう。
 わたしはどうして肝心な記憶を失ってしまったんだろう?

 でもそんなことはもうどうでもいいじゃないか、とわたしは思う。ぜんぶ終わってしまったんだ。
 やり直すことなんてできないし、仮にやり直せたところでどうなるっていうんだろう?
 もう全部放り投げて終わらせてしまえばいいのだ。誰かが勝手に、わたしに都合の良いように終わらせてくれたんだ。魔法みたいに。
 
 わたしは生きている。生き返った。そう。生き返っている。死んだはずなのに。






813: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:10:00.80 ID:AaYHklSco


 死んだはずなのに、生きている。

 そういうこともあるんだなぁとわたしは思った。死んだのはきっと夢だったのだ。
 そのあとに起こったこともすべて夢だった。そう思わないと、理屈が成り立たない。

 ――。

「眠いの?」

 と祖母が言った。そう。眠いんだ。眠っていたい。そして今は眠れる。

「寝ていてもいいよ」

 祖母が柔らかく微笑んだ気がした。わたしはなんだか泣きたくなる。

 ここでずっと寝転がっていればいいんだ。そうすれば全部上手くいく。きっと。







814: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:10:43.26 ID:AaYHklSco


◇ 





 さて、と僕は思う。
 魔法使いはこちらを興味深そうに眺めている。魔女の顔面は蒼白だった。
"彼女"は状況を把握できていないようだ。もうひとりの姪は、最初から何も分かっていないような顔をしている。
 
 多くのことが説明され尽くしていない。僕はこの世界が二周目だと言ったが、より正確に言えばここは三周目以降のはずだ。
 だがどうでもいい。

 ここにいる三人の少女のうち、ひとりが「イケニエ」になれば他二人は未来を取り戻せるかもしれない。
 もちろん新しい分岐として。

 魔女の表情が苦しげになった。
 僕は何かを言うべきなのかと思ったけれど何も浮かばなかった。
 だからただ魔女の顔を見た。僕は彼女のために祈るべきなのだ。本来なら。

「ケイは?」

 と僕は魔法使いに問いかけた。

「……さあ?」

 彼女にも分からないことがあるのだろう。僕にはどうしようもなかった。







815: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:11:12.36 ID:AaYHklSco


「僕は姪がそばにいれば、他のことはどうだっていい」

 と僕は言った。これは魔女に向けた言葉だった。

「……あの子は、上にいるから」

 魔女は階段を指差す。失望したか、軽蔑したか。彼女の眼はひどく褪めている。
 
 僕は階段を昇る。魔法使いが背中に声を掛けていた。うるさいなぁと僕は思った。僕は急いでいる。

 階段を昇ると扉が三つ並んでいた。僕にはその三つの扉が何かの象徴のように思える。
 でもそんなのはただ感傷的なだけの錯覚だ。一番奥の扉は物置になってる。もうひとりの僕が見た記憶を僕はまだ持っている。

 僕は扉を開く。その向こうに何かがあった。

 何か。寝そべっている。そこに僕が探している人がいた。
 いたけれど。

 死んでいるように見えた。






816: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:12:32.76 ID:AaYHklSco


 彼女が声を発した。

「どうして?」

 と彼女は言った。か細い、頼りない声だった。
 僕が求めていた声だった。たぶんずっと。でも、その声が言おうとしていることも僕にはよく分かった。
 
 僕は説明しようとしたけれど、何をどう言っても無駄だと思えた。結局同じことなのだ。
 
「わたし、お兄ちゃんのこと、好きだよ?」

 声が言う。それは咎めているように聞こえた。でもそれはたぶん、僕の罪悪感がそう思わせているだけの錯覚。
 
「そう」

 僕はことさらそっけなく返した。

「お兄ちゃん、でも、ねえ。わたしは……」

 彼女の声は泣いているように聞こえた。たぶん僕が泣かせたのだ。

「そんなの、嫌だよ」

 彼女は何もかもを理解しているようだった。何が起こっているのかを。
 僕がもうひとりの僕の身に起こったことを把握できているように。
 彼女にも大方の事情は呑み込めているんだろう。







817: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:13:13.62 ID:AaYHklSco


 僕は床に寝転がる彼女の傍に屈みこみ、その手を取った。
 いやいやと首を振り、僕の顔を見ようとしない彼女に、僕はどうすることができるのだろうと考えた。

 僕は、未来の僕が姪に素っ気なくなった理由が理解できる気がした。
 でもそんなのは僕が言ったところでどうしようもないような話だ。

 区別。

"イケニエ"を捧げれば未来の姪もふたたび生きることができる。
 イケニエになれる人間は三人。 
 
 そのうちの一人を生き長らえさせるために"イケニエ"がほしいのだから、候補はふたり。
 少女か魔女か。
 
 けれど少女が一度帰らなければ、魔女としてこの世界にやってこない。
(おそらくそれは周回的意味合いでの"来ない"であって、おそらくこの世界に影響はないがそれもどうでもいい話だった)
 
 消去法。
 未来の姪を助けるためには別の姪を生贄にするしかない。

 シンプルな結論。






818: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:13:42.41 ID:AaYHklSco


「でも、そんなの嬉しくないよ」

 姪は絞り出すように言った。掠れた声。

「誰も喜ばないよ」

「いいよ」

 と僕は言った。

「でもあの人は、きっとお兄ちゃんに会いたくてここに来たんだよ?」

「そうだとしても僕のやることは変わらない」

「そんなお兄ちゃんは、いや」

「いいよ」

 と僕は言った。

「かまわない。いやになってかまわない」

「お兄ちゃん」

 と彼女は少し強い口調で言った。






819: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:14:08.46 ID:AaYHklSco


「わたしは、こんな結果認めないよ。だから、このままだと、何度でも繰り返しちゃうよ。こんなのダメだよ」

「じゃあ、他にどうできるって言うんだ?」

 姪は押し黙った。結局僕らは無力なのだ。具体的に世界に対して働き掛ける能力を失っている。
 いつだってそうなのだ。僕らはただ起こったことを起こったままに受け入れる以外に手段を持たない。
 起こったことを受け入れられずに結果を変えようとするとおかしなことになってしまう。

「でも、こんなのはダメだよ」
 
 ダメなんだよ、と姪は言う。

「こんなのは、絶対に……」

 そのまま泣きじゃくる姪を、僕は立ち上がらせた。背中を向けると、しっかりと体を寄せてくる。その身体を背負う。
 雑多なガラクタの積まれた物置は未整理の頭の中みたいだった。扉を出る。迷わずに階段を下りた。
 何も考えなかった。

 階下に降りるとすべては終わっていた。誰もいなかった。だから僕には何が起こったのかは分からなかった。

 ただ、すべてが終わったのだとぼんやり思った。分からないことをいくつか残して。
 これでよかったわけじゃない。

 でも他にどうしようもなかった。少なくとも僕には。






820: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/04(金) 10:14:40.26 ID:AaYHklSco




 本当なら他にも手段はあったかもしれない。

 たとえば僕はこの段階で一度"魔女"をイケニエにする。
 そしてのちにもう一度魔法使いの魔法を頼り、"僕"がこの世界にやってくる。そしてそのやってきた僕がイケニエになる。
 すると魔女は自分の世界に帰ることができる。

 でも分岐が増えるだけで結果が変わるわけじゃなかった。魔法使いの魔法はそもそも欠陥品なのだ。何も変わらない。
 何度繰り返したって、ひとつの世界で起こったことはそのまま変わらない。揺るがない。

 これ以上僕にできることなんて何もなかったし、そもそも僕は姪を取り戻したかっただけなのだ。
 それ以外のことなんて、どうでもいいのだ。本来なら。

 とにかくこのようにして一連の出来事は終わってしまった。
 何もかも判然としない形で。









824: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:01:29.39 ID:Y3rLkBTKo






  
 わたしは、だから、彼が望んだとおり、"イケニエ"になって。
 わたし以外の人間に未来を残した。

 手を繋いでくれる人のいない世界は、おそろしいだけの世界は、生き延びたところで結局不要だった。
 だからわたしは川に身を投げた。

 あのとき拾った財布を持って。

 すると不思議なことが起こった。
 目をさましたとき、わたしは魔法使いの控室にいた。

 そこで起こっていることを知り、もう一度あの人に会えることを期待した。

 でもそれはできなかった。さまざまな事情から。
 これはあとになって、まったくの見当違いをしていたと気付くことになるのだけれど。
 
 でもまぁ、その話についてはいいだろう。
 とにかくわたしはあの人に会いにいくことができなかった。

 できなかったから、せめて、辻褄を合わせようとした。

 過去の記憶を擦り合わせて、なんとか辻褄を合わせようと。
 それは混乱していたし、入り組んでいたが、結果から逆算すれば不可能なことではなかった。






825: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:02:30.61 ID:Y3rLkBTKo


 そしてわたしは自分を"イケニエ"にすることを思いついた。

 わたしがイケニエであることを引き受ければ、わたし以外の人間には未来が残る。
 対してわたしには、未来が残ったところで、あの人と一緒にいられるわけではない。
 わたしの世界にあの人はいないからだ。

 これ以上ない綺麗な終わり方だと思った。
 だからわたしは、巻き込まれたもうひとりの"あの人"を許すべきだと思った。

 問題はひとつだけ。
 自己犠牲によって完結するはずだったわたしの自己満足は。

"あの人"の最期の態度によってただ悲惨なだけのものになってしまった。
 あの人が、わたしをイケニエにすることを選んだのなら。
 それは自己犠牲ではなく、既にただの生贄だった。

 わたしの死体は川の中で発見される。
 緑色のドアの向こうで楽園を見たわたしは。
 そのドアとよく似たドアのくぐって死ぬ。

 死んだはずの他の人間たちに命を分けて。






826: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:03:03.50 ID:Y3rLkBTKo







 未来の姪はそのまま姪の未来と言い換えられる。
 僕は姪の未来を死なせるわけにはいかなかった。

 だから姪であって姪ではない人間。少なくとも僕にとっての姪でない人間に死を背負わせた。
 そうすることで未来の姪の死を覆そうとした。少なくともそれが可能だと思ったし、そうするべきだと判断した。

 僕はひとつのことのためだけに生きればよいのであって、それ以外のものはどれだけ酷似しようと不要だった。
 
 ただ僕にとって厄介だったのは、現在の姪がすべてを知ってしまっていることだった。
 
 それは今後何かの問題になって僕の前に立ちふさがるかもしれない。
 でもそれはこれからの話であって、これまでの話ではない。

 この夏の話はここで終わりだ。

 整理つくされていない。説明されつくしていない。列挙されきっていない。

 だが不足も特にない。いや、あるが、それは些末なことだった。
 どれもこれも不要と言えば不要だった。

 これでこの話は終わる。
 魔女だけが死んだ。未来からやってきた僕の姪は自殺しなかったことになり生き延びる。
 その先でどうなるのか僕には分からない。
 彼女がやってきたことで、僕の世界は彼女のいる未来とは別の未来へ向かうことになったからだ。

 僕はそのために魔女をイケニエにした。 
 未来の姪はふたたび生きる権利を得た。
 だが――これで本当に良かったんだろうか?
 





827: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:03:43.73 ID:Y3rLkBTKo





 
 いくつか説明しなければならないことがある。
 まず最初に、この手記が構造的にアンフェアであるということ。
 
 それは手記が手記であるがゆえの卑怯さ、不公平さ。
 つまり情報を信用するかどうかを、すべて読み手にゆだねた文章だという意味だ。
 
 どこまでが本当でどこからが嘘か? それを判断するのも決定するのも僕ではない。
 いずれにしても、この手記において重要なのは事実や出来事の信憑性ではなく、むしろ象徴性、意味性の方なのだ。
 
 この手記は、あの奇妙の出来事について、"ケイ"と呼ばれた僕が、魔法使いの協力を得て記したものだ。
 魔法使いは僕が思っていたよりも多くのことについて語ってくれた。

 だから僕ではない人間の、僕が知りえなかった状況について、僕は比較的容易に記述することができた。
 魔法使いは協力的だったし、また嘘をついているようでもなかった。
 彼女自身の目的もごく早い段階で成功したものだから、どうでもよくなったのかもしれない。それだけに幕切れは悲惨だった。

 この手記は整理されていない。また説明もされていない。けれど必要な情報は列挙されている。
 だが、勘違いしてほしくない。
 僕は別にこれを読んだ人物に、情報を整理し、自分なりの説明を付け加えてほしいと願っているわけではない。
 
 これはあくまでも僕が僕の頭の中を整理するために書かれたものだ。その必要があった。
 





828: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:04:13.26 ID:Y3rLkBTKo


 その整理はなんのために必要だったのか?
“お兄ちゃん”と彼女が呼んだ人のために必要なのか?
“彼女”のために必要だったのか?
 あるいは“もうひとりのお兄ちゃん”と呼ばれた人物?
 それとも“魔女”?
“魔法使い”? あるいは、魔法使いと話していた“男”?

 いずれも不要だ。
 
 思うに、この手記の登場人物たちは常に“逃げている”。逃げ続けている。
 遠回りをし、結論を避け、曖昧を好み、真実を覆い隠そうとしている。そして自分勝手な結論をつけて、自分勝手に悲しんでいる。
 それが悪いわけではない。そういったことが必要な場合もある。

 僕はむしろ明晰さを好むが、だからと言って僕はすべてを説明し尽くすことができない。
 なぜなら僕は彼らではないし、そうである以上状況から動機を類推することはできてもそうだと断定することができないからだ。

 この整理は僕の為に行われている。

 設問はシンプルだ。

“僕はなぜ自ら魔法の生贄になり、魔女と彼女を本来の結末から追いやり、違う分岐に流し込もうと思ったのか?”
 
 僕はその答えを探しているのだ。






829: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:04:39.56 ID:Y3rLkBTKo





 魔法の生贄になるということについて注釈が必要だろう。
 理不尽で不条理な魔法によって世界に分岐と結果を作り出した魔法使い。
 けれど彼女が魔法を行使するためには“願い”をもった人間が必要だった。

 その彼、あるいは彼女が“過去を変えたい”ないし別の分岐を作りたいと願うとき、魔法使いは魔法を発動させる。
 そして分岐を作りだし、彼あるいは彼女は生贄としてもとの世界に戻る。
 
 この構造は至ってシンプルだ。
 AとBという少年がじゃんけんをする。
 このとき一度Aは負けてしまうが、なんとか負けたという結果をなかったことにしたい。

 そこに魔法使いが現れ、Aをじゃんけんをする前の世界に移動させる。
 Aは負ける前の自分になんらかの形で変化を与え、じゃんけんで勝利させることが可能になる(かもしれない)。
 もし結果を変えられたにせよ変えられなかったにせよ、Aは自分が“負けた”世界に戻らなくてはならない。

 そして今回はその“A”こそが僕の友人である彼女だった。

 厄介なことに魔法使いは“死ぬ直前の彼女”に魔法を使った。
(つまり厳密には彼女は死ぬ前だったのだが、彼女はそのことを知らなかった。また、どうせ虫の息ではあった)

 つまりなんとか「じゃんけんに勝った未来」を彼女が作り出せたとしても、彼女は結局「死ぬ直前の世界」に戻らなければならなかった。
 
 ここに抜け道があった。






830: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:05:16.25 ID:Y3rLkBTKo


 魔法使いの魔法には、「イケニエ」のルールがあった。
 生贄は本来、願いを言って魔法を発動させた張本人の役目だ。だが、この魔法に“巻き込まれた人間”がいる場合はその限りではない。
“巻き込まれた人間”に、イケニエの役割を押し付けることができる。

 そこに目をつけたのが“彼”だった。
 彼の姪、の、未来の姿、である、僕の友人。そのまま放置すれば、彼女が未来で死んでしまうことに気付いた彼は、イケニエをささげることにした。
 そこに都合よく存在したのが魔女だ。

 魔女がなぜその場にいたのかという疑問に答えるのは容易だけれど、同時に困難なことでもある。
 彼女は常に不安定で流動的な心理状態にあった。
 どっちつかずなまま、自分で判断をくだせずにいた。

 でもそもそも――魔法使いの言によれば――彼女は途中から、自分をイケニエにすることを思いついていたのだと言う。
 自分が死ねば、自分にとって大事な“あの人”の“大事な人”の“未来の姿”が守れるかもしれない。
 魔女はそう考えた。

 彼女がそうまでして彼にこだわる理由が僕には分からなかったけれど、そこには僕の知らない何かが作用しているのかもしれない。
 あるいはそんなことは一切なく、ただ自棄になったような気持ちだけがあったのかもしれない。

 どちらでもいい話だ。憐れな魔女は“彼”に生贄になるように消極的に促された。彼女はそれを受け入れようとした。

 そこに僕が現れた。






831: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:05:43.25 ID:Y3rLkBTKo


 魔法使いによると、魔女もまた、死ぬ直前だったところを“巻き込まれた”らしい。
 つまり彼女が生贄になれば、未来の彼女は死なないが、魔女は死んだ。
 
“彼”もそのことには気付いているようだった。
 だから彼は徹底しきっていなかった。
 
 本当に“姪”を大事にするなら、少なくとも“姪”である魔女を蔑ろにするべきではなかった。
 
 彼女のありとあらゆる未来、ありとあらゆる可能性、ありとあらゆる姿を肯定し、受け入れ、そして守らなければならなかった。
 その時点で彼は敗北したのだ。

 だがそれは仕方ないことでもある。
 彼はもともとあの世界の住人だった。だから自らをイケニエにすることができない。消去法で魔女を選ばざるを得ない。
 でも、“僕”を忘れていたのが、彼の敗因だ。

 僕。ケイ。彼女のおまけ。未来からやってきた彼女の、友達。無関係の人間。
 あの段階で、“もうひとりの彼”は既に元の世界に帰ってきた。イケニエ以外として。
 
 だからあの時点でイケニエの候補は四人。
 彼女。魔女。少女。そして僕。
 





832: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:06:11.69 ID:Y3rLkBTKo


 消去法。

 僕以外はすべて“姪”なのだから。
 彼は“僕”をイケニエにするべきだった。

 彼がそれをしなかった理由は僕には分からない。単に忘れていたのか?
 それとももっといい方法を考えていたのか? どちらにしても同じことだった。

 彼は中途半端だった。
 もし魔女をイケニエに捧げるなら、彼女を“姪ではない”ことにしなくてはならない。
 それならば“少女”もまた姪ではない。“姪ではないのなら、優しくする理由はない”。
 けれど彼は“少女”を“姪”か、それに近しいものとして扱った。

 だから魔女は現れ、魔女が悲しむ結果になった。
 姪はそれを見透かしただろう。

 その結果どうなるのか、僕にはだいたい想像がつく。
(だから僕はこれを書いている)






833: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:08:35.47 ID:Y3rLkBTKo





「僕がイケニエになった場合――」

 と僕は魔法使いに訊ねた。

「僕は死ぬ直前だったわけでもないから、死んだりはしない」

「うん」

 魔法使いは頷く。でもね、と続けた。

「でもね、あの子は死んでしまう」

 やっぱりな、と僕は思った。
 彼女は死んでしまうのだ。

「本来なら死んでしまうあの子は、別の分岐に飛ばされて生き延びられる。
 でもあなたは、あの子が死んでしまう本来の分岐に戻ってしまう。
 つまりね、あの子がこれから行く世界で、あなたは生きているけれど、それは「あなた」ではない。
 そして、「あなた」がこれから行く世界で、あの子は死んでいる」

 そういう理屈なのだ。
 





834: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:09:02.34 ID:Y3rLkBTKo


「あなたはあの子が好きだったんでしょう?」

「別に、そうでもない」

 嘘だった。
 でも、本当のことを言うよりは気が利いているように思える。

「ケイくん」

 と魔法使いは僕を呼んだ。
 呼んだ後、どう続ければいいのか分からないと言うみたいに視線をさまよわせた。
 既に魔女も、彼女も、“イケニエ以外”として世界に戻った。少女もまた、財布を持って。

「ねえ、あの財布のことで、質問があるんだけど」

 僕が言うと、魔法使いは少し姿勢を改めた気がした。

「あの財布……おかしいよね?」

「……」






835: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:09:41.50 ID:Y3rLkBTKo


 たとえば。
 魔女=少女は、最初に財布を拾う。
 つまり、少女としてあの世界にやってきたとき、帰る直前に財布を拾う。
 そしてそれを魔女としてやってくるときまで、大事に持っていた。

 それをあっさりと“もうひとりの彼”に渡す。

「魔女と少女の理屈について、どうしても納得のいかない部分がある。あの財布、彼女はどうやって手に入れたんだ?」

 つまり。
 あのとき、あの場所で行われたこと――僕はそれを見たわけではなかったけれど――を信用するなら。
 少女は魔女から財布を受け取っている。それが少女が財布を手に入れた最初だ。

 でも、そうだとすると、少女に財布をわたした魔女は、どうやって財布を手に入れたのだ?
 魔女は少女なのだから、魔女から渡されたに決まっている。
 じゃあ、最初の魔女は、どうやって財布を手に入れた?

「……」

「……難しい話、するなぁ」

 魔法使いは顔をしかめた。






836: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:10:07.70 ID:Y3rLkBTKo


「それ、大事な話?」

 僕は頷くかどうかを迷って首をかしげた。

「……うーん、と、さ。art-school、Syrup 16g、people in the box」

 それは魔女が“もうひとりの彼”と話す時に挙げた邦楽のバンド。

「これってさ、“もうひとりの彼”は知らないはずのバンドなんだよ」

「……」

「ついでにもうひとつ。“異世界同時間体”ってのとは別に、“異世界異時間体”ってのがいるとして。
 ――そいつとも、魔力的パイプは繋がり得る、って言ったらどうする?」

「財布の中には、免許証なんかもあったっていったっけ」

 つまり、財布の出所は“異世界異時間体”でありうる、というわけだ。
 だが、仮に“もうひとりの彼”と繋がり得る“異世界異時間体”などというものが存在するとするなら。
 生贄の候補は、もうひとりいたということにはならないのか?






837: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/05(土) 15:10:34.66 ID:Y3rLkBTKo


 それはおそらく、最後まで不鮮明だった魔女の思惑ともかかわりがあるのだろうが……。
 僕はなんとなく考えるのが怖くなった。

「もう行くよ」

 と僕は言った。それ以上話を聞くと、決意が鈍りそうだった。

「ごめんね」と魔法使いは謝った。

 僕の恐怖はより一層増した。
 でも僕は緑色の扉をくぐって元の世界に帰ることにした。
 生贄になるのは簡単だった。単にそう意識すればいい。
 
 それで終幕だった。

 僕がこれから帰る世界で、彼女は既に死んでいる。

 彼女の死はたしかな事実として逃れようもなく存在している。
 それは揺るぎようがない。僕が引き受けた。でもそれは本来なら全員が全員なりに引き受けなければならないものだった。
 結果は揺るがないことだ。それを妙な魔法に頼って忽せにするから――おかしなことになる。

 僕は元の世界に戻るが、それは自己犠牲なんかじゃない。
 それはごく当たり前のことなのだ。






841: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:09:46.02 ID:mi0scknjo




 
 起こったとされること、起こったであろうことを並べあげるのは困難だ。
 僕はすべてを見たわけではないし、またすべてを把握しているわけでもない。 
 だから断定はできない。けれど推測することはできる。ある程度。

 それが本当なのかどうかは分からないし、第一にそんなことは僕にとって重要ではない。
 
 けれど、それがどんなに疑わしくても、順序立てて出来事を整理するためには、それを暫定的に信用する必要がある。
 
 本当は、僕が思っているのとまったく違うことが起こっていたのかも知れない。
 誰かが僕に嘘をついたかもしれないし、僕が何かを勘違いしているかもしれない。
 ひょっとしたら僕のすべての記憶が改竄されたものでないとも言い切れない。
 もちろん馬鹿らしいと鼻で笑うことは簡単だ。

 可能性という言葉を無限定に使うことは混乱しかもたらさない。これも自明だ。

 だが、僕は疑わしく思ったままに起こったことを整理する。
 まずは、魔法使いから聞いた説明をそのまま記述しよう。






842: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:10:12.42 ID:mi0scknjo




 
 魔法使いという女がいた。
 いたということにしておこう。ひょっとしたらいなかったかもしれない。
 だが、魔法使いという女がいたということにしておかなければ話が進まない。

 だから仮に、魔法使いという女がいたということにする。あるいは男だったかもしれない。本当はどっちだっていい。

 魔法使いは特定の人間の願いを叶えうる力を持っていた。その名の通り。
 あるいは、特定の人間の願いを叶えうる力を便宜的に魔法使いと呼び、それに人物としての型を与えたとも言える。
 解釈はどうだっていい。

 とある男が、この魔法使いという女と出会った。
 魔法使いはある理由から、この男の願いを叶えてやることにした。
 
 それは超常的な力を持つもの特有の傲慢な憐憫からだったかもしれない。
 あるいは男に一目ぼれでもしたがゆえに、叶えてやろうと思い立ったのかもしれない。  
 それともひょっとしたら、男の方が魔法使いに気に入られるような何かをした可能性もある。

 状況はどうでもいい。
 とにかく、魔法使いという女がとある男に出会った。
 その男はとある願いを抱いていて、それを叶える力を魔法使いは持っていた。

 そして魔法使いは、男の願いを叶えてやることにしたのだ。

 それがまず最初に起こったこと。






843: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:10:55.08 ID:mi0scknjo


 男はごく平凡な人間だったという。
 二十代の前半くらいの歳で、くたびれたスーツを着て、ありがちな煙草をくわえていた。
 けれど、何か奇妙なところのある男だと、魔法使いは感じたらしい。

 男は家族を失っていた。父母は健在だったが、姉とその夫である義兄、そして姉の娘、姪を亡くしていた。
 だからどうというのではない。その死が、彼の生活に影を落としたというわけではない。
 
 死の形が一風変わったものではあったので、当時は多少の不利益も被ったが、だが、それもそれだけの話だ。

 男の願いはその死にまつわるものだった。
 元より不仲だった姉と義兄について、男は語るべき言葉を持たないようだったと魔法使いは言った。
 男が気に掛けたのは姉夫婦よりもむしろ、その娘の死についてだった。

 交流があったわけでもなく、愛情を抱いていたわけでもない。面識だって多くはない。
 そんな姪の死に、なぜ特別な感情を抱くことになったのか、男は自分自身で分かっていなかったという。
 





844: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:11:35.21 ID:mi0scknjo


 魔法使いはそのときになると、男の生い立ちをある程度(超常的な手段で)理解していたので、こう推測したらしい。
"両親の愛情を受けて爛漫に育った姉に対して、自分は父母に蔑ろにされていると感じながら育ったのだろう。
 そして、父母の愛情を得られずに死んでしまった姪に自分を重ねているのだ" 
(姪は姉夫婦にさまざまな形の虐待を受けた末、姉に殺された。姉夫婦は不仲であったという)

 このいかにも三文ドラマの筋書きと言いたくなる魔法使いの推測が、果たして正しかったのか、それは分からない。
 けれど男は姪の死に痛切に見えるほどの執着を持っていた。それは確かだと魔法使いは言った。

 そのことに、どうしても納得できないと、男は言ったらしい。

 ならば、と提案したのが魔法使いだった。
 彼女の力は過去に干渉し、未来を捻じ曲げることを可能とした。
(そのルールについての魔法使いの説明は省略する。注釈は不要だろう)






845: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:12:22.45 ID:mi0scknjo


 男は魔法使いに力を借り、過去に戻った。
 そして"納得のいかない結果"を変えようとした。

 エラー、リトライ。

"姪の死"に納得がいかなかった彼は、けれど姪の死をすぐさまどうにかする術を思いつかなかった。
 いっそ死の原因になる姉夫婦を殺してしまうことも考えた。

 そうすれば自分の父母が姪を引き取るだろうし、その後の生活に特に問題は起こらないはずだ。
 が、その際は過去の自分が姪に対して良くない感情を抱く懸念があった。
 
 そうだとすると、ただ姉夫婦から逃がすだけでは足りない。
 そこで男は、いっそ過去の自分の方を変えることにした。






846: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:12:48.49 ID:mi0scknjo


 男は過去の、それも子供の頃の自分に会いに行き、話をした。それから自分の財布を渡した。
 
 なぜそんなことをしたのか?
 それは分からない。

 でも、彼が、過去の自分に財布を渡したこと。これはたしかだった。
 この財布については、少し話が面倒になるので、後回しにしよう。

 男の言葉がどういう影響を与えたのか、過去は変わり、別の未来が生まれた。
 男は本来の自分の未来、つまり姪と姉夫婦が死んだ世界に戻った。

 そのあとのことは魔法使いでさえ知らないと言う。






847: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:13:29.24 ID:mi0scknjo


 男が生んだ新しい未来の先で、姉夫婦は離婚することになり、姪は姉が引き取ることになった。
 姉はそのまま姪とともに父母の家に居着いた。そして、過去の男は姪とともに成長していく。

 本来は、姪に対して無関心だった男は、姪を溺愛することになる。
 どのような変化の結果かは分からない。
 
 そうすることで何かを取り戻そうとしたのか、あるいは取り戻せることを期待したのか。
 もちろん、仮に何かを取り戻そうとしていたのだとしたら、それは代償行為でしかなく。
 そうである以上、何かを覆せるわけもなかったのだけれど。

 エラー、リトライ。
 
 本来の男の思惑通り、男は姪を大事にして、ふたりはゆっくりと成長していった。 
 けれど、不思議なことに、男はある一定の時期から、姪と距離を置くようになる。






848: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:14:06.81 ID:mi0scknjo


 推測を並べるのは簡単だ。
 さまざまな理由が考えられる。

 たとえば、近親であるにも関わらず、姪に対して異性としての愛情を抱くようになった場合。
 あるいは、姪と自分の間に血の繋がりがないことを知ってしまい、そのことに動揺してしまった場合。
 もっと単純に、姪の世話を焼くのが面倒になったという場合。

 どれもやはり、三文ドラマの脚本じみている。
 他にも要因があるかもしれない。
 
 彼は姪の前にある女を恋人として連れてきたという話もあるし、学生時代のバイト先でトラブルが起こったという情報もある。
 いずれにせよ、確実な判断をくだすことはできない。

 でも、どれにしたって救えない。






849: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:14:36.50 ID:mi0scknjo


 彼が何かの理由で距離を取った結果、姪は自殺することになる。
 これは彼自身が、自分自身を侮りすぎた結果だろう。

 母は言わずもがな、祖父母でさえ、姪に対して満足に愛情を与えられたとは言い難かった。
 もちろん彼らは彼らなりの愛情を姪に与えたつもりでいただろう。ひょっとすれば、母親でさえ。
 
 でも彼女が重視したのは、自分の世話を焼く叔父の存在だった。それ以外は優先度の低いものとなっていたのだ。
 それは既に依存に近い。叔父自身、そのような形になるのは不本意だっただろう。
 あるいはそのような状態を危惧したからこそ、彼は姪と距離を置こうと考えたのかもしれなかった。

 そうだとすると、皮肉な結果だったと言えるか。
 
 エラー、リトライ。






850: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:15:14.45 ID:mi0scknjo


 死んでしまった姪のもとになぜ魔法使いが現れたのか。
 彼女はけっして死神や悪魔ではない。ごく一般的な、超常的な力を有する、一個の人間に過ぎない。
 魔性を人と呼べるならば。

 その人間に過ぎない魔法使いが、なぜ成長した姪の死後、彼女のもとに現れたのか。
(このとき、姪は厳密には死んでいなかったらしいけれど)

 それは、彼女が出会った、いちばん最初の男……。
 魔法を利用して世界を分岐させた男に頼まれたからだと魔法使いは言った。

 もしも、自分のやりかたでうまくいかなかったなら。
 お前が俺に協力しろ、と。

 魔法使いは乗り気ではなかったが、約束をした以上はと、彼らふたりを見守っていたらしい。
 





851: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:15:41.39 ID:mi0scknjo


 だが魔法使いは、もともと新しい分岐を成立させる気などなかったのだという。
 要するに彼女は、客観的な立場であったからこそ、新しい分岐を作り出すことの不毛さに気付いていた。
(のちに自らも、まんまと不毛さに飲み込まれてしまうわけだが)

 だからこそ姪に対してもろくな説明をせず、ただ過去に放り投げた。
 放り投げた時間だって適当だった。死んだ彼女の歳と、叔父の歳が、だいたい重なるくらいの時間。
 適当に。

 でも、魔法使いにとって、その後に起こることはほとんど予想外の連続だった。

 まず、僕を含む三人の人間が、魔法使いの魔法に巻き込まれる。
 ふたりは姪の意思によって。もうひとりは偶然にも。
 
 僕を除くふたりのうち、ひとりは、"本来の叔父"の過去。
 これが魔法使いに混乱をもたらしたもっとも大きな理由だったという。
 魔法使いはこの"本来の叔父"に並々ならぬ執着を持っていた。
  





852: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:16:10.34 ID:mi0scknjo


 理由は分からない。
  
 彼を巻き込むことに、当初は忌避感を抱いていた魔法使いだったが、やがてとある可能性に気付く。
"この彼に、この世界で何かを与えることができれば、彼の未来にも何かの希望ができるかもしれない"
 たぶんそんなところだったはずだ。

"本来の叔父"の境遇を僕は知らないが、それを魔法使いは変えられるかもしれないと思ったのだ。
 それまでにその行為の不毛さを客観視していた自分を棚に上げて。

 そしてもうひとりは、"本来の叔父"が居た世界の、幼い姪。

"本来の世界の叔父"が作り上げた"二つ目の世界"。
"二つ目の世界の未来の姪"が生み出した"三つ目の世界"の分岐。

 そこではありとあらゆる抽象的な願望や抑圧が形となって現れた。
 人々の感覚はある種のパイプによって無作為に共有された。
 
 彼は彼の前にあらわれ、少女は姿を消し、少女が姿を現し、彼女は現れて消えた。
 事態は結局一旦の収束を見せる。

 おそらくはそうだったはずだ。






853: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:17:45.92 ID:mi0scknjo


 その後、その"三つ目の世界"がどのような展開を迎えたのかは分からない。
 あるいはその世界では、男は姪を死なせることなく、平穏に、幸せに暮らすことができたのかもしれない。

 この"三つ目の世界"において、"本来の世界"からやってきた姪は、財布を拾う。
 この財布は"三つ目の世界の叔父"が落としたものだったのだろう。
 (舞台が同じなので分かりにくいが、"三つ目の世界の叔父"は"二つ目の世界の叔父の過去"とほとんど同一だ)

 そしてこの財布は同時に、"本来の叔父"が持っていたものと同一であると考えられる。
(のちに明らかになるが、このあたりには奇妙な齟齬が存在している)

"本来の世界の叔父"が"二つ目の世界の叔父"に渡した財布。
 これは"二つ目の世界"では何ら意味を持たなかった。
 だが、"二つ目の世界の姪"が、過去に戻ることで成立させた"三つ目の世界"において、初めて意味を持つ。

"本来の世界の叔父"が"二つ目の世界の叔父"に渡した財布は、
"二つ目の世界"の過去から分岐した"三つ目の世界の叔父"を経由して、"本来の姪"の手に渡る。 





854: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:19:00.96 ID:mi0scknjo


 ところで、この"二つ目の世界"において、"二つ目の世界の姪"は一度姿を消す。
 それを引き起こしたのは"二つ目の世界の姪"だった。あくまでも最初は。

 財布と記憶を持ち帰った"本来の姪"は、"本来の世界"の"本来の未来"から逸脱してしまった。
 つまり、虐待死を回避したのだ。

 だとするなら彼女こそが時間航空者であり、一輪の花のかわりに男物の財布を持ち帰ったと言えるかもしれない。
 けれど彼女にとっては、"三つ目の世界"は"塀についた扉"の向こうの世界でもあった。

"三つ目の世界"で、"三つ目の世界の叔父"が彼女にどのようなことをしたのかはさだかではない。
 けれどおそらく、彼女にとってそこは楽園だったのだろう。

 彼女は怖いものだらけの"本来の世界"に帰りたくなんてなかった。
 彼女はたしかに、"本来の世界"における自分の死を回避した。
 つまり、"四つ目の世界"にたどり着いた。

 けれど、彼女にとっては、それは一度目の、一度きりの自分の人生でしかない。

"三つ目の世界の叔父"の言い付けに従い祖父母の家に保護された彼女。
 でも、その彼女が出会った"四つ目の世界"の叔父は、本質的に"本来の叔父"と同一だ。
"姪に対して無関心なひとりの男"にすぎない。





855: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:19:28.40 ID:mi0scknjo


 自分に優しくしてくれた(であろう)唯一の人物とよく似た顔の彼を、彼女はどう思っただろう?

 とりあえずは生き延びたものの、彼女にとって"四つ目の世界"は決して喜ばしいものではなかっただろう。
 
 そして彼女は死のうと考えた。
 世界に価値あるものはなかった。
 彼女にとって喜ばしいものは、すべて、塀についた扉の向こう側にしかなかった。
 そのドアは閉ざされていた。

 だから死んだ。

 最期に川に身を投げるとき、例の男物の財布を持っていたのは、ある意味では象徴的だと言える。

 この財布は、"本来の世界"の男が所持し、"二つ目の世界"の叔父に手渡され、
 その焼き直しである"三つ目の世界"で少女が拾い、"四つ目の世界"に持ち帰った。
 
 ある意味で、この財布は他のどんな人物よりもよく、世界のすべてを見渡していた。

 長らく魔法の影響にさらされたその財布に、魔力が残留したんだろうと魔法使いは言った。

「つまり、それがある種のマジックアイテム……というか、鍵、みたいなものになって、
 彼女は自分が望む世界にふたたびやってくることができた、というわけ」

 エラー、リトライ。






856: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/09(水) 13:20:08.91 ID:mi0scknjo


 話は至って単純だ。

"A"という世界がある。それは"A"という世界なりの結末を一度辿る。
 その結果に納得のいかなかった人物が、"A"の過去に変化を加えた。
 結果、"A"は本来の結末とは別に、"B"という展開を手に入れる。
"B"も"B"なりの結末にたどり着く。その結末に納得のいかない人物は"B"の過去に手をくわえた。
"C"という世界ができる。その"C"という世界に"A"の人間があらわれる。
"C"を目の当たりにしたその人物が"A"に帰ると同時に、"A"は"A"とは別の"D"になる。

"D"は"D"なりの結末を見せるが、"C"を目の当たりにして"D"に行きついた人物は、再び"C"に行きたいと願う。
 そしてそれが叶う。だが、その人物が現れた途端、"C"は"C"とも少し違う"E"になった。

 僕らがいたのは"E"だ。

 エラー、リトライ。

 そのあと、それぞれの世界で何が起こるのか、僕には分からない。
 とにかく、これで十分に整理はできたはずだ。
 推測があっているのかどうかはともかくとして、だが。






861: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:53:18.02 ID:b6vBdGKEo





"E"において起こったこと。僕はこれを把握しきれていない。
 いくつかの矛盾、いくつかの混乱が、全体の把握を困難にしている。
 
 けれど僕が考えるべきなのはそんな部分ではない。

 たとえば、魔女は、なぜ過去の自分に財布を渡そうとしたのか? その行為を"つじつま合わせ"と呼んだのか?
 彼女の叔父は、なぜ姪を取り戻すだけでは気が済まず、ふたりの未来における姪に明白な優先順位をつけたのか?
 
 そして僕は、なぜ彼女たちの代わりに自らを生贄にしたのか。
 そうした理由に関してはひとまず脇に置き、まずは生贄となった僕が見た"その先"について説明する。
 その説明はひどく入り組んでいるかもしれない。でもそれは僕のせいじゃない。






862: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:53:44.06 ID:b6vBdGKEo




 僕が今いる世界は"D"。つまり、彼女が死んだの世界。
"D"の彼女は"E"に向かい、生贄となった僕の代わりに"巻き込まれた"人間になった。
 その結果、新しい分岐を手に入れただろうと思う。それがどのような形のものかは分からない。
 
 つまり"D"にいた彼女は"E"を生み出した結果、"D"ではなく"F"という世界を手に入れたのだ。

 おそらく"F"においては彼女は生き延びており、同時に、"この僕"とは違う、僕、"F"におけるケイも存在している。
 そのケイはもちろん、僕のように別世界にいった記憶なんて持ち合わせていない。ごく普通の夏休みを過ごしたはずだ。

 その世界で彼女が死なないということは、おそらく叔父の後追い自殺も発生しない。
 叔父の自殺に関しては他の要因もありうるという話もあるが、これは彼女も知っていることだ。

 おそらく彼女は、叔父に会いにいくことができるだろう。そうでなければならない。






863: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:54:10.51 ID:b6vBdGKEo




 ところで、分岐はこれで終わるのだろうか? もちろん終わらない。
 まず、"巻き込まれた方の叔父"、言い換えれば"本来の叔父"。
 いつのまにか"E"からいなくなってしまった彼は、本来なら"A"とまったく同じ未来を辿るはずだった。
 
 そのはずが、この世界にやってきてしまった。巻き込まれた時点で彼は本来の叔父とは別の生き方をすることになる。

 つまり、彼が帰った世界は本来の"A"ではなく、これもまた新たな世界である"G"となる。
 その先で彼がどのように生きるのかは分からない。
 
 いったいどのような形があり得るのかも分からない。彼が戻ったところで、時間は揺るがない。 
 彼の姪も姉も死んでしまっているのだ。おそらくはだが。

 だが、彼に関してはどうでもいいとも言える。少なくとも僕はあまり興味を感じない。






864: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:54:36.67 ID:b6vBdGKEo




 まだいくつか新しい分岐がある。今度の魔法は、巻き込んだ数が多すぎたのだ。

 次は、少女。もうひとりの姪。
 叔父はあの子を"魔女としてこの場所にやってくる"といったけれど、それは正確じゃない。
 彼女はあの段階では、魔女としてあの場に現れるとは限らなかった。
 
 既に現れていた魔女とあの少女は、既に別の分岐の住人であり、世界は別に繰り返されているわけではなかったからだ。
 だからあの少女が本来の世界に帰り、生き延びたとしても、その結果どうなるかは誰にも分からない。

"A"から"C"に現れた彼女は"D"に帰り、そこから魔女として"E"を作ったが、
 今度現れた彼女は"A"から"E"に巻き込まれた。"C"と"E"には魔女の在不在に違いがある。
 
 つまりもっと些細な部分で、世界は食い違っているはずなのだ。そうである以上、あの少女は必ずしも魔女になるとは限らない。
 ましてや、今回のあの少女は、はたしてちゃんと叔父になついていただろうか? 叔父はあの子に優しくしていただろうか?
 
 そして魔女になるとは限らないということは、彼女が母親に殺されずに済むとも限らないということだ。
 
 そのあたりは気がかりではある。








865: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:55:04.96 ID:b6vBdGKEo



 次は"魔女"。本来なら生贄になるはずだった彼女。
 少女の未来の姿。"A"において死に、"C"において巻き込まれ、"D"に帰り、"E"を生み出した少女。
 
 彼女は生贄として、"D"における自らの死(推測だが)を背負うことになったはずだった。
 そこに僕が割り込んだ。だから彼女は"D"には帰らず、新しい"H"にたどり着く。
 
 僕はこうなって初めて思うが、僕がしたことは正しかったんだろうか。
 僕が生贄になることで魔女は新しい世界へと向かった。

 でも、その世界は彼女にとって救いになりえるのだろうか?
 そもそも彼女の行動には謎が多い。

"本来の叔父"、の過去。つまり"もうひとりの叔父"という人物を励まし、彼を帰したのは魔女だったと魔法使いは言った。
 魔女はなぜ、彼を励ましたりしたんだろう? 

 彼女はおそらく、世界の成り立ちを完全には把握していなかったのではないだろうか。
 つまり、"C"と"E"が同一の世界であり、自分はそれを別の立場から覗いているにすぎないと誤解したのではないか。






866: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:55:33.18 ID:b6vBdGKEo


 あの少女に財布を渡さなければ、"D"から生き延びた自分が"E"を作ることができず、矛盾が発生すると思った。
 そうした矛盾を彼女なりに解消しようとした結果だったのかもしれない。

 だとするなら、彼はなぜもうひとりの叔父を励ましたのか。
 それは分からないけれど、彼女にとってそれは何かの儀式のようなものだったのかもしれない。
 
 彼女はひょっとしたら消えたがっていたんじゃないか。
 本当は自ら生贄になって、自分の選択を受け入れるつもりだったのではないか。
 そのつもりで、自らに対して無関心だった叔父を許し、励ましたのではないか。そんなことを思う。
 
 僕には、どうとも言えない。 

 僕は最後、自分が生贄になる前に、彼女と少し言葉を交わした。どんなことを言ったのかは思い出せない。 
 打ちひしがれたような彼女の後姿。僕はその背中にたしかに声を掛けたのだ。

 祈るような気持ちで。
 それはきっと彼女にとってなんの救いにもならないのだろうけど。

 叔父はなぜ、彼女を生贄にしようとしたのだろう。
 それに関しては分からないけれど、きっと生き延びてもどうしようもないと思ったからかもしれない。
 彼女が欲しがった物はすべて、手が届かない場所にあった。だからといって、それを判断するのは彼ではないと、僕は思うのだけれど。
 でも、今思えば、たしかに分からなくはないのだ。

 あんな悲しそうな顔をされたら。
 誰がそんな相手に、もう一度苦しめと言えるんだろう?
(僕はそう言ったのかもしれない)






867: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:56:08.12 ID:b6vBdGKEo




 最後に、僕が今いる世界、"D"は、つまり彼女が死んだ世界で、同時に叔父も死ぬ世界だ。
 原因はぼやけている。何が起こったのかは分からない。そして僕には何が起こったのかも分からない。

 過去が揺るがないことは確定的だ。つまり僕は僕として、この結果、現在を受け止めるしかない。

 僕はごく当たり前に生きている。

 戻ってきて見ると、世界は様々な意味で変わっていた。

 いつも散歩していた公園に居着いていた猫がいなくなった。
 僕のたったひとりの友だちは死んでしまった。
 たしかに持っていたギターは、彼女と一緒に世界のどこかに忘れてきてしまった。

 これが本当に僕が暮らしていた世界なんだろうかと疑問に思う。僕は本当は、別の世界に来てしまったんじゃないか、と。
 でもどちらにしても同じだった。彼女はいないし、猫もいないし、ギターもない。

 でも、あのギター。たしかに、背負っていたはずなのに、どこに行ってしまったんだろう。
 まあ、それに関してはどうでもよかった。
 
 僕はとにかく彼女のいない世界に居続けなければならない。それはたしかだった。
 結果は結果として受け止めなければならない。






868: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:56:34.21 ID:b6vBdGKEo


 そのはずなのに、僕はいまだに一連の出来事が夢だったのではないかと考えている。考えたがっている。
 
 もしくは、疑っているのかもしれない。
 たとえば僕は、彼女の死を知ったあと、世界が複数にわたって分岐しているという妄想を抱き、
 それを実際にあったことのように錯覚しているのかもしれない。

 あるいは自覚的に、そうした嘘をついているのかもしれない。

 あるいは今見ている現実すらも何かの夢なのかもしれない。

 可能性という言葉は難しい。
 僕はしばらくの間、彼女が死んだなんて嘘だろうと思っていた。何かの悪い夢だと。
 でもいなくなってしまったのだ。本当にいなくなってしまった。
 
 彼女の死体は見つかった。ニュースにもなった。
 一年が経って、僕はこれを書いている。
 彼女が死んで、いったい何かが変わったんだろうか?
 きっと何も変わらない。

 僕たちはそういう場所に生きているのだ。






869: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:57:02.22 ID:b6vBdGKEo




 一連の出来事についての手記はこれで終わる。
 書き損ねていることは特にないと思う。本来的に理解は不要だ。
 そもそもの話として――こんな話を信頼する人間がいるものだろうか?
 
 それに関してはどうでもいいのかもしれない。必要だったのは整理だった。僕にとっての。
 でも、これで十分だろうか。僕は何かを説明し損ねてはいないだろうか?
 
 不十分かもしれない。説明しきれていない部分はある。でもそれはどうしようもない。
 僕から見える範囲では、ここまでが精一杯の理解なのだ。






870: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:57:54.76 ID:b6vBdGKEo



 
 ここですべて終わらせてしまおうと思ったが、推測をひとつ加える。
 まず、財布に関してのことだ。

 "財布"。
 いくつか存在する、男物の財布のことだ。
 まず、"叔父"が"本来の叔父"の未来の姿から受け取った、男物の財布。
 この中には免許証やカードなどの類は入っていなかった。

 次に"もうひとりの叔父"が"魔女"から受け取った財布。つまり、"少女"が拾った財布。
 少なくとも"魔女"が"もうひとりの叔父"に渡した財布には、免許証などのカード類が入っていた。 

 そして、"もうひとりの叔父"が持つ男物の財布は、その財布と同じものだった。

 財布はこの段階で三つある。

 僕は、"叔父"が"本来の叔父"から受け取った財布を"少女"が拾ったのだと思っていた。
 少なくともそれがマジックアイテムとして活用されたはずだと。

 だが、だとするとカード類、免許証の類はいったい何処から出てきたのだろう?

 要するに財布はもうひとつあり、どこかのタイミングで入れ替わりが発生したのではないか?

 このカード類は、多くのものに数年後の日付が記されていたのだという。つまり僕たちがいる時間の年号が。
 けれど、"未来の叔父"は、僕の想定にはひとりしか存在していない。

 そしてその叔父がよこした財布には、"免許証や保険証の類は入っていなかった"。

 ひょっとしたら、と僕は考える。世界は僕が思っている以上に入り組んでいたのかもしれない。
 少なくとも、もうひとり、どの世界の未来からかは知らないが、あのどこかの世界に、もう一度、"未来の叔父"が紛れ込んでいたのだ。
 そして財布を少女に残した。それがどういう意味を持つのか、僕には分からない。
 分からないが、その事実ははなんだかひどく、僕を怖がらせる。なぜだろう?






871: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:58:20.54 ID:b6vBdGKEo





 これは携帯電話についての話ということになる。
 僕も、叔父も、魔法使いも、誰も、彼女のことは救えなかった。

"僕の世界の彼女は現に死んでしまっている"。
 僕は既にそのことを知っていた。あの日、彼女が窓から飛び降りた夜、そのことを聞かされたのだ。
 
 僕たちは結局まったく見当違いの場所に行って見当違いの喜劇を繰り返し、結果的に余計な悲劇を増やしてきただけだ。

 この手記の目的は起こったことを整理し、僕が魔女と彼女の代わりに生贄になった理由を探すためだった。
 
 僕はその理由をいまになって思い知っている。
 つまり僕は、この世界の彼女を救えないから、"代わりに"彼女たちを救いたかっただけなのだ。
 僕がしていることもまた代償行為に過ぎなかった。誰にも文句を言えないほどの。
 
 僕はそれが分かったからこそ悲しい。だとすれば僕は彼女のためにいったい何ができたんだろう?
 僕もまた、あのもうひとりの叔父のように、彼女に対して無関心であった男のひとりでしかなかったのではないか?
 





872: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:58:49.29 ID:b6vBdGKEo


 彼女の死をどうすれば回避できたのか。彼女の為に何ができたのか。
 要するにその示唆こそが彼女の携帯電話にはあった。

 彼女は誰かと繋がるべきだった。誰でもいいから誰かと繋がるべきだった。 
 そうすることで誰かが彼女の為に祈ってくれるかもしれなかった。

 僕が、彼女のために祈るべきだったのかもしれない。それはお節介かもしれないし余計なお世話かも知れなかった。
 まったく無意味で見当違いなことかもしれなかった。彼女はそんなことを望んでいなかったかもしれない。
 
 もしかしたら、とそれでも僕は考えてしまう。

 でも、それを願うわけにはいかなかった。魔法使いはきっと、僕のもとにも訪れるだろうという気がする。

 何度繰り返したところで、それは代償行為でしかない。この世界の彼女は蘇らない。
 何もかも無意味なのだ。

 僕はこれを終わらせなければならない。繰り返してはいけないのだ。
 これ以上、悲しむ"僕"や"彼女"を増やさないためにも。






873: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 13:59:56.06 ID:b6vBdGKEo




 それぞれの世界のその後を僕は知らない。
 僕はただ、今になって、彼らや彼女たちのことを考えて祈り始めている。
 何もかも分かったときには何もかも手遅れになっている。なってみないと実感できない言葉だ。

 あの男と、あの姪は、今も一緒に暮らしているだろうか。どちらかが寂しい思いをしていないだろうか。
 もうひとりの男は、ちゃんとやれているだろうか。何度も繰り返そうとはしていないだろうか。
 少女は、ちゃんと成長できるだろうか? 魔女は、何か新しいものを見つけられるだろうか?

 彼女は、叔父に会えたのだろうか。
 会って話し合えただろうか。寂しがってはいないだろうか。
 必要以上に悩んではいないだろうか。ちゃんと思ったことを伝えられているだろうか。
 
 塞ぎこんではいないだろうか。自分に嘘をついてはいないだろうか。無理をしていないだろうか。

 その世界の僕はうまくやっているだろうか。
 その世界の僕は、彼女のために何かをしているのだろうか。

 それを考えるととても不安になる。






874: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 14:00:31.17 ID:b6vBdGKEo




 この手記を書き終えたいま、僕はものすごい徒労感に苛まれている。想定通りだ。
 思ったよりも話は入り組んでいた。何もかもよくわからなかった。
 結局みんながどうなったのか、僕は知らない。  

 知っているのは彼女が死んだということだけ。きっと僕にとって事実と呼べるのもそのことだけだった。
 
 本当はこれを書き終えたら死んでしまおうと思っていた。
 でも、それもなんだか馬鹿らしい。結局僕はここにいるしかない。

 僕はさまざまなものを失って、特に得るものはなかった。
 新しい友達もまだしばらくできそうにない。

 僕は彼女に死なないでほしかった。
 生きていてほしかった。それをあのときの彼女に伝えることができたら、と、今も「もし」がよぎる。
 
 それはたぶん、死ぬまで消え去ってくれないような気がする。

 彼と彼女についての話はこれで終わりにする。
 僕の目的は既に達成された。







875: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 14:00:57.83 ID:b6vBdGKEo


 でも、ひょっとしたら、世界はまだ、どこかで繰り返されているのかもしれない。
 たとえば、本来生贄になったはずの、あの魔女。彼女は自分の世界に納得するだろうか?
 分からない。そのとき、魔法使いはどうするだろう?

 僕にはどうしようもないことだ。僕はやはり、この世界に生きていくしかない。巻き込まれるわけにもいかない。
 それでもなんだが、僕がかかわった人々が、何かの代償としてですらなく、幸せであってほしい。
 
 そう思うのは自己陶酔みたいなものなのかもしれない。
 この手記を書くべきではなかったと、僕はいまさらのように思っている。
 でも、それだって手遅れなことだ。

 僕たちは手遅れなことを手遅れなことだと受け入れていくしかない。
 手遅れなことを、手遅れじゃないことのために活かしていくしかない。
 誰も彼女のかわりにはならない。

 なんだかひどく疲れた。もうしばらく、文章を書いたりしたくない。
 
 今は午前三時。虫の鳴き声が聞こえる。
 これからコーヒーでも飲んで、本でも読んで、それから風呂につかって、眠ってしまおうと思う。
 それから二度とこの手記を開くことはないだろう。

 いまはただ、ゆっくりと眠りたい。






876: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 14:01:32.53 ID:b6vBdGKEo

おしまい




877: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 14:16:32.61 ID:OuigSDE6o



読みごたえはあったけど、色々よく分からない点が多いな

整理してもしきれないわ
それを意図してなのか、意図せずなのか分からんが




878: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 16:43:48.96 ID:GEZukFGwo


姪と叔父が幸せなら良いんだが




879: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/14(月) 21:57:56.87 ID:kG9R9714o

おお乙
自分でメモ帳でまとめてみたら流れが分かって凝ってるなぁと思った

ケイくん…




・SS速報VIPに投稿されたスレッドの紹介でした
 【SS速報VIP】姪「お兄ちゃんのこと、好きだよ?」男「……そう?
カテゴリー「神・幽霊・妖怪・不思議・奇妙」のSS一覧
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